11月04日・木
1960年代にキョールトリ・クーランやチーフテンズ、ダブリナーズが出てきたことには、やはり時代の流れがあったような気がする。キョールトリ・クーラン結成は1960年。チーフテンズ結成が1962年。ダブリナーズもローリング・ストーンズの結成も同じ。同年ビートルズがレコード・デビュー。ヴァン・モリソンのゼムが1964年。
パディ・モローニはクリスティ・ムーア、ドーナル・ラニィ、ポール・ブレディ、アンディ・アーヴァインたちからは一世代上だ。チーフテンズ結成の年24歳。プランクシティがチーフテンズの十年後。アイルランド共和国は1950年代末から経済改革によって社会ががらりと変わる、その最初の恩恵を直接受けたのがモローニの世代。変わった社会の子どもたちがプランクシティ、ボシィ・バンド、デ・ダナンの世代。
オ・リアダがクラシックに伝統音楽を持ちこもうとしたのは、クラシック音楽というものの習性からだが、それがキョールトリ・クーランという形をとったのは、アイルランドの音楽伝統がそれだけ濃厚だったということだろうか。そしてそれが結局チーフテンズという形に着地したのも、伝統の慣性が大きかったからだ、というのはどうだろう。これが当たっているなら、オ・リアダとモローニは同じ夢を見ながら、向いている方向は逆だったことになる。
一方でチーフテンズがクラシックを手始めに、常に外部からの要素、手法やレパートリィの点で異なる伝統やジャンルのものを取り込もうとし続けたのが60年代の精神を持ちつづけた現れである、と見ると、モローニの評価もまた変わってくる。あるいは持ちつづけたというよりは捨てられなかった、というべきかもしれないが。
それに、モローニは常に新しい才能に敏感だった。ドロレス・ケーン、いやその前にショーン・キーンからして、キョールトリ・クーランに参加するのは十代半ば、チーフテンズのセカンドの時点で23歳。マイケル・フラトリー、ジーン・バトラー、カルロス・ニュネス、ピラツキ兄弟。若い才能を掘り出すモローニの能力は飛びぬけている。
1996年の《サンチャーゴ》に参加したから、カルロス・ニュネスが初来日したのは確か1997年のチーフテンズに同行していたはずだ。覚えているのは目白駅から歩いていったグローブ座での公演で、後半、自分が前面に立つパートでカルロスがパディを煽ったのだ。どうやったのかはよくわからないが、とにかく、パイプで演奏しながらパディを見て笑いかけた。始めはにやにやするだけだったパディが、あるところで表情が変わって、カルロスに対抗しはじめた。そこからの2人のパイプ・バトルが凄かった。パディがあんなにパイプを吹きまくったのは、後にも先にも、レコードでさえ、聴いたことはない。これまで見たケルト系のライヴの中で、あれは最高にスリリングな時間の一つだ。
##本日のグレイトフル・デッド
11月04日は1966年から1985年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
前日と同じく、ポスターでは4・5日、チラシでは3・4日。共演 Oxford Circus。セット・リスト不明。
2. 1968 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
DeadBase XI はじめ日付と場所だけはあるが、内容についての情報無し。
3. 1977 Wesley M. Cotterell Court, Colgate University, Hamilton, NY
開演7時半。《Dave’s Picks, Vol. 12》で全体がリリースされた。
後半冒頭、機器トラブルでちょっと待ってくれとウィアが言い、レシュが時間を潰すため、メンバーを "Jones" 一家として、Jerry Jones, Bob Jones, Bill Jones などと紹介した。ショウ自体はこの年の良い典型。
4. 1979 Providence Civic Center, Providence, RI
これも良いショウの由。
5. 1985 The Centrum, Worcester, MA
このヴェニュー2日連続1日目。15ドル。開演7時半。
1977年に迫るショウの由。
会場はボストンのほぼ真西60キロのウースターにある屋内アリーナ。収容人数はコンサートで14,800。デッドはここで1983年10月から1988年4月まで計12回演奏している。この日は5回目。2回目の1983-10-21が《30 Trips Around The Sun》でリリースされている。
当時はアリーナだけだったが、その後拡張され、コンヴェンション・センターを併設した複合施設になっている。ニュー・イングランドでは最も大きく、最も設備の整った施設として、スポーツ、コンサート、コンヴェンション、見本市、その他多数が集まるイベントに常時使用されている。2004年に Digital Federal Credit Union (DCU) が命名権を買い、現在の名称は DCU Center。
ウースターは人口18万で、ニュー・イングランドではボストンに次ぐ。ボストンとスプリングフィールドのちょうど中間。かつては独立した街だったが、現在ではボストンの拡大に吸収され、その西端をなす。(ゆ)
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