アリエット・ド・ボダールや最近の Nghi Vo、Violet Kupersmith など、ヴェトナムにルーツを持つ書き手たちに惹かれて、あの辺りの歴史に興味が湧き、ちょうど出た本書を手に取る。17世紀までを三つの章でカヴァーするというのは、もう少し中世史にスペースを割いてもらいたかったところだが、全体としてのペース配分はまあ妥当の範囲ではある。地域史に閉じこもるのではなく、大きな世界史全体の中で、その東南アジア的位相として捉えようという姿勢は、最近の歴史学の流れを汲んでいるのだろうし、それはよく機能してもいる。この地域は狭く見えるけれど、地域によって案外に違いがあるとわかったのは、今回の収獲の一つだけど、その各地域への目配りもバランスがとれていて、東南アジアの通史入門としては立派なものだ。各地域、あるいは時代に突込みすぎて、全体像が見えなくなったら、戻ってこれるくらい、しっかりもしている。
西はビルマ、東はパプア、南はインドネシアから北はフィリピンまで、まとまっているようでもあり、また本人たちも ASEAN という形でまとまろうとしている一方で、現在、主権国家として成立している各国は、それぞれに相当に異なる。つなぐものは稲作と交易と本書冒頭にある。ここは中華世界とインド世界をつなぐ位置と役割を担った。そういう意味では、ユーラシア大陸どん詰まりのヨーロッパ半島とは性格を異にする。むしろ、バルカンに近いんじゃないか。
大きくは大陸部、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムと、インドネシア、フィリピンの島嶼部に別れる。マレーシアは両方にまたがる。
あたしにとって東南アジアの不思議はまずインドシナ半島、とりわけ、ヴェトナム、ラオス、カンボジアの三つが、「歴史上かつて統一的な権力をいただいたことのない、文明的にもきわめて異質な諸社会」(101pp.)であること。フランスがここを仏領インドシナとして植民地化したのは、だから相当に無理をしていた、とある。
このうちヴェトナムは東南アジアの中でも中国の影響を最も直接に受けていて、中華世界の一員でもあった。朝鮮、日本、琉球、満洲、内モンゴルなどと同じだ。ラオス、カンボジアまではインド世界に含まれ、マレー半島、インドネシア諸島にイスラームが入るのも、インド経由だ。
面白いのは、マレー半島にもインドネシアにも、いわゆる華僑の形で、中国人、ここでは華人と呼ばれる人たちが大量に入っているのだけれど、そちらの地域では、自分たちが中華世界の一員だという自覚は無かったらしい。ヴェトナムだけがその自覚を持ち、それによって、他のインドシナ半島の地域に対して優越感を持っていたことさえあった由。
そのヴェトナムは著者の専門でもあり、さすがにやや突込んだところもある。11世紀に最初の独立王朝の李朝が成立し、ここから1804年までは国号は大越を称した。アリエットがそのシュヤ宇宙のシリーズの王朝を Dai Viet すなわち大越と呼ぶのは、ヴェトナム人にとってはこの国号が王朝として最もなじみのあるものだからなのだろう。
中華世界の一員としての優越感と裏腹に、独立王朝以後のヴェトナムは中国を常に警戒し、その影響を排除ないし薄めることに腐心してゆくのも面白い。ホー・チ・ミンたちにとって、ヴェトナム革命は当初、ソ連とも中国とも違う、独自のものとして出発する。冷戦の進展によって、否応なくソ連、中国側を頼らなければならなかったのは、むしろ不本意なことだったそうな。
ヴェトナム戦争は特需となって日本の高度経済成長を支えてくれたわけだが、日本にとってだけでなく、シンガポールやタイにも恩恵をもたらす。朝鮮戦争の「教訓」が「活かされた」戦争というのもなるほどとメウロコだった。1975年の終結からもうすぐ半世紀。これまでヴェトナム戦争というと、あたしなどはどうしてもアメリカ経由で見てしまう。しかし、実際に戦争が戦われたこの地域から見ることも、当然必要だし、そうなると、あらためて興味が湧いてくる。
わが国との関係で目に留まったのが、「『大東亜共栄圏』の経済的側面」のこの一節。150pp.
「経済面では、日本軍の東南アジア支配は、それまで築かれていた宗主国との関係や、アジア域内交易などの貿易構造を切断して、日本を東南アジアの鉱産物資源やその他の戦略物資の独占的輸入国とした。それは裏返せば、日本が東南アジアに対する工業製品の一元的輸出国とならねばならないことを意味していたわけだが、この時期の日本の経済力は脆弱で、十分な工業製品の供給能力をもっていなかった。そこで起きたのは、十分な工業製品供給という対価なしでの資源の略奪という、いわば「最悪の植民地支配」だっ。大戦末期には、連合軍の反攻で、海上交通に困難を来すようになったことも加わり、どこでも深刻なモノ不足とインフレが発生した」
日露戦争の結果で日本は国際社会でいわば一流半国の扱いになり、それからは帝国主義国家としてふるまおうとする。しかし、こうなると、帝国主義国家としての資格には欠けていたわけだ。日露戦争から太平洋戦争開始までの30年間、わが国の経済は何をしていたのだろう、とあらためて興味が湧く。端的に言えば、何を作っていたのだろう。そうしてみれば、戦前の経済史について何も知らない。
東南アジアと日本軍政の関係でいえば、中井英夫の父親・中井猛之進は戦時中、ジャワ島ボゴールにあった、当時東洋一のボイテンゾルグ植物園長であり、陸軍中将待遇の陸軍司政長官だった。そのことをめぐって、鶴見俊輔が東京創元社版全集第8巻『彼方より』の解説に書いていて、なぜか、印象に残っている。鶴見は当時、バタヴィアにあった海軍武官府に嘱託として勤務していて、中井猛之進に会っている。中井英夫という、およそ時代から屹立している書き手が、本人は否定したいものながら、時代と深くからまりあっていることが、思いがけず顔を出しているからだろうか。鶴見と同じく、あたしも『黒衣の短歌史』が大好きで、『虚無への供物』と『とらんぷ譚』のいくつかを除けば、中井の最高傑作ではないかと思っているくらいだ。この全集で『黒衣の短歌史』と同じ巻に収められて初めて世に出た中城ふみ子との往復書簡はまた別だけれども。
フィリピンのナショナリズムの先駆者だったホセ・リサールの胸像がどうして日比谷公園にあるのか、とか、ビルマ独立に深くからんだ参謀本部の鈴木敬司大佐とか、ゾミアとか、いろいろときっかけやヒントが詰まっっている。となると、これは入門書としては理想に近い。(ゆ)
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