10月08日・金
FiiO FD7, FDX 国内販売発表。FD78万はまあ妥当なところ。ケーブルもすでに独立販売されているから、FDX を買う必要もない。先日もダイヤを鏤めた300万のイヤフォンが出ていたけれど、こういうものを欲しい、と思う心情は正直わからん。あるいは音が変わるかもしれんけど、良くなるとも思えないし、あたしにその違いがわかるかも疑問。イヤフォンはどんどん進化かどうかわからないが、変化していて、新製品が次々出るから、こういうものも装飾以外の中身はすぐ古くなる。オーディオ機器はどんなに「最高」のものが出ても、必ずそれを凌ぐものが出てくるので、「一生モノ」などありえない。だいたい「一生」使えるほど頑丈な機械なんぞ、滅多にあるもんじゃない。この年になると「一生」も短かいから、死ぬまでこれでいい、というのもある。A8000はその一つだけど、だから買っちゃうと死んじまうような気がするのだ。
iFi ZEN Stream 5万。FD7よりこちらの方が先だな。これにも Tidal は入ってるが、Qobuz は入っていない。
##10月08日のグレイトフル・デッド
1966年から1989年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1966 Mt. Tamalpais Amphitheatre, Marin County, CA
"1st Congressional District Write-In Committee for Phil Drath and Peace Benefit" と題された午後2時からのイベント。ポスターは熊のプーとコブタが地平線で半分に切られた朝日または夕陽に向かって歩いてゆく後ろ姿がフィーチュアされ、出演者としてジョーン・バエズ、ミミ・ファリーニャ、デッド、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの名がある。デッドとボラ・セテの名があるチラシも残っている。
2. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
前日に続き、ウィンターランドから移動した公演。バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレインと共演。
3. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
ここでの3日連続の初日。"Jerry Garrceeah (Garcia) and His Friends" の名義になっていて、ウィアとピグペンは不在。一方、San Francisco Chronicle のラルフ・グリースンのコラムでは同じ日付で "The Grateful Dead and Elvin Bishop" が演奏する、となっている。
残っているセット・リストでは三部に別れ、第三部はエルヴィン・ビショップ、ジャック・キャサディ、ミッキー・ハートという面子で演奏したそうな。第二部の終りにガルシアがビショップとベースのキャサディを呼出し、Mickey Hart & the Hartbeats と紹介。ビショップは、今日ここで演奏するはずだったんだが、リズム・セクションが来られなかったので、これでジャムをする、とアナウンス。後の2日も同様のことをやったらしい。
4. 1981 Forum Theatre, Copenhagen, Denmark
この年、2度目のヨーロッパ・ツアー。ロンドン4日間の次の寄港地。
5. 1983 Richmond Coliseum, Richmond, VA
まずまずのショウ、らしい。
6. 1984 The Centrum, Worcester, MA
2日連続の1日目。後半は冒頭から最後まで1本につながっている。この日は Willie Dixon の曲でマディ・ウォーターズの持ち歌〈I Just Want To Make Love To You〉をやって、全体にブルーズ基調だったそうだ。この曲は1966年、1984年(2回)、1995年に4回のみ演奏された。
7. 1989 Hampton Coliseum, Hampton, VA
2日連続の初日。18.50ドル。夜7時半開演。2日間の完全版が《Formerly The Warlocks》ボックス・セットとしてリリースされた。
この2日間のショウは1週間前まで開催が伏せられ、チケットはいつもの通販はせず、ハンプトン市内3ヶ所のみで販売され、さらに "Formerly The Warlocks" の名前で行なわれた。1987年の〈Touch of Grey〉のヒットによってデッドの人気が高まり、デッドのショウについてまわる「サーカス」が膨れあがって、ショウの会場周辺がキャンプと "Shakedown Street" と呼ばれた青空マーケットに埋めつくされるようになり、これを嫌う地元の住人との軋轢が深刻になっていた。トラブルを最小限にするため、実験として、サプライズの手法がとられ、ある程度成功したことで、後に何度かこの方式が採用される。
デッドヘッドの大群は会場周辺に多額のカネを落としたし、デッドヘッドは他のロック・コンサートの聴衆とは別次元なほど暴力を嫌い、平和的な人間だったから、商店は一般に歓迎したが、そうでない住人は、普段は見慣れない外見と、非合法とされるブツがごくあたりまえに存在するのに鶏冠を逆立てたらしい。自分は偏見や差別意識などない「まっとうな市民」だと思いこんでいる人間ほど、偏見と差別にこり固まって騒ぎたてるものだ。しかし、この頃になると、そういう人間たちのたてる騒音がショウそのものの成立を脅かすほど大きくもなっていた。バンドは会場周辺でのキャンプや物販をやめるよう要請する手紙を、メンバー全員の署名入りで通販のチケットに同封することもする。
音楽ではなく、キャンプや物販だけを目当てに来る人間も多かったから、そういう連中にはバンドの声は届かなかっただろう。また、問題を起こすのはそういう連中でもあった。このことは古くからのトラヴェル・ヘッド、デッドのショウについてまわるデッドヘッドたちにとっても死活問題になりえた。こうなった要因の大きなものは1980年代後半の急激なファン層の増加だ。新たにファンとなった人たちはいわばデッドヘッドとしての作法をわきまえなかった。デッドの音楽、それも表面的な部分に反応していたので、古くからのデッドヘッドたちのようにバンドと世界観を共有するところまでは行っていなかった。デニス・マクナリーはバンドの公式伝記 A Long Strange Trip の中で、もう一発ヒットが出たなら、バンドは潰れていただろうと言う。
一方でデッドが生みだす音楽、ショウの中身の方は、1986年末のガルシアの昏睡からの復帰以後、右肩上がりに調子を上げてゆく。1988年から1990年夏までは、1972年、1977年とならぶデッドの第三のピークだ。あたしにはこの第三のピークはその前二つのピークを凌いで、デッドが到達した頂点とみえる。そしてこの2日間は1989年の中でもピークと言われる。
後半冒頭〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は1985-09-12以来、4年ぶりに登場。会場を埋めた14,000のデッドヘッドの大歓声が音楽をかき消さんばかり。デッドヘッドはなぜか、長いこと演奏されなかった曲が復活すると喜ぶ。翌日にもかれらには嬉しいサプライズがある。
ある人の回想。ショウが始まって間もなく、彼とその友人たち数人が入口前のロビーのゴミを掃除していた。この頃になると新しいファンが増えたために、会場周辺のゴミの量もケタ違いに増えていたらしい。これを掃除していたわけだが、それを見ていた警備員の一人が、掃除を終えた彼らに合図して扉を開け、中に入れてくれた。そこらにたむろしていた連中も続こうとしたが、たちまち数人の警備員が現れて、掃除をしていた者たちだけを入れた。
ライナーでブレア・ジャクソンが、前半を終えた時点で、「こいつら、今日はオンになってる」と思ったと言うとおり、すべてがかちりと噛みあって、湯気をたてている。いつもはあっさり終る〈Big River〉でソロの投げ合いがいつまでも続く。こうなっても、もちろんミスはあり、意図のすれ違いもあるのだが、ミスもすれ違いもプラスにしか作用しなくなる。〈Bird Song〉の後半のジャムは、混沌と秩序、ポリフォニーとホモフォニー、音の投げ合い、エゴのぶつかり合いと音楽の共有の理想がすべて共存する、デッドのジャムがこの世を離脱してゆくゾーンに入る。わやくちゃなのに筋が通ってゆく。やっている本人たちもどこへ行くのかわからない。でも、その最中にふっと道が見えて、もとの歌にするりと戻る。この快感!
後半、〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉は見事だが、〈Victim or the Crime〉の荘厳さに打たれる。こんなに威厳をもってこの歌がうたわれるのは、覚えが無い。(ゆ)
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