2月の shezoo さんの『マタイ2021』で登場した4人のシンガーのうち、一番強烈な印象を受けたのが行川さをりさんだった。この時が初見参でもあったけれど、それだけでなく、粘り強く、身の詰まった声には完全にやられた。他の御三方が劣るというわけでは全然無いけれど、行川さんの歌う番になると一人で盛り上がっていた。その行川さんと shezoo さんのピアノ、それに田中邦和氏のサックスというトリオのライヴ。初体験。

 このトリオの名前は shezoo さんオリジナルの1曲からつけられていて、その曲は前半の最後。行川さんの声の粘りが効いている。今回初めてわかって感嘆したのは、大きく張るときだけではなく、小さい声を途切れずに続けるときの粘りだ。冒頭の Butterfly でまずそれにノックアウトされる。それに張り合うようにサックスも小さく、ほとんどブレスだけのようだが、そこにちゃんと音を入れて小さく消えるのがなんとも粋。この曲は先日、エアジンでの夜の音楽でもアンコールでやって、いい曲だけど歌うのはたいへんだろうなあと思っていた。奇しくも今回はこの曲から始まる。奇しくも、というよりこれは shezoo さんの仕掛けか。

 2曲めは行川さんの詞に shezoo さんが曲をつけたチョコレート猫。ここで早速即興になる。夜の音楽では曲目にもよるのか、珍しく即興が少なかったけれど、今回はたっぷり入る。shezoo さんのライヴはこれがないとどうも物足らない。行川さんは声で積極的に即興に参加してゆく。全体にあまり激しくならない。声が細いまま、しっかりとからむ。ここだけでなく、行川さんは即興に必ずからむ。音を伸ばしたり、細かく刻んだり。shezoo さんのアンサンブルにシンガーのいるものは多い、というか、近頃増えているが、ここまで即興にからむ人は他にはいない。声が即興にからむと、ピアノもサックスもそれを中心にするようだ。楽器同士だと対抗するところを、声が相手だと盛りたてる方向に向かうのか。行川さんの声の質のせいもあるか。こういう身の締まり方、みっしりと中身が詰まっている感覚の声は、他にあまり覚えがない。

 後半はバッハから始まる。シンフォニア第13番からメドレーでマタイの中から「アウスリーベン」。あの2月の感動が甦る。これですよ、これ。シンフォニアのスキャットもすばらしい。やはりこれが今日のハイライト。それにしても、やあっぱり、この『マタイ』、もう一度生で聴きたい。2月の公演の2日め、最後の全員での演奏が終った瞬間、全身を駆けぬけたものは、感動とかそんな言葉で表現できるようなところを遙かに超えていた。超越体験、というと違うような気もするが、何か、おそろしく巨大なものに包みこまれて生まれかわったような感覚、といえば最も近いか。

 後半は充実していて、カエターノ・ヴェローゾがアルゼンチンのロック・シンガーの歌をカヴァーしたのもいい。クラプトンの「レイラ」のような、他人の奥さんへのラヴ・ソングで、結局その奥さんを獲ってしまったというのまで同じらしい。いきなり即興から入り、ヴォーカルは口三味線ならぬ口パーカッション。ちょっとずらしたところが、うー、たまりません。

 なつかしや「朧月夜」は、このトリオにしてはストレートな演奏。でも、これもいい。そしてラストは、おなじみ Moons。イントロのピアノがまた変わっている。この曲、やる度に変わる。名曲名演。アンコールは「天上の夢」。この日、サックスが一番よく歌っていた。

 行川さんは出産・育児休暇で、このユニットの生はしばらく無いのはちょと寂しいが、コロナ・ワクチン接種を生きのびれば、また見るチャンスもあろう。まずは行川さんの歌を生で至近距離でたっぷり味わえたのは大満足。この日のライヴは5月のものが延期になったので、あたしにはラッキーだった。場所は東急・東横線が引越したその跡地に引越した Li-Po。街の外観は変わったが、若者の街なのは相変わらず。昔からそうだったけど、こういうライヴでも無ければ、老人に縁は無いのう。(ゆ)