5月17日・月
先週末のSFファン交の例会はケン・リュウの特集だというので、そういえば、と積読してあった The Grace Of Kings を読んでみる。なぜか出た時にハードカヴァーで買っていて、第2巻 The Wall Of Storms もやはりハードカヴァーで買っていた。
読みだしてみれば、これは中国・秦末漢初の動乱を土台にしている。皇帝マピデレは始皇帝だし、2人の主人公クニ・ガルとマタ・ジンデュはそれぞれ劉邦と項羽だ。クニの結婚までは劉邦の事蹟にかなり忠実に沿っている。クニの妻ジン・マティザは呂雉(呂后)、コゴ・イエルは蕭何になる。「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」まで出てくる。本来これは秦に対して最初の反乱を起こした陳勝が言ったことになっているが、それを劉邦=クニに言わせている。今後、張良、樊噲、韓信、曹参、范増などに相当する連中が出てくるか。それと、どこから、どうやって中国の歴史から離れるか。
始皇帝による初の中国統一から漢による再統一にいたる時期は中国史の中でも屈指の動乱期で、英雄雲のごとく湧き出たたいへんに面白いところだが、司馬遼ぐらいで案外に小説化されていない。やたら人気のある漢末の三国志とは対照的だ。劉邦は庶民から出て天下を取った中国史上たった2人のうちの1人で、もう1人の明の朱元璋より人間的には魅力がある。何より劉邦は性格が明るい。三国志で言えば曹操が一番近いだろうが、曹操よりも一回り、人間のスケールが大きい。曹操が劉邦の同時代人だったら、せいぜい二線級の軍指揮官というところだろう。曹操も含めて、三国志の英雄たちはどうもみんな真面目すぎる。真面目なところが日本語ネイティヴには人気があるんだろうが、だから誰も天下を獲れなかったとも言える。劉邦も項羽もどこか決定的に破天荒なところがある。
ケン・リュウがこの時代を土台に据えたのは面白い。三国志は手垢がつきすぎていることもあるし、劉邦と姓が同じこともあったのかもしれないが、巻頭の献辞によれば、幼ない頃、祖母とともに聞き入ったラジオの pingshu でさんざんこの時代のドラマを聞いたいたことが大きいようだ。pingshu は日本語ウィキペディアでは唐代の説話しか出てこないが、英語版によれば1980年代以降、中国北半分で、とりわけラジオでたいへんに人気のある話芸で、わが国の講談に相当するものらしい。都会では幼ない劉宇昆と祖母のように、家族でラジオにかじりつき、農村では田畑にラジオを持っていって、農民たちは聞きながら農作業をしたそうだ。pingshu は普通音楽はつかないらしいが、あるいは講談よりは、かつての平曲や太平記語りにより近いのかもしれない。ウルドゥ語に伝わる「ダスタン」にも通じるものだろう。ダスタンからは『アミール・ハムザの冒険』というとんでもない代物も出ているが、ケン・リュウが「シルクパンク」と呼ぶこの小説はどこまで行けるか。
ケン・リュウは日本独自編集の作品集が3冊も出るほど人気がある由だが、主著といえばやはりこの The Dandelion Dynasty 『蒲公英王朝記』に留めをさす。第3部になるはずのものが、トランプ政権成立をきっかけに膨れあがり、第1、第2巻を合わせたよりも長くなった。結局第3部は各1,000ページの2冊に別れて出る。この間の事情を伝えるメール・ニュースはなかなか読ませる。とにかく話の向かうところ、キャラクターたちの目指すところにまかせ、ひたすら書き続けた。一つ山を越えるとさらに高い山が聳えている。しゃにむにそれを登ってゆく。作家として持てるものをありったけぶちこむ。それによってさらに成長して得たものもぶちこむ。その結果が第3部だけで80万語、四百字詰め原稿用紙8,000枚、『グイン・サーガ』20冊分になった。
2015年に第1巻、2016年に第2巻とたて続けに出した後、壁にぶちあたったそうだ。それがトランプの登場でギアが入った。ケン・リュウは11歳でアメリカに移住しているが、帰属意識、アイデンティティとしてはアメリカ合州国市民であるようだ。移民の国としてのアメリカ、多様性を基盤とするアメリカを否定するトランプ政権は自分の存在そのものへの脅威だったのだろうか。それに対してどういう回答を出したかを知るには、この第3部まで読まねばならない。その回答はアメリカ市民にとってだけでなく、同じ惑星に同時代に生きる者としてのあたしらにも無関係ではない。多様性を否定することに熱心な社会をめざすこの列島に生きる人間の1人としては、むしろ密接に関わる。
ディレーニィやバトラーに始まる黒人系、Rebecca Roanhorse が飛びだしたアメリカン・ネイティヴ系(Craig Kee Street もいる)、Silvia Moreno-Garcia などのラテン系、Ekpeki Oghenechovwe Donald が台風の眼になりそうなアフリカ系などなど英語圏は多様化の嵐が始まったばかりだが、ケン・リュウやアリエット・ド・ボダール、ミシェル・ウェストのようなアジア系はやはり一番気になるし、共鳴もしやすい。この『蒲公英王朝記』が中国の歴史を土台にしていることは、あたしらならすぐにわかるが、英語圏の平均的読者にはなかなかわかるまい。その点でも有利ではある。第3巻 The Veiled Throne が出る11月は満を持して待ちたい。幸い、ケン・リュウの英語は第2言語であることも作用してか、比較的平易で、読みやすい。(ゆ)
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