10月25日・月
大腸カメラでポリープをとられたための食事制限が解除。ようやくコーヒーを飲めた。いやあ、ほっとする。運動制限も解除されたので、まずは駅前まで歩いて出る。
『デューン』の今回の映画については、ワシントン・ポストの Michael Dirda が書いていることが妥当に思える。
中でも、これは友人でもあるジャック・ヴァンスへのハーバートなりの回答だ、というのには膝を打った。
それにしても、この小説自体が辿った運命もまた数奇ではある。当時掟破りの長さで、単行本化すらどこも二の足を踏んでいたものが、今や史上最大のベストセラーの一つだ。ハインラインの『異星の客』の場合も、当時掟破りの長さで、誰も予想もしていなかったベストセラーになった。が、あちらはまだ時代との共鳴ということで説明がつくところもある。『デューン』にはそういうところはない。だからこそ、時代を超えて読まれる、ということなんだろうが、では、一部の批判にあるように、そこに本当にサイエンス・フィクション的なものがどれだけあるか。
ディルダが上の記事で触れている、映画の中で最も存在感があるのはジェシカだ、というのは、小説に忠実に作ればそうなるだろう。小説でも本当の主人公はポウルではなく、ジェシカだ。あれはジェシカの物語だ。『レンズマン・シリーズ』が『レンズの子ら』にいたって、それまでの超マッチョな男性優位ががらがらと崩れた、その後を享けるのは、『デューン』というわけだ。
ベネ・ゲセリットの在り方や、側室という地位はフェミニズムからは批判されるかもしれないが、歴史的にはリアリティがある。『デューン』で最もサイエンス・フィクション的なのは、砂虫でもポウルが発揮する超能力でもなく、ジェシカに体現しているベネ・ゲセリットかもしれない。だとすれば、この作品を毛嫌いするサイエンス・フィクション関係者、共同体の成員が多いのも、説明がつきそうだ。オクタヴィア・E・バトラーの The Parable Of The Sower につけた序文でN・K・ジェミシンがいみじくも指摘するように、サイエンス・フィクションの世界、共同体は女性差別、蔑視が根強く残るところだからだ。『レンズの子ら』ではアリシアの最終兵器「統一体」の中心はキット・キニスンだった。長子で唯一の男性として妹たちを束ねる役割を担っていた。『デューン』ではすべてはベネ・ゲセリットの計画、ポウル・アトレイデはいわばその手先にすぎない。
SFFの世界における女性の存在感は、それ以外の世界よりもずっと大きいではないか、と言う向きもあるかもしれない。しかし、それはせいぜいがここ十年ほどの、まだまだ新しい現象であり、そして「自然にそうなった」のではく、サイエンス・フィクションの「先進性」からそうなったのでもなく、これまたジェミシンが言うように、文字通り、彼女たちが戦いとってきた成果なのだ。男性優位社会としてのSFF世界をなつかしみ、これに戻そうとする人間は多い。サドパピーとは一線を画し、偏見・差別とは無縁と自覚しながら、差別される側からみれば、サドパピーと五十歩百歩である人間も多い。あたしとて、そうではない、と言い切る自信はまったく無い。偏見・差別意識は、実に厄介なしろものなのだ。一方では「中庸」であり、「バランスがとれている」つもりでいることが、差別される側から見ると、まるで偏った、差別意識の塊になりえる。
だとすれば、『デューン』があらためて注目され、多くの人間がこれを読むというのは、言祝ぐべきことになる。そして、これを機会に、ハーバートが本来ひと続きの作品と意図していたという『砂丘の子どもたち』までを、あらためて読んでみることも、意義のあることにもなる。
そうか、Children of Dune はまた Children of the Lens の谺でもあるのかもしれない。
##本日のグレイトフル・デッド
10月25日には1969年から1989年まで6本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
前日と同じ組合せ。この日はデッドがトリ。
2. 1973 Dane County Coliseum, Madison, WI
5ドル。午後7時開演。良いショウらしい。
3. 1979 New Haven Coliseum, New Haven, CT
開演7時半。後半オープナー〈Shakedown Street〉が《Road Trips, Vol. 1 No. 1》で、前半5曲目〈Brown-eyed Women〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Brown-eyed Women〉は始まってすぐ一瞬、音が切れる。演奏はすばらしい。中間のジャムの質が高い。ミドランドがキレのいい電子ピアノを展開して、ガルシアを煽り、ガルシアもこれに乗る。
〈Shakedown Street〉は歌の終りの方でガルシアがコーラスを延々とリピートする裏でミドランドがノイジーなシンセでコミカルにはずむイタズラを始め、やがてジャムに移っても続けるのに、ガルシアがこれもコミカルに応える。この対話がすばらしい。スタッカート気味の音をはずませた、ミニマリズムも潜ませたジャムへと盛り上がる。聴いていて、身も心も弾んでくる。その場にいたら、踊りまくっていただろう。
この2曲を聞くだけでも、ショウの充実ぶりがわかる。
4. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
15ドル。開演7時半。8本連続の3本目。第一部5曲目〈To Lay Me Down〉8曲目〈Heaven Help The Fool〉が《Reckoning》で、第二部2曲目〈Franklin's Tower〉と5曲目〈High Time〉が《Dead Set》で、第三部2・3曲目〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉が《Beyond Description》所収の《Go To Heaven》ボーナス・トラックでリリースされた。最後のメドレーは2010年の《30 Days Of Dead》でもリリースされた。〈Heaven Help The Fool〉と〈High Time〉も2004年の《Beyond Description》所収の拡大版。
〈To Lay Me Down〉は歌もギターも、ガルシアの抒情の極致。エモーショナルだが感情に溺れこまないぎりぎり。〈Heaven Help The Fool〉はドラムレスで、ジャジィなインストゥルメンタル版。
〈Franklin's Tower〉は珍しく独立で〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉からのメドレー。
〈Lost Sailor> Saint Of Circumstance〉は〈Saint〉後半の盛り上がりがいい。
《Dead Set》は個々に聞くとどのトラックもなるほど良い。
5. 1985 Sportatorium, Pembroke Pines, FL
14.50ドル。開演8時。フロリダでの演奏は3年ぶり。翌日もフロリダ。まずまず良いショウだったようだ。後半の選曲は珍しく、面白い。
6. 1989 Miami Arena, Miami, FL
18.50ドル。開演8時。2日連続の1日目。前のシャーロットとはうって変わって、駐車場シーンは平穏。フロリダの警察はヴァージニアのものとは対照的に、盗難や暴行以外は介入しなかった。ショウもその良いグルーヴを受け継いでいる。(ゆ)
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