10月27日・水
Jessica Cawley, Becoming An Irish Traditional Musician を読了。目鱗な新事実や驚愕の真相が満載というわけではないが、かなり興味深い。
著者はアメリカ人で、成人してからアイリッシュ・ミュージックと出逢い、フルートとフィドルを演るようになる。その自分の体験から、アイルランド伝統音楽のミュージシャンになるとはどういうことなのか、何をどうすれば、なれるのかをつきとめようとする。そのために、幅広い世代の現役の伝統音楽ミュージシャン22人へのインタヴューと自分の体験をデータとして用いて、様々な角度から分析を試みる。
結論として、これをやればそうなれるなんてものは無い、というのが出るのは予想通りだが、それを出すまで、学問的な手続きをいちいち踏んでゆく。そのプロセスは面白い。伝統音楽のミュージシャンになる近道、あるいは定番の手法は無いにしても、最低限、こういうことは共通項と言える、というところまでは押えている。これもそりゃあそうだろうと思えるところもあるが、そこにいたる手続きが堅実なので、説得力がある。昨今、話題になるジェンダーからのアプローチはほとんど無いが、著者も言うとおり、それはそれで別に本が何冊も必要だろう。
目鱗の新事実、驚愕の真相は無い、とあたしには映るわけだが、これはあるいはあたしはもうすれっからしなので、そういう事実は見当らないというだけかもしれない。読む人が読めば、目から耳からウロコがぼろぼろ落ちるかもしれない。
あたしがほっほおと感心したのは、アイルランド伝統音楽のミュージシャンになるためには、ただ過去の演奏をコピーしただけではだめだ、というところ。たとえばマイケル・コールマンを完璧にコピーしたとしても、それだけでは伝統音楽ではない、と言うのだ。著者が言ってるわけじゃない、著者がインタヴューしたミュージシャンの一人が言っている。名前を明かせばトモス・オ・カノーン、パイプの大ベテランだ。ミュージシャン自身の独自性、クリエイティヴなところがなければ、伝統音楽では無いというのだ。るる検討してきて、結論でこれが出てくると、ずしんと胸の奥底に響く。
様々な先行文献の引用や参照もあって、巻末の文献リストもなかなか面白い。中で1番面白そうな Martin W. Dowling の Traditional Music and Irish Society: Historical Perspective, 2015 を注文してみる。
アイルランドに留学して、図書館にこもり、こういう文献を片っ端から読むのは楽しいだろうなあ、と夢想する。もっともほとんどは1990年後半以降、今世紀に入ってからのものだから、あたしの若い頃には、向こうに行っても読むものもそんなに無かったろう。今は時間の許す限り、ぽつりぽつりと読んでは、面白いものは何らかの形で紹介するのが、身の丈に合っている。それにしても、こういうことをわが国で学問としてやっている人はいるのだろうか。いま時、まったくいないわけじゃあないだろう。
##本日のグレイトフル・デッド
10月27日には1971年から1991年まで8本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版2本。
1. 1971 Onondaga County War Memorial, Syracuse, NY
5.50ドル。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
この頃はまだ駐車場は閑散としていたそうな。
2. 1972 Veterans Memorial Auditorium, Columbus, OH
テープは広まっていたが、特にこれということもないらしい。
3. 1973 State Fair Coliseum, Indianapolis, IN
会場は巨大な納屋のような形で、音響はよくなかった。アイス・スケート・リンクで、氷の上にアスベストの板を敷いて、聴衆はその上にいた。床近くは冷えるので、皆毛布を敷いた。途中でその1枚がくすぶりだし、ショウの間中くすぶっていた。
後半冒頭の〈Greatest Story Ever Told〉の途中で、巨大な男がステージに上がり、ドナ・ジーン・ガチョーの前に立ちはだかった。一瞬、皆凍りついたが、暴力をふるう様子はなかったので、クルーがごく優しく連れだし、ドナは大きく安堵のため息をついた。
以上、DeadBase XI の Bernie Bildman のレポートによる。
4. 1979 Cape Cod Coliseum, South Yarmouth, MA
このヴェニュー2日連続の初日。《30 Trips Around The Sun》の1本として完全版がリリースされた。
ここは人里離れたところで、ショウを見る目的のある人間しか行かず、警察や警備もほとんど無い、理想的な会場の由。ボストンの南東、車で2時間というところ。7200人収容の多目的アリーナだが、1972年オープン当初こそスポーツやコンサートに使われたが、1984年売却されて現在まで倉庫として使われている。デッドはこの秋2日間のみ、ここで演奏した。
5. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
8本連続5本目。第一部3曲目〈Monkey And The Engineer〉が《Reckoning》拡大版で、第二部3曲目〈Friend Of The Devil〉が《Dead Set》でリリースされた。
前者はウィアが軽やかに歌う。後者はこの曲としては最も遅いテンポ,
6. 1984 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
テーパーズ・セクションが設置された初めてのショウ。テーパーたちは録音に良い場所を求めてサウンドボード席の前に集まるようになり、かれらのマイクが林立して、エンジニアのダン・ヒーリィからステージが見えない事態にまでなっていた。これを解決するため、サウンドボードの後にテーパーズ・セクションが設けられた。テーパーのチケット代は通常より高かったらしい。
7. 1990 Le Zenith, Paris
最後のヨーロッパ・ツアー、フランスの初日。《30 Trips Around The Sun》の1本として完全版がリリースされた。
かなり狭いヴェニューで、サウンドボードはステージからいつもの距離をとると客席の一番後ろになった。客席の幅はあるが、深さはない。客はフランス人はちらほらで、ドイツ、スペイン、オーストラリア(?)、アメリカ人が多かった。と、Zea Sonnabend は DeadBase XI で言う。
8. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
4本連続の初日。カルロス・サンタナと Gary Duncan がゲスト。後半半ば、〈Hey Bo Diddley > Mona〉に登場。9月26日のボストン以来のショウで、この週の火曜日にビル・グレアムが死んで初めてのショウ。追悼の意図もあったか、気合いの入った演奏だった由。(ゆ)
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