5月27日・木

 ゼンハイザーの民生部門の Sonova への売却についてのささきさんの ASCII の記事を読んで思う。結局これはヘッドフォン、イヤフォンというものが、従来の「アクセサリー」の範疇から飛びだして、スマホと同じマスプロ、マスセールスの製品になったということの現れだろう。

 ゼンハイザーはあくまでも「オーディオ・アクセサリー」としてのヘッドフォン、イヤフォンを作っていた。だから家族経営でもOKだった。しかし今や、Apple がヘッドフォンまで作るようになった。音楽鑑賞のメインはストリーミングとイヤフォンのルートになり、しかも無線接続がデフォルトだ。そしてイヤフォンの市場は Apple が圧倒的シェアを持ち、これに次ぐのも Anker などの大企業だ。これはオーディオというようなニッチな、趣味が幅を利かせる範疇ではもはや無い。イヤフォンとヘッドフォンは、スピーカーを中心としたオーディオを完全に飛びこして、かつてのテレビやラジオ、今ならスマホやタブレットのレベルの製品群の一角に座を占めたということだ。そして、ゼンハイザーはそのことをいち早く看てとり、もはやつきあってはいられない、と民生部門を切ったのだ。

 スタジオやライヴなどのロの分野では職人芸がまだ生きている、活かせる。プロ用機材のメーカーに大企業はいない。なれない。そこなら家族経営でまだまだやれる。そういう読みと判断ではないか。

 もう遙か昔、まだ iMac にハーマンのスピーカーが付属していた頃、タイムドメインのライセンス製品を出していたメーカーがそのスピーカーを Apple に売りこんだことがある。音質などの条件はクリアしたが、最低で月100万セット納品できるかと言われて、退散したそうだ。その頃ですでにそういう規模だった。ゼンハイザーはそういう世界からは足を洗うと宣言したのだ。

 民生撤退の理由はおそらくもう一つある。Apple が Dolby Atmos に舵を切り、ソニーも360度サウンドを出し、民生用の音楽再生は DSP が必須になった。それも音の出口のところでだ。これまではただ物理的に音を出していればよかったヘッドフォン、イヤフォンにチップが入った。それも無線接続のためのものに限らず、音楽再生の根幹に関わるものがだ。デジタルはハードウェアだけでは役に立たず、ソフトウェア開発もついてまわる。ゼンハイザーはこれを嫌ったのだ。嫌ったというより、対応できないと潔く諦めたのだ。こういう潔さ、フットワークの軽い転身も家族経営ならではだろう。

 ハイエンド・ヘッドフォン、イヤフォンはまだこれからも出るだろう。が、それを担うのは新しい、たとえばゼンハイザーに比べれば「駆け出し」の HiFiMAN のようなメーカーだろうし、あるいはハイエンドだけを狙った新しいブランドだろう。

 ついでに言えば、スピーカーにも DSP が入って、オーディオの常識がひっくりかえっているなあ。Alexa や Home Pod は AirPods ファミリーに相当するものだが、いわゆるオーディオファイル用のジャンルでも Airpulse A80 や KEF LS50 のようなアクティヴ・スピーカー、そしてその先を行く Genelec の SAM システムによる音場補正は、「使いこなし」とか「セッティング」を無意味にしようとしている。

 もちろん、そんなに簡単にできてしまうのはイヤだ、あれこれ試行錯誤するのが愉しいのだ、という人がいなくなることはない。ヘッドフォン、イヤフォンだって、ケーブルを替え、チップやパッドを替え、クローズドにオープン、セミ・オープン、ダイナミックに静電型、平面型など様々なタイプを使いわけるのを愉しむ人がいなくなることはない。ただ、それはますますニッチな趣味の世界へ入ってゆくだろう。本当に趣味の世界は何でもニッチなものではあるが。(ゆ)