10月31日・日
久しぶりに自分の訳したチーフテンズの公式伝記を読みなおしていたら、ニューヨークをベースにする Black 47 のリード・シンガー、Larry Kirwan が、チーフテンズを「伝統音楽界のグレイトフル・デッド」と呼んでいるのに遭遇した。
「いつでもずっといたし、今でもすぐ手の届くところにいて、いつもツアーしているから、いつでも見にいける」211pp.
カーワンはデッドとチーフテンズを両方聴いて、ファンだったわけだ。やはりこういう人間はいるのだ。若いミュージシャンからはデッドはこう見られてもいた、ということでもある。
Black 47 は1990年代初めにレコード・デビューしたケルティック・ロック・バンドで、初期のアルバムにはシェイマス・イーガンやアイリーン・アイヴァースが参加してもいる。
##本日のグレイトフル・デッド
10月31日には1966年から1991年まで、13本のショウをしている。1966年から71年まで、毎年ハロウィーン・ショウをしている。それ以外の年もハロウィーンは公演をする口実になったのだろう。公式リリースは3本。
01. 1966 California Hall, San Francisco, CA
"Dance of Death Costume Ball" と題されたイベントで共演はクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとミミ・ファリーニャ。
前売2.50ドル、当日3ドル。セット・リスト不明。
02. 1967 Winterland Arena, San Francisco, CA
"Trip or Freak" と題されたハロウィーン・イベント。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。
セット・リスト不明。
03. 1968 The Matrix, San Francisco, CA
前2日と同じく Mickey and the Hartbeats または Jerry Garcia & Friends の名前で行われ、ピグペンとウィアは不在。セット・リスト不明。
04. 1969 San Jose State University, San Jose, CA
"Halloween Dance" と題されたショウ。学生2ドル、一般3ドル。2時間弱の休憩なしの1本勝負。
05. 1970 University Gymnasium, State University of New York, Stony Brook, NY
学生1ドル、一般4ドル。開演8時。Early と Late の2ステージ。それぞれガルシア入りニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとエレクトリック・デッドのステージ。Early は完売ではなかったので、ピグペンがみんな残れと誘った。Early Show で〈Viola Lee Blues〉が最後に演奏される。
ウィアがサウンド・エンジニアに、機械にさわるな、自分が何やってんだかわかんねえんだから、とどなったという報告もある。
06. 1971 Ohio Theatre, Columbus, OH
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
後半全部が《Dick’s Picks, Vol. 02》で、前半3〜5曲目〈Deal; Playing In The Band; Loser〉が2018年の、13曲目〈Cumberland Blues〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。全体の半分がリリースされている。
07. 1979 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY
開演8時。オープナーの〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉と7曲目〈Althea〉が《Road Trips, Vol. 1 No. 1》のボーナス・ディスクで、前半締めの〈Lost Sailor > Saint of Circumstances〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
08. 1980 Radio City Music Hall, New York, NY
8本連続千秋楽。9月25日からの一連のレジデンス公演の千秋楽。
第一部2・3曲目〈Sage And Spirit〉〈Little Sadie〉が《Reckoning》で、第三部5曲目からの〈Drums> Space> Fire on the Mountain〉が《Dead Set》でリリースされた。
また前日とこの日のショウの一部がビデオ《Dead Ahead》としてリリースされた。
09. 1983 Marin Veterans Memorial Auditorium, San Rafael, CA
アイアート・モレイラが前半全部と後半〈Drums〉まで参加。
〈St. Stephen〉が最後に演奏された。この曲はなぜかデッドヘッドには異常なまでに人気があり、なぜ演奏しないのか、しなくなったのか、議論がかしましい。難しい曲で演奏できなくなったのだ、とか、ガチョー夫妻がいなくなって変えたアレンジが気に入らなかったのだ、とか、いろいろと理屈づけがされている。ガルシアはインタヴューでも訊かれている。もちろん理由が知りたいのではなく、演奏して欲しいだけだ。
ありていに言えば飽きた、ということに尽きるだろう。デッドはデッドヘッドを大事にはしたが、デッドヘッドのために演奏していたのではなかった。自分たちがまず楽しむために演奏していたのだ。演って楽しくなくなった曲は演らないだけのことだ。
一方デッドヘッドにしてみれば、デッドは自分たちのために演奏してくれていると思いたい。デッドが聴衆のリクエストに応じたことはほとんどまったくといっていいほど無かったにもかかわらず。
10. 1984 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
6本連続の4本目。そこそこのショウ、悪くはないが、特別良くもない、というところらしい。
11. 1985 Carolina Coliseum, University of South Carolina, Columbia, SC
13.50ドル。開演8時。ハリケーン「グロリア」のおかげで外は土砂降りのハロウィーンで、〈Looks Like Rain〉が凄かったそうな。ステージはジャック・オ・ランタンや大きな布で飾られ、聴衆も思い思いの仮装、オープニングは〈Space〉。ハロウィーンは死者の祭でもある。
12. 1990 Wembley Arena, London, England
ロンドン3日連続の中日。開演7時半。かなり良いショウだった由。バンドはオン・タイムに出てきて、30分休憩で終演11時15分。アンコールはもちろん〈Werewolves Of London〉。後で録音を聴くとガルシアは声を嗄らしていたが、その時はわからず。客にはアメリカ人が多かったが、雰囲気を盛りあげてくれた。会場の音響はよくないのが普通だが、この時はまずまず。
13. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
4本連続の最終日。後半4曲目の〈Spoonful〉から〈Space〉を含めて〈The Last Time〉までクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの Gary Duncan がギターで参加。〈Dark Star〉の間にケン・キージィがビル・グレアムへの追悼の言葉をラッピングした。アンコールの〈Werewolves Of London〉は〈Werewolves Of Oakland〉として歌われた。
ビル・グレアム死後初のハロウィーンで、その霊が会場にいるかのようなエネルギーと緊迫感に満ちたショウだった、ようだ。居合わせた人たちが口を揃えて、異様な雰囲気だったと言う。
グレアムはデッドにとって、口うるさく、苦手ではあるが、いざという時頼りになる叔父さん、という役柄だった。グレアムの方もデッドを理解し、デッドの兄ないし父親になってもいいと思っていた。一方で、公演を自分の所有物とみなすグレアムの偏執狂的な態度に、デッドは最後まで抵抗もした。しかし、グレアムなくして、グレイトフル・デッドの存続も無かった。デッドもまたそのことはわかっていたと思う。それにしてももうそろそろ、グレアムの信頼できる伝記が書かれてもいい。それとも、もう少し関係者が死ななければ、だめだろうか。(ゆ)
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