1020日・水

 Grado The White PHAntasy でデッドを聴いてみる。アンバランスしかない機種はむしろオリジナルの PHAntasy の方が好きだ。すばらしい。うーん、The Hemp 2 は近すぎるか。White の方がホールの感じ、ライヴ感がある。The Hemp 2 だと小さなライヴハウスで聴いている感じ。The Hemp 2 は耳のせ型でもあり、できれば散歩の時使いたいのだが、それにしてはこのケーブルが太すぎる。もう少し、細くて、取りまわしのしやすいものに換えてくれるところがあるかな。



##本日のグレイトフル・デッド

 1020日には1968年から1990年まで8本のショウをしている。公式リリースは5本。うち完全版1本。


1. 1968 Greek Theatre, Berkeley, CA

 "All Cal Rock Festival" と題するイベント。日曜午後1時から6時まで。共演は Canned HeadMad River StonehengeLinn County 他。前売3.50ドル、当日4ドル。

 1時間ほどのステージ。3曲め〈Dark Star〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《30 Trips Around The Sun》の1本として全体がリリースされた。

 数本のショウの不在を経て、ピグペンが復帰。不在はガールフレンドの看病のためと言われる。

 Mad River 1966年4月、オハイオ州イエロー・スプリングスで結成したサイケデリック・バンド。1967年3月、バークリーに移り、ここでリチャード・ブローティガンの注目するところとなって浮上する。キャピトルに2枚アルバムを残して、1969年7月解散。

 Stonehenge は調べがつかず。


2. 1974 Winterland, San Francisco

 ライヴ休止前5日間最終日。チケットには "The Last One" のスタンプが押された。この時点ではデッドがライヴを再開するか、わからなかった。復帰するのは1年7ヶ月の後、1976年6月3日、オレゴン州ポートランド。

 ショウは三部構成で、アンコールも2回。オープナー〈Cold Rain And Snow〉、第一部ラスト〈Around And Around〉、第三部2曲目〈The Promised Land〉とラストから2曲目〈Stella Blue〉が《Steal Your Face》で、第二部全部とアンコールの全部が《The Grateful Dead Movie Sound Track》で、第一部ラスト前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。全体の約半分がリリースされたことになる。

 第二部にミッキー・ハートが復帰する。1971年2月18日以来、3年8ヶ月ぶり。第三部では一部の曲で外れたが、アンコールでは復帰。

 この5日間で演奏された曲は延117曲。重複を除くと71曲。

 終演後、デッドヘッドの間では、半年で復帰するか、1年かかるか、賭が行われた。

 デッドがライヴ活動を休止したことは、かれらが尋常のロック・バンドとは一線を画していたことの現れの一つではある。デッドの場合、この休止は意図的に行われた。売れなくなった、とか、バンドのまとまりが保てなくなったなどの消極的理由ではなかった。

 というより消極的理由はあったが、それは理由の半分だった。消極的理由はまず Wall of Sound である。空前絶後のこのPAシステム、モンスターはライヴのサウンドの質にこだわるデッドにとっての究極のシステムだった。しかし、組立てに数十人を要して2日かかり、あまりに巨大で、使えるヴェニューが限られた。連日のショウをこなすには、2セット用意して、1セットは先行して送っておく必要があった。実際には予備も含め3セット用意されていた。当然、維持のためのコストは天文学的な額になる。結果、このモンスターはデッドの財政基盤をゆるがしはじめていた。

 消極的理由にはもう一つ、自前のレコード会社も財政的に見合うものではなくなっていたことがある。この5日間のランからはライヴ・アルバム《Steal Your Face》が作られ、これがこの最初の自前のレコード会社の最後のリリースとなった。

 積極的理由は、1965年以来、突走りつづけてきて、その疲労が蓄積していたことがある。1965年のショウの数ははっきりしないが、1966年からこの1974年最後のランまでのショウの合計は少なくとも916本。年平均100本を9年続けたことになる。全米をくまなく走りまわりながらだ。カナダやヨーロッパに遠征もした。しかも、その900本を超えるショウは、どれもがユニークなもので、演目、曲順、演奏がそれぞれに異なる。疲弊しない方がおかしい。演奏の質そのものはそれほど落ちているとは思えない。しかし、はっきり落ちはじめる前にやめよう、と決めたわけだ。プロとしてみっともないショウをするわけにはいかない、という意識でもある。

 この197410月の時点では、デッドとその直近、メンバー、クルー、スタッフはこれが最後になると信じていた。復帰できるかどうかはまったくの闇の中だった。ハートがここで復帰したのは、これが最後になるかもしれないと恐慌に襲われたためだ、という説もある。

 もう一つ、間接的ながら重要な要素がある。この時点ではまだデッドはやめることができた。回っている車輪を止めることができる程度の規模だった。1990年代、再び同様の事態になった時には、規模が大きくなりすぎて、止めることができなくなっていた。1986年のガルシアの昏睡は、いわば怪我の功名だった。半年とはいえ、バンドは休息できた。一方でガルシアはギターの弾き方をゼロから覚えなければならない、あるいは思い出さなければならなかったにせよ、それも含めてデッドはここで再度リセットできた。それが1990年夏までの第三の黄金期を生みだす。しかし、次に倒れた時には、ガルシアはついに再び立ちあがることができなかった。

 デッドのショウ、音楽は他に二つとない、すばらしいものではある。20世紀の生んだ最高の音楽、文化的産物と言ってもいいと思う。一方で、それを生みだすプロセスは、それに関わる誰にとっても、バンドのメンバー、クルー、スタッフの全員にとっても、それはそれは厳しく、きついことであった。偉大なものを生みだすには、それだけの犠牲が付随する。毎晩、ステージの上で、ああいう音楽をやっているのはどんな感じかと問われた時、ガルシアは答えた。

 「絶えず砂が流れおちてくる砂丘を、片足だけで一輪車を漕いで昇ろうとするようなもんさ」

 デッドの恩恵を受けつづけている我々はこの言葉を噛みしめるべきだろう。


3. 1978 Winterland Arena, San Francisco, CA

 ウィンターランド5本連続の中日。やはり良いショウの由。


4. 1983 Centrum, Worcester, MA

 この会場2日連続の1日目。ガルシアの調子が誰の目にも悪いとわかるショウだったようだ。


5. 1984 Carrier Dome, Syracuse University, Syracuse, NY

 開演7時。後半オープナー〈Shakedown Street> Samson and Delilah〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 初め、ヴォーカルの音が皆遠い。5分過ぎ、急に大きくなる。おそろしくバネの効いたガルシアのギターを中心に、非常にイキのいい演奏。ガルシア、ウィア、ミドランドがコーラスを歌い交わすのがカッコいい。この歌のベスト・ヴァージョンと言いたなる。〈Shakedown が一度終るがドラムスが途切れなく〈Samson〉のビートを打ち出す。ウィアのヴォーカルにミドランドがハモンドで激しく突っかかる。歌の後のガルシアのギターをドラムスが切迫感たっぷりのビートを細かく打ちだして煽る。ガルシアはこれを余裕で受けとめて、いっかな演奏をやめない。

 この2曲だけ聴いても、このショウが第一級であることはわかる。


6. 1988 The Summit, Houston, TX

 17.50ドル。開演7時半。チケットに "No Smoking" とあるのににやり。この年の平均的なショウだったらしい。ということは良い。


7. 1989 The Spectrum, Philadelphia, PA

 前半ラスト〈California Earthquake (Whole Lotta Shakin' Goin' On)〉が《Beyond Description》でリリースされた。2日前のロマ・プリータ地震に対して歌われたのは明らか。後日、もう一度歌われる。


8. 1990 Internationales Congress Centrum, Berlin, Germany

 前半5曲目〈Black-throated Wind〉が2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。この年3月に16年ぶりに復活してこれが4回目の演奏。70年代とはかなり性格が変わっている。(ゆ)