Skull & Roses 50周年記念盤ボーナス・ディスクに一部が収録されたので、あらためて聴いてみる。
この日のショウは FM放送されたのでアナログ時代からブートが出ている。音質はかなり良く、放送局からの流出だろう。今回公式リリースされたトラックはそれと入替えて聴く。
この日はデッドがフィルモア・ウェストに出た最後の日。フィルモア・ウェストは2日後、7月4日にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスが大トリを勤めて閉鎖された。以後デッドの「ホーム」は音楽専用施設に改装されたウィンターランドになる。
フィルモア・ウェストの建物はデッドがジェファーソン・エアプレインなどと共同で経営した Carousel Ballroom と同じもので、収録人数は2,500。DeadBase 50 ではカルーセルとフィルモア・ウェストを合わせて59回演奏としている。Deadlists によれば、フィルモア・ウェストだけでは45回。
今回公式リリースされたのは前半最後の Good Lovin' と後半のほとんどになる。セット・リストでみるとこうなる。
One 14
01. Bertha [5:47]; 8:03
02. Me And Bobby McGee [5:38]; 7:09
03. Next Time You See Me [3:50]; 5:30
04. China Cat Sunflower [4:50] > 5:43
05. I Know You Rider [5:47]; 7:04
06. Playing In The Band [4:54]; 8:05
07. Loser [6:33]; 9:51
08. Ain't It Crazy (aka The Rub) [3:34]; 5:16
09. Me And My Uncle [3:10]; 3:50
10. Big Railroad Blues [3:35]; 3:50
11. Hard To Handle [7:19]; 8:17
12. Deal [6:13]; 6:30
13. The Promised Land [2:46]; 3:32
14. Good Lovin' [17:16] Grateful Dead 50th 17:47
Two 12
15. Sugar Magnolia [6:41]; 6:59
16. Sing Me Back Home [9:48] ; Grateful Dead 50th 10:16
17. Mama Tried [2:47] ; Grateful Dead 50th 3:08
18. Beat It On Down The Line 2:06
19. Cryptical Envelopment [2:02] > Grateful Dead 50th 2:25
20. Drums [5:16] > Grateful Dead 50th 5:13
21. The Other One [15:40] ; Grateful Dead 50th 15:51
22. Big Boss Man [5:18] ; Grateful Dead 50th 5:27
23. Casey Jones [5:36]; 6:32 (Fillmore: The Last Days)
24. Not Fade Away [3:49] > Grateful Dead 50th 3:57
25. Goin' Down The Road Feeling Bad [7:22] > Grateful Dead 50th 9:39
26. Not Fade Away [3:35] Grateful Dead 50th 2:35
Encore
27. Johnny B. Goode [3:43]; 3:59 (Fillmore: The Last Days)
この日の演奏をデッドは気に入っておらず、『フィルモア最後の日』には入れないでくれとグレアムに求め、グレアムは怒りくるった。結局 Casey Jones と Johnny B. Goode が収録される。一方でデッドはグレアムに LSD の入った飲物を飲ませるというイタズラをしかけ、グレアムはその体験を大いに喜んだ、と伝えられている。
しかし、あらためて聴いてみれば、前半こそ、今一つの観はあるものの、前半の半ば過ぎ、Hard to Handle でスイッチが入った後は第一級の演奏が続く。むしろ、Dave's Picks あたりできっちりと出してほしかった。同じく FM放送からのブートが出ている 1971-12-10 は、10月に出るボックス・セットに合わせて独立でもリリースするのを見れば、今回こういう中途半端な形で出したのはやはりデッドのアーカイヴにあるテープに問題があったのだろう。
その Hard to Handle では珍しく、ウィアもソロをとり、これもなかなか良い。
公式リリースといえば、Live/Dead の元になったフィルモア・ウェストでのショウの完全版を出したように、Skull & Roses の元になったニューヨークでのショウの完全版を期待しているのだが、これもテープに問題があるのかもしれない。
1971年は前年、Workingman's Dead と American Beauty で大きく舵を切った、その方向性はゆるがないものの、ここで新たに入ったレパートリィはまだ消化過程で、未完成のものが多い。それぞれの曲がどうなってゆくか、手探りしているところがある。5分しかない Plyaing in the Band で冒頭ウィアは歌詞が出てこない。全体としては曲のアレンジがシンプルで、とりわけコーダがあっさりしている。後にはコーラスになる曲をまだ独りで歌っていたり、リピートがほとんど無かったりする。Mama Tried や The Other One でのウィアのヴォーカルがやや遅めで、余裕があるのも手探りの一つだろう。
The Other One は Cryptical Envelopment で前後がはさまれ、Drums はごく短かい組曲から、後ろの Cryptical Envelopment が落ち、ドラムスが明瞭に膨らんできている。この後、さらに序奏の Cryptical Envelopment も消えて、特徴的な最低域から駆けあがるベースに始まる形になる。ここでは2番の歌をはさんで前後に〈スペース〉的なジャムを展開しているのが面白い。この不定形なジャムももっと拡大してゆく。過渡期の形だが、このスペースになりそうでなりきらないジャムも面白い。
一方、Deals でのガルシアのヴォーカルは発音がひどく明瞭だ。ガルシアは歌がヘタだと言われ、実際にそういう部分もあることは否定できないが、Before The Dead のオールドタイム、ブルーグラス時代やこの時期のガルシアはうたい手として、むしろウィアよりも上とも言える。フォーキー時代の録音ではギター一本で十分聴かせるものもある。少なくとも休止期までのガルシアはシンガーとしても精進していたように見える。1980年代以降、うたい手として「ヘタ」になるのは、むしろ意識してそういうスタイルを作ろうとしていたのではないか。ひとつにはブレント・ミドランドの加入で、うたい手として張り合うことをあえて避けたのかもしれない。デッドはインストルメンタルでの緊張感が半端ではなく強烈だから、この上ヴォーカルでも張り合ったのでは、自分たちもリスナーも保たないと、直観したのかもしれない。
もう一つの可能性として、体力の問題も考えられる。歌はギター演奏に比べれば格段に体力を要求される。いわば指だけ動かしていればいいギター演奏に対して、歌は全身運動だ。1980年代以降、基礎体力が衰えて、両方にエネルギーを割くことが難しくなったのではないか。あの力の抜けた、ふにゃふにゃしたヴォーカル・スタイルは意識してそう作ったというよりは、いわば自然に、否応なくそうなっていったのかもしれない。1986年夏の糖尿病による昏睡にいたるまで、ガルシアが自分の健康の維持には無頓着だったことは明らかで、好物のアイスクリームが常食という時期すらあった。1990年代に入ってのガルシアの容貌はとても50代前半の人間のものではない。
このショウにもどれば、ブートの音質も悪くないが、公式リリースではまず背景ノイズが消えて、楽曲がより浮上する。一つひとつの楽器、声の輪郭がはっきりする。ブートではピグペンのオルガンがほとんど聞えないが、公式ではちゃんと聞える。ブートでは眼前でやっている感じだが、公式ではホールの広がりがわかる。ガルシアとウィアとピグペンで距離感が異なるのもよくわかる。マイクとの距離のとりかただろうか。ガルシアはやや遠く、ウィアが一番近い。
ガルシアのギターもこの時期、変わりはじめている。1970年頃から始めた、デッドとは別のソロのギグの成果とも見える。かつてのブルース・ギターをベースとしたものから、明らかにジャズ寄りの手法、フレーズが増えてくる。ここでの Hard to Handle、Good Lovin'、Not Fade Away などのギターはそうした新しいスタイルの代表だ。起伏の少ない、メロディが明瞭にならない、いわゆるロック・ギターとは別世界の演奏だ。もちろんジャズ・ギターとも違う。Good Lovin' ではレシュのベースとのほとんどバッハ的なポリフォニーと言えるものまで聴ける。
ガルシアのギターは超絶技巧を披瀝しないから、人気投票などでは上位に来ないが、ごくシンプルな音やフレーズを重ねてそれは充実した音楽を生みだしたり、起伏のない、明瞭なメロディにもならないフレーズを連ねて、身の置きどころのないほど満足感たっぷりの音楽体験をさせてくれる。ジャズやインド、アラブの古典音楽の即興のベストのものに並べても遜色ないレベルの演奏を聴かせる。音楽的な語彙が豊冨だし、表現の抽斗の数も多くて、中が深い。こういうギタリストは、ロックの範疇ではまず他にいないし、ジャズでも少ないだろう。ザッパはもっと超絶技巧的だ。むしろ、ザッパと共演したシュガーケイン・ハリスのヴァイオリンの方が近い気がする。
ガルシアのギターは超絶技巧を披瀝しないから、人気投票などでは上位に来ないが、ごくシンプルな音やフレーズを重ねてそれは充実した音楽を生みだしたり、起伏のない、明瞭なメロディにもならないフレーズを連ねて、身の置きどころのないほど満足感たっぷりの音楽体験をさせてくれる。ジャズやインド、アラブの古典音楽の即興のベストのものに並べても遜色ないレベルの演奏を聴かせる。音楽的な語彙が豊冨だし、表現の抽斗の数も多くて、中が深い。こういうギタリストは、ロックの範疇ではまず他にいないし、ジャズでも少ないだろう。ザッパはもっと超絶技巧的だ。むしろ、ザッパと共演したシュガーケイン・ハリスのヴァイオリンの方が近い気がする。
ラストの Not Fade Away > GDTRFB > NFA はこの時期、ショウの締め括りの定番。2度めの NFA ではピグペンもヴォーカルに参加して、元気がある。ただ、かれが入っている割に十分展開しきったとまでは言えない。
1971年はいろいろなことが起きている。ハートとピグペンの離脱、キースの参加、レコード会社の設立、デッドヘッドへの呼び掛けと応答。春にはショウの中で、聴衆を巻きこんで、超能力の実験に参加してもいる。そしてこの時期、大学でのショウを積極的に行いはじめる。当時はめだたなかったが、デッドがショウを行った大学はスタンフォード、コーネル、ラトガース、プリンストン、コロンビア、イエール、ジョージタウン、ワシントン、ウィリアム&メアリ、MIT、UCBA、UCLA などなど、アメリカでもトップ・クラスの名門が多い。ここでデッドのファンになった学生たちが、後々デッドヘッドの中核を形成する。こうした大学の卒業生はアメリカ社会の上層部に入るから、デッドヘッドはそうした上層部にも広がる。上院議員やノーベル賞受賞者もいる。後々への布石がたくまずして置かれた年だった。
1971年は翌年のピークへの助走の時期という認識でいたのだが、こうして聴いてみると、過渡期には過渡期なりの面白さがある。これを機会に71年を集中的に聴いてみるかという気になる。(ゆ)
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