翻訳作品集成サイトの雨宮さんが、『時の他に敵なし』をまったく読めない、とされているのに、ぎゃふんとなる。困ったことである。ビショップはマニアの好き心をくすぐる時もあるけれど、一方でSFFのマーケットの存在など忘れたように、その「約束ごと」に徹底的に背を向けることがある。これなどはその極北の例かもしれない。書き手のツボにははまるのだ、たぶん。こういう作品を書いてみたい、と思わせる。あるいは、こういうのは自分には書けないと思わせる。
しかし、読み手にとっては要求するレベルが高い。サイエンス・フィクションの「約束ごと」の一つは、核になるアイデアは何らかの形で明瞭に示すことだ。最後に誰の目にもわかる形で提示することでカタルシスを与える、というのが典型的だ。次に多いのは冒頭ないし初めの方で提示しておいて、そこから生まれるドラマを描く。
ところがここではそういうことをまったくやらない。時間旅行というアイデアは提示されるけれど、これは核になっているアイデアの片方の側面だけだ。もう一つの、裏の側面と合わせて初めて全体像が現れる。そして裏の側面の方は、意図的に隠されているわけではないけれど、巧妙に散らばされていて、あたしには再読してようやく見えはじめた。翻訳をやりながら、だんだんに見えてきて、ここがそうなら、そうか、あそこはこういうことか、いや、それならあっちにもあったぞ、と徐々につながってきた。再校ゲラで初めて、ああ、そういうことだったのか、とだいぶはっきりしたところまできた。まだ全部わかったという自信はない。1年くらいあけて読みかえしてみてどうなるか。とはいえ、わからなくても面白くないわけではなく、見えなかったことがだんだんに見えてくるそのプロセスはむしろスリリングだった。見えてみると、その記述の仕方はストーリーに溶けこんでいて、その巧さにまた唸った。
あるいは読めないのは構成の複雑さからだろうか。この話は大きく2つ、主人公が過去に「実際に」旅立つまでと、旅立った先の過去での部分に分けられて、各々の章が交互に並ぶ。旅立つまでの部分の各章は時間軸に沿ってではなく、入り乱れて並んでいる。入り乱れていることにもちゃんと理由が述べられる。各章のタイトルに年号が記されているけれど、それだけではあたしは混乱してしまいそうだったから、作業用に目次を作った。原書には目次はなく、したがって訳書にも入れなかった。目次を作るという手間をかけるかどうかは読者の判断だろうし、手間をかけるのも楽しめる。それにひょっとすると、こういう構成をとったのには、読者を混乱させる意図もあるかもしれない。担当編集者のハートウェルと一緒に、綿密に確認したというのは、書き手自身も混乱してしまいそうになったことも示唆する。
あたしはとにかく面白くてしかたがないのだが、どう伝えればこの面白さが伝わるか、困ってもいる。裏のアイデアは見つけるのが楽しい、自分で読み解いて初めて快感がわくので、明かしてしまってはそれこそネタバレで、興醒めもいいところだ。ヒントを出すのさえためらわれる。
雨宮さんのコメントが困ったことなのはもう一つある。読めないのは話の問題ではなく、あたしの訳の問題であるかもしれないからだ。そうであるなら、訳としては失格だ。原文は読めないどころではない、すらすらと読める。むしろ最もすらすら読める文章の一つだ。それが読めないとすれば、日本語としてはOKでも、小説の邦訳としては落第なのかもしれない。どこをどう直せば読める翻訳になるのか、見当がつかないから、途方に暮れる。(ゆ)
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