5月11日・火
正午にバイク便がピックアップに来て、ビショップ『時の他に敵なし』再校ゲラを戻す。ほっとする。
再校を確認しながら、また主人公の「秘密」に気がついてしまった。というより、これはこの作品の土台に関わることでもある。こういう大事なことに今頃になって気がつくのは、やはり読みが浅いというべきか、鈍感というべきか。鋭どい読者、たとえばハートウェルあたりなら、最初に原稿を読んだ段階でそこまで見通していたのだろうか。あるいはかの「狐」氏、山村修なら、ずばりと切り込むだろうか。もっともこれを書評で書いてしまってはネタバレではある。このことはやはり読者が自分で発見してこそ、この本を読む愉しみが味わえるというものだ。
この作品が今まで訳されなかったのは、ビショップが敬して遠ざけられていたこともあるだろうが、それよりはおそらく「デウス・エクス・マキナ」のところがいくら何でも、と見られたことがあるのではないか。しかし、あそこは実はデウス・エクス・マキナではないのだ。あれが出現するにはちゃんと理由というか、根拠というか、つまりこの話の論理からして出てきてもおかしくはないのだ。なぜ、あそこでデウス・エクス・マキナが出現するか、はやはりこの話のキモだ。もっともそこで終らないのが、またこの話の凄いところでもある。
校閲担当の方は綿密な仕事をされて、少しでもおかしなところは容赦なく突込んでくれるので、たいへんありがたい。誤訳や訳が浅いところも多々あって、赤面しながら朱を入れるのもあるが、かなり工夫してうまくいったと思っているところに突込まれるとそれに対処するためうんうん唸ることになる。原文を読みかえし、辞書をひきまくり、天井を仰ぎ、立ちあがって歩きまわり、ジュースを飲んだり、おやつを食べたり、また机、ではなくあたしの場合炬燵にもどる。そうやって何とか、訳語、訳文が出てきてみると、確かに前より良くなっている。原文の読込みが深くなっている。たとえば、世間一般の常識では確かに指摘される通りだが、ここは登場人物がこう捉えているのだと、あらためて納得したりする。
浅倉さんでさえ、校閲担当の方への感謝をあとがきで記されていた。優秀な校閲担当に当るのはラッキーなことで、これもこの『時の他に敵なし』のご利益か。いや、『茶匠と探偵』から同じ方だから、版元のご利益か。もっとも考えてみれば、校閲をやるほどの人は皆優秀なのだろう。ダメな校閲担当という存在がいるとしても、これまでそういうのに当ったことはない。あたしのようなズボラな人間にはとてもできない。たぶん適性もあるのだろう。翻訳者は黒子だが、校閲担当はさらにその裏にいる裏方だ。黒子は黒衣姿で舞台に現れるが、舞台に出ることは絶対に無い裏方もまたなくてはならぬ。
カヴァーは衝撃的ではある。本を魅力的に見せようという、通常の手法の逆をとっている。しかし、最初のぎょっとするショックが収まると、確かにこの本にまことにふさわしいと思えてくる。デザイナーも凄いもんだ。
それにしても、ビショップのこの本をやらせてもらえたことは、何ともありがたく、嬉しいことではある。めぐりあわせを感じる。何とか売れてくれて、『時の他に敵なし』とは対になる Ancient Of Days もできればと願う。あれをやれれば、『時の他に敵なし』のさらに新たな読み方を発見できるはずだ。翻訳をやることで初めて見えてくることがあるのだ。少なくともあたしの場合。
ビショップの他の作品も、少なくとも受賞作である長篇2本、Unicorn Mountain と Brittle Innings もできればなあとは思うが、それは今は夢のまた夢ではある。(ゆ)
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