11月05日・金
チーフテンズ60周年記念ベスト盤と初期旧譜リイシュー10枚の国内盤のライナーのうち、リイシューのライナー原稿を全部送る。ベスト盤は発売が伸び、時間があるとのことなので、再度書き直し。一度、書いたのだが、どうも気に入らず。なんとか書き直す時間をとれないかと思っていたので、ありがたし。
このライナーのためにファーストから改めて聴きなおしていって、やっぱりすげえなあ、と思う。こういうことをやっていた、やれたのはチーフテンズだけだし、その後も出ていない。今後も出ないだろう。ワン&オンリー。
一方で、かれらの音楽はアイリッシュ・ミュージックの生理と相容れないところがある。アイリッシュ・ミュージックはこういう風には動作しない、作用しない、と感じてしまう。つまり、チーフテンズの音楽は徹頭徹尾、聴かせるための音楽、作りこんだ音楽、売るための音楽なのだ。その方向に向かってぎりぎりまで伸ばした音楽でもある。これ以上伸ばせば、音楽伝統から切れる、その限界まで行っていた。一部は切れていたとも聞える。
プランクシティ、ボシィ・バンド、デ・ダナンの音楽も聴かせるための音楽だし、売るための音楽でもあるのだが、ここまで徹底していない。アイリッシュ・ミュージックの生理に引っぱられている。クリスティ・ムーアにしても、自分の生理に忠実だ。世界に売るためにレパートリィやスタイルを変えることは考えない。アメリカで売れなくても平気だ。
言いかえると、パディ・モローニはアイリッシュ・ミュージックが持った最高の、そして今までのところ唯一のビジネスマンだった。かれはチーフテンズを売るために、アイリッシュ・ミュージックを卒業していったのだ。自分がやっているこれこそがアイリッシュ・ミュージックだと言いながら、チーフテンズを売りこんだ。もちろん、それがアイリッシュ・ミュージックとは別のものであることを、かれは知っていた。モローニ個人はアイリッシュ・ミュージックの伝統にどっぷり漬かって育っているからだ。だから、アイリッシュ・ミュージックのままでは売れないことを知っていた。売れるものをアイリッシュ・ミュージックを土台にして作りあげていった。アイリッシュ・ミュージックから離陸することを恐れなかった。
その軌跡が残されたレコード群なわけだが、ファーストから『10』までの、すっぴんのチーフテンズだけのレコードで、すでにそれは形になっている。ここに完成しているのは、唯一無二、チーフテンズ以外の誰にも作れなかった音楽だ。
##本日のグレイトフル・デッド
11月05日には1966年から1985年まで5本のショウをしている。公式リリースは2本。ともに完全版。
1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
前2日と同じ。ポスターでは4・5日。チラシでは3・4日。共演 Oxford Circus。詳細不明。
2. 1970 Capitol Theater, Port Chester, NY
5.50ドル。開演8時。4日連続の初日。初日と最後の日曜日はアコースティック・デッド、ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、エレクトリック・デッドというステージ。
ピグペン最後の輝きの時期。
3. 1977 Community War Memorial, Rochester, NY
6.50ドルまたは7.50ドル。開演8時。全体が《Dick’s Picks, Vol. 34》でリリースされた。
自由席だったため、開演前、入口前に集まった群衆の密度が異常に高く、開場が開演45分前まで遅れたこともあり、開場と同時に皆なだれこもうとした。ドアは外に向かって開く方式のため、係員が入口上の屋根から下がってくれとどなった。前の方の人たちは下がろうとし、後ろからは前へ出ようとして押合いになった。ついにガラスが割れてドアが蝶番からはずれた。
4. 1979 The Spectrum, Philadelphia, PA
9ドル。開演7時。全体が《Road Trips Full Show: Spectrum 11/5/79》でリリースされた。
すばらしいショウの由。オープナーが〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉というのからして稀有。とりわけ後半の〈Eyes of the World> Estimated Prophet> Franklin's Tower〉が凄いらしい。上記公式リリースは2008年に期間限定でダウンロード販売されただけなのよね。
5. 1985 The Centrum, Worcester, MA
15ドル。開演8時。2日連続このヴェニューの2日目。世界一背の高いデッドヘッドとして有名なプロ・バスケット選手のビル・ウォルトンの誕生日。ウォルトンは当時、ボストン・セルティクスに在籍。この日は休日で、ショウに来ていた。後半冒頭に「ハッピー・バースディ・ビル」が歌われた。
全体としてA級のショウだが、翌年の昏睡の前兆が現れていて、ガルシアは何度か歌詞が出てこなかった。(ゆ)
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