Irish Traditional Musicians of North Connacht
Text by Gregory Daly
Photo by James Fraher
Bogfire, Skleen, Co. Sligo, Ireland
2020
228pp.
副題にあるように、スライゴー、メイヨー、ロスコモン、リートリムを含む地域の伝統音楽の担い手108人を肖像写真と音楽的バイオグラフィで紹介する1冊。108人のほとんどはミュージシャンですが、音楽パブのオーナー、研究者、放送関係者も含みます。昔のミュージシャンの記念碑を建てたことで取り上げられた人もいます。
副題にあるように、スライゴー、メイヨー、ロスコモン、リートリムを含む地域の伝統音楽の担い手108人を肖像写真と音楽的バイオグラフィで紹介する1冊。108人のほとんどはミュージシャンですが、音楽パブのオーナー、研究者、放送関係者も含みます。昔のミュージシャンの記念碑を建てたことで取り上げられた人もいます。
108人のうち最年長は1920年生まれ。メイヨー州ドゥーキャッスル出身の Malachy Towey。取材時96歳。2020年、99歳で大往生。本が出た時点での故人は11人。
最年少は2000年生まれ。スライゴー出身の James Coleman と Fionn O’Donnell。取材当時17歳。写真左端ジェイムズ君はフルートの家系でマイケル・コールマンとは別系統です。中央のフルートは 1998年シカゴ生まれの Tom Murray。両親ともガーティーン付近の出身で、2012年に里帰りしました。本人や親の世代に国外に出て、後里帰りして永住するこういう一家は他にもいくつもいます。
女性は26人。最年長は1932年、スライゴー州キラヴィル出身の Tilly Finn。
最年少は1991年生まれ、ロスコモン州バリナミーン出身の Breda Shannon。
生年の年代別人数は以下の通り。右側は女性。フィンタン・ヴァレリーの緒言でも、文章担当 Gregory Daly の序文でも、昔から女性が伝統音楽の一翼を担ってきたことは強調されていますが、いささか贔屓の引き倒しの観があります。むろん、表に出ないところで支えていたこともあるでしょうけれども。まあ、今の時代、男性だけのものにしておくわけにはいかない、という状況に配慮したものではありますね。
1920s 7
1930s 19/ 5
1940s 17/ 4
1950s 25/ 7
1960s 17/ 6
1970s 7/ 1
1980s 8/ 3
1990s 6/ 1
2000 2
出身州別の人数。アイルランド国外出身者も数人いますが、上記トム・マレィのように、その人たちもいずれもこの地域のどこかにルーツを持っているので、それを含めています。ウィックロウ出身の Harry Bradshaw は、マイケル・コールマンの全録音集成をプロデュースした縁です。ウェクスフォード出身のアコーディオン奏者 Jimmy Noctor はここ10年、スライゴー州ガーティーンの The Roisin Dubh のセッションのリーダー。
Fermanagh 1
Galway 2
Kerry 1
Leitrim 16
Mayo 33
Roscommon 15
Sligo 38
Wexford 1
Wicklow 1
楽器別の人数。複数楽器を演奏する人もいるので延数です。無しは担当楽器があげられていない人。本書に記載の通りで、singer と singing の違いはわかりません。ハイランド・パイプの1人は軍楽隊で覚えたそうで、植民地時代の名残りか、アイルランドの軍隊には部隊ごとに軍楽隊があり、ハイランド・パイプ奏者がいて、専門の学校まで軍隊内にあるらしい。
accordion 1(どちらか不明)
button accordion 16
piano accordion 3
melodeon 4
banjo 5
bodhran 5
tambourine 1
bones 1
concertina 3
fiddle 41
flute 38
guitar 5
harmonica 1
Highland pipes 2
multi-instrumentalist 1
piano 7
recitations 1
saxophone 2
singer 18
singing 1
uillean pipes 5
whistle 14
none 7
職業別の人数。これも延数。無しは職業があげられていない人ですが、ここでは本書の主題に沿ったもののみ記されているので、無職というわけではありません。これも composer と tune composer の違いは不明。若い人に音楽教師が多いのは興味深い。
archivist 3
broadcaster 1
radio presenter 1
collector 1
composer 13
tune composer 10
fiddle maker 2
local historian 1
music teacher 26
publican 3
proprietor of music venue 3
publisher 1
radio & record producer 1
researcher 3
songwriter 5
sound engineer 1
teacher 1
writer 1
none 60
108人の中には Catherine McVoy、Carmel Gunning、Ben Lennon、P. J. Hernon、Shane Mulchrone、Junior Davey、Eddie Corcoran、Roger Sherlock、あるいは Harry Bradshaw、またスライゴー州ガーティーンの有名な音楽パブ The Roisin Dubh のオーナー Ted McGowan のようにあたしでも名前の知っている人もいます。またダーヴィッシュの初期メンバーで今はソロで活躍する Shamie O'Dowd の母親 Shiela のような人もいます。ですが、ほとんどはローカルでのみ名を知られる人たちです。また、地元ではミュージシャンとして知られている人たちも、必ずしも全員がとびきりの名人というわけでもなさそうです。
文章を書いている Gregory Daly は1952年、ドニゴール南部、リートリム、スライゴーとの州境付近の出身でフルートを吹きます。本人はリートリム北部、スライゴー南部の音楽の伝統を汲むと自覚している由。写真の James Fraher は1949年シカゴ生まれのアメリカ人で、元はブルーズ・ミュージシャンの写真を撮ることでキャリアを始め、アメリカ在住の人たちからアイリッシュ・ミュージシャンに対象を広げています。現在はスライゴーに住み、パートナーとスタジオをやっていて、本書もそこからの刊行。祖先は1853年にリマリックから移民した人であるそうな。取材、撮影は2015から17年に集中的にされています。その時点ではほぼ全員が存命でした。
写真はそれぞれ音楽との関りがわかる形で、関りのある場所で撮影されています。やはりというか、さすがというか、皆いい顔をしています。何枚か、個々のミュージシャンからは離れた、この地域の雰囲気を示す写真もあります。たとえばマイケル・コールマンの生家や上記 The Roisin Dubh でのセッションなど。前者は今は空き家のようでけど、残ってるんですねえ。
文章は特徴的なものではなく、内容も各々の生涯の中で音楽に関する事柄のみを抜き出しているので、いささか単調なところもあります。ですが、その中からこの地域の伝統音楽や社会の歴史が浮かびあがってきます。また、個々の人の言葉には体験に裏付けられた含蓄があり、教えられるところが多いです。
この本を出した意図はまずこの地域に特徴的な、つまりローカルな伝統の継承です。近年の伝統音楽の隆盛の副作用としてローカルなスタイル、伝統が消えようとしているという危機感が底流にあります。ここに取り上げられている人たちは、10代の若者たちも含めて、ローカルなスタイル、伝統(レパートリィも含みます)に価値を認め、ミュージシャンは自分の音楽として演奏し、ヴェニューのオーナーはこれをサポートしています。
ここでのローカル・スタイルは最年長の人びとがその親の世代から受け継いだもの、19世紀以来のものです。ここはまたコールマン・カントリー、マイケル・コールマンの出身地であり、マイケル本人やアイルランドに残ったその兄ジェイムズとセッションしていた人たちもいるほどで、そのローカル・スタイルは一世を風靡したものでもありました。ただし、この地域の中でもさらに地域によってスタイルやレパートリィにヴァラエティがあり、マイケル・コールマンをエミュレートしようとして、せっかく確立していた独自のスタイルを壊してしまったミュージシャンも多数いたという証言もあります。かつては地域間の移動は徒歩かせいぜいが自転車によるもので、したがってそれほど頻繁ではありませんでした。その困難さ、距離によって各地域の個性が成立していました。スライゴーでも北と南で伝統そのものだけでなく、音楽の有無まで違っていました。またかつては音楽は基本的に誰かの家でのセッションでした。1960年代半ばまで、パブでは音楽はほとんど演奏されていません。
この本が批判の対象としている今の伝統音楽のスタイルには CCE のものと、より商業的なものの二つがあります。CCE の存在はアンビヴァレンツでもあります。それによって音楽伝統がつながった側面と、競争の結果が強調される弊害です。ここに出てくるミュージシャンにも、競技会には無縁の人とタイトルをとっている人がいます。
こうした本が出たことは伝統音楽が常に同時代の状況と切りむすんでいることの現われでもあります。それは何らかの形、位相で常に消滅の脅威にさらされています。伝統音楽はそれを担う人びとの生活様式、社会のあり方を反映するものだから当然で、どちらも常に変化しているからです。1940年代までの生まれの人たちの若い頃の社会は戦後、まったく変わっています。コミュニティがクローズドで、構成員は誰もが他の全員を知っている、ダンスと音楽が主な娯楽の一つである時代は消えました。この時期は音楽に関わる人間は限定されてもいたようです。ここに出てくる人びとはほぼ例外なく音楽家の家系です。生まれる前から家に音楽がありました。60年代生まれの人間は、周囲の同年代に伝統音楽をやっている人間は他にはいなかったと口を揃えます。これが90年代の生まれになると、同年代で伝統音楽をやるのはごく普通になります。
ここでいう「古い音楽」1930年代生まれぐらいまでが若い頃に吸収した音楽が全盛だった頃も、安泰などではなかったでしょう。ダンス・ホール条例もあり、ケイリ・バンドや、fife and drum band は大きな存在でした。家でのセッションがメインということは、かなりクローズドなものだったはずです。無縁の人間がふらりと参加するわけにはいかなかったでしょう。最もパブリックだったのはダンス・パーティー、ケイリで、そこでは誰もが踊ったかもしれませんが、ダンスのための音楽を供給する人間は限られました。その時代、それ以前の時代の状況が伝統音楽にとって有利だったところがあるとすれば、音楽が共同体の生活の一部に不可欠のものとして組込まれていたことです。競争する他のメディア、娯楽もありませんでした。レコードも限られたものしか無く、それはお手本、曲のソースであって、娯楽として聴くのはむしろ少ない。ラジオも同じ。そうしたものを聴く目的は自分で演奏する素材を得るためです。レコードやラジオを聴くこと自体が目的なのではありません。そこで聴いた音源を探すガイドとするためでもない。中心はあくまでも自分で演奏することでした。
とはいっても、独りだけで演奏する、あるいはしていたわけではありません。アイリッシュ・ミュージックの核心をこれ以上無いほど端的に表した言葉が出てきます。
「音楽を演奏する歓びは他のミュージシャンとその体験を共有することなんだ。ステージの上や審判の前で演ることじゃない。たとえば家であるチューンを覚えたとする。すると、誰か他にその曲を知らないか、といつも探しはじめるんだ。いればそれを一緒に演奏できるからね」216/217pp.
1981年スライゴー生まれのフィドラーでシンガー Philip Doddy の言葉です。共有の確認。ある曲をともに知っていることの確認こそが歓びになります。だからユニゾンになるわけです。ハーモニーは不要、むしろ邪魔でしょう。
あるいはアイリッシュ・ミュージックに限らず、音楽体験の根底にあるのは共有なのかもしれません。知っている曲で声を合わせるのも、同じヒット曲を聴いて盛り上がるのも、共有の一つの形ではあります。アイリッシュ・ミュージックではそれが最もシンプルで直截な形で露わになる、ということでしょう。
さらに、共有は音楽だけではなく、あらゆる文化活動の根底にあるのかもしれません。その昔、植草甚一が本が好きになる理由を問われて、本の好きな友人がいること、同じ本をあれはいいよねえと確認しあうことで本当に良くなるんだ、と答えていました。
アイリッシュ・ミュージックにもどれば、たとえばわが国でアイリッシュをやる時に心掛けることとして、バンジョー奏者シェイン・マルクロンの言葉(189pp.)はヒントになると思われます。かれのソロ《Solid Ground》は、かつてのマレード・ニ・ウィニー&フランキィ・ケネディの《Ceol Aodh》にも相当する傑作です。われわれにアイリッシュ・ミュージックが生きてきた社会はありません。とすれば、何をそこに注ぎこむか。一つはその楽曲をこれまで演奏してきた過去の全てのミュージシャンへのリスペクト、感謝を込めること。もう一つは自分の生き様、どのように生きているのか、どんな人間を、人生を目指しているのかを込めること。そして、その音楽といつどこでどうやって出逢ったか、その曲のどこに自分は惹かれていて、演奏の中で何を最も表したいか。そうやって楽曲を自分だけのものに独占しようとするのではなく、あくまでも共有を目指すこと。
この地域は楽器別のリストでも明らかなようにフルートとフィドルが特徴的ですが、バゥロンの伝統があったという記述もあります。1940年代の話らしく、当時「バゥロン」と呼ばれてはいなかったはずですが、興味深いところ。関連する録音など聴きながら読みこんでゆくと、さらにいろいろ面白い発見がありそうです。(ゆ)
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