6月3日・木
 
 ハーバートの『デューン』映画公開の報。2度目、だろうか。それにしても『デューン』が話題になるたびに思い出されるのはこの本の誕生にあたって決定的な役割を果たしたスターリング・E・ラニアのことだ。Analog に雑誌連載はされたものの、長すぎるというので、どこの版元からも蹴られていた小説を、連載を読んで追いかけ、当時編集者として勤めていた Chilton から単行本として出した。ラニアがいなかったら、本になっていなかったか、刊行がずっと後になって、埋もれていたかもしれない。その経緯はハーバートとラニアの書簡の形で、The Road To Dune に詳しい。単行本は出たものの、当初は売れず、ラニアはいろいろプロモーションもやっている。Chilton には小説のマーケティングなどやる人間は他にいなかったのかもしれない。


 

 Chilton は本来はマニュアルなどを出していた、というのをどこかで聞いた。SFF関係の小説の刊行はごくわずかで、中では『デューン』と翌年のシュミッツの『カレスの魔女』、そしてラニア自身の Heiro's Journey を1973年に出したのが業績と言える。もっともこの三つを出しただけでも十分ではある。

惑星カレスの魔女 (創元SF文庫)
ジェイムズ・H. シュミッツ
東京創元社
1996-11-17



 Chilton は小説出版の経験がほとんど無かったからこそ、SF出版の「常識」からは長すぎるとして拒否されていたものを出せたのかもしれない。1965年にはラニアがいたせいか、『デューン』の前にシルヴァーバーグやアンダースン、シュミッツの作品集を出している。ラニアがいわば何も知らない経営者をうまく言いくるめて『デューン』を出した、という可能性もないわけではないだろう。とまれ、それによって「歴史は変わった」のだった。

 奇しくもこの翌年には『指輪物語』のマスマーケット版がアメリカで出る。これも当時としては「非常識」なまでに長く、厚い本だった。『デューン』と『指輪』が相次いで出たことは、こと紙の出版という次元に限れば、ひょっとすると12年後の『スターウォーズ』以上に、サイエンス・フィクションにとって革命的なできごとと言えるかもしれない。(ゆ)