Samuel R. Delany, Letters From Amherst 読了。実に面白い。補遺は娘アイヴァ・ハッカー=ディレーニィへの10通の手紙。1984年から1988年までの、夏のキャンプに行っているアイヴァ宛のもの。すべて7月ないし8月。やはり日常の細かいことを書きおくる。アイヴァはこの時10歳から14歳までだが、文章は多少やさしくしてはあるものの、内容は本篇の大人向けのものとほとんど同じ。この手紙の時期は本篇に先立つもので、あるいはむしろこちらがマクラとして読まれるべきものかもしれない。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-04-17



 とりわけ面白いのはまず1986-07-20付。この時、ディレーニィはデヴィッド・ハートウェルに頼まれたか雇われたかして、Arbor House のオフィスで週3日原稿やゲラを読む仕事をしている。同じオフィスで働いている人びとの描写に、例によって大笑いする。こういうのが見えてしまうと書かずにいられないということか。同じことを当時同棲していたフランクにすでに話しているその上でアイヴァに書きおくっている。

 この手紙にはタイプ原稿が2種類添えられている。一方は最初の草稿でシングル・スペースでびっしりと打たれ、もう一つはダブル・スペースつまり一行アケで打ちなおしている。そしてどうやら実際に送ったのは二番目のものをさらに打ちなおしたものらしい。本篇の長い手紙も同様のプロセスを経ているのか。それともこれは娘への特別サーヴィスか。

 ディレーニィはまた見た映画についてもよく書いている。『エイリアン2』は封切と同時に見たが、その後、一緒に見に行こうと誘われて都合4回見た。幸い、面白いから助かっているという。とりわけ『バベットの晩餐会』には強い感銘を受けたらしく、内容を詳しくアイヴァに書いている。こうしてディレーニィが語るのを読むと、この話は映画で見るのが効果的にも思える。もっともディネーセンの小説はどれも映画になりそうだが。

 クラリオンやハートウェルがハーヴァードでやっているサイエンス・フィクション作家養成講座への参加についての記述も面白い。後者の生徒の一人に、テキサス出身の若い男がいて、スティーヴン・ドナルドソン、ジョン・ノーマン、ドリー・プレスコットの本しか読んだことがない。ハインラインやスタージョンの名前すら知らなかった。この講座へ来て、自分が読んできたものがひどいものだとみんなから散々言われている。ここで学ぶことで、これまで楽しんできたものが読めなくなるんじゃないかと思うと言う。ディレーニィはこれに対して、そうではない、学ぶことはこれまで楽しんできたことを楽しまなくなるためのものではない、と諭す。そうした本を楽しむことになにも問題はない。学ぶことでもっといろいろな本を楽しめるようになるのだ。

 これを敷衍すれば、これまで読んできたものの別の楽しみ方を発見できるかもしれない。

 あたしに言わせれば、ひどい本も読む必要はある。傑作ばかり読んでいては見えないこともあるのだ。ディレーニィだって、シモンズの『ハイペリオン』をひどいものだと言いながら、読んでいる。

 ディレーニィは若い頃から自分がゲイであることを自覚していて、マリリン・ハッカーとの結婚は「実験」だったらしい。しかし、この娘を持ったことはディレーニィにとっては非常に大きなプラスになっている。ここに収められた手紙にも、娘がいることの幸福感があふれている。

 この時期の最後、1980年代末にはディレーニィはすでにワープロを使っている。まだワープロをタイプ代わりに使っているわけで、だから手紙の形で残っているわけだし、こうして本にもなる。メールでもこういう長いものを書いているのか。それは本になって出ることがあるのだろうか。それとも、単純にまとめられて電子版で出るのだろうか。これはディレーニィだけでなく、20世紀末からの、メールがデフォルトの通信手段になって以降につきまとう問題ではある。SNS などでの発言はどうだろう。たとえば死後、Facebook の書き込みなどが一般公開されることになるのだろうか。ディレーニィの原稿などの文書類はボストン大学図書館が収集しているが、そこではネット上のテキストも集めているのだろうか。そういう心配をするのも、あまりにこれが面白いので、ぜひ他の時期、60年代、70年代、90年代残りから今世紀のものも読ませてほしいからだ。日記は出はじめたが、書簡集はどうだろう。できれば、誰か、たとえばハッカーやハートウェル、バトラーなどとの往復書簡も読みたいものだ。


 春だ。花が咲き、木の芽が萌えでている。このやわらかい黄緑がなんとも言えない。

 Show Of Hands, Beat About The Bush。公式サイトでは初のスタジオ盤とされている。本人たちの意識の中でもCDで出すのはカセットとはレベルが違うのだろう。前作のライヴから2年。満を持してもいる。それにしてはジャケットで顔を隠すのはどうなのだろうか。しかし、こうして見ると、フィル・ビアは昔から丸い。Where We Are Bound のジャケットなど、最近太ったなあと思ったのだが、そう言えば昔から太っていたので、その後特に肥えたわけではなさそうだ。

Beat About the Bush
Show of Hands
Imports
2014-01-21

 

 内容としては確かに文句のつけようもない。四半世紀前の録音だが、時の試練に耐えて、今聴いてもみずみずしい。その後定番のレパートリィになる The Galway Farmer(この farmer は網野善彦のいう「百姓」がぴったり) と Blue Cockade はやはり鮮かなデビューだし、ロックンロールの Cars には笑ってしまう。Armadas で無敵艦隊、フォークランド/マルビナス戦争の UK、アルゼンチン両軍をならべて歌うのは、フォーク・シンガーとしてのしたたかさだ。ナイトリィのオリジナルとビアの歌う伝統歌を重ねることもすでにやっている。The Oak は遥か後年のヒット曲 The Roots の原型と言ってもいい。どこか無気味で、しかもシビアなユーモアも秘めていそうな Shadows in the Dark や Day Has Come は、宝石の原石にも見える。

 ピート・ゾーンのサックスのジャズ風味、Biddy Blythe のハープのたおやかな味わいと、いろいろと試してもいる。Blythe は The Galway Farmer で達者なフルートとホィッスルも聞かせる。このホィッスルはパイプの Stefan Hannigan かと思ったら違っていた。ハニガンはここではバゥロンを叩いて、馬の駆ける様を出している。Nick France という人は他では知らないが、シャープなドラミングで全体を浮上させる。こういう音を出せるのはジャズの人かもしれない。ラルフ・マクテルの切りたった断崖のようなハーモニカはちょっと意外。

Steve Knightley: vocals, guitar, mandocello, cuatro
Phil Beer: vocals, guitar, Spanish guitar, mandocello, mandolin, fiddle, melodeon, viola, slide guitar

Pete Zorn: bass, alto & soprano saxophone
Nick France: drums, percussion, tea tray
Matt Clifford: piano
Biddy Blyth: harp, flute, whistle
Vladimir Vega: vocals, charango, zamponas
Ralph McTell: vocal, mouthharp
Mike Trim: vocals, percussion, bass
Stefan Hannigan: uillean pipes, bodhran

01. Beat About The Bush; 4:38
02. Class Of Seventy Three; 3:06
03. Armadas; 4:28
04a. Nine Hundred Miles
04b. Wayfaring Stranger {Trad.}; 4:16
05. Shadows In The Dark; 3:47
06. The Galway Farmer; 5:44
07. White Tribes {Matt Clifford}; 2:35
08. Day Has Come; 4:36
09. The Hook Of Love; 4:15
10. Cars; 3:51
11. Blue Cockade {Trad.}; 6:09
12a. Mr. Mays {Phil Beer}
12b. Gloucester Hornpipe {Trad.}; 4:05
13. The Oak; 3:05

All songs by Steve Knightley except otherwise noted.

Produced & mixed by Mike Trim @ Wytherston Studios