11月18日・木
Journal of Music の Toner Quinn によるマーティン・ヘイズの自伝 Shared Notes の熱烈な書評を見て、AbeBooks で注文。アマゾンは来年1月刊だよんとたわけたことをぬかす。Penguin のサイトには10月14日刊行と出ている。Kindle を売るためか。新刊のキンドルは高い。電子版でも Apple なら半額だ。
しかし、いいタイトルだ。音楽は共有されて初めて存在できる。アイリッシュ・ミュージックはその性格がことさら剥出しになる。
そのアマゾンによるロバート・ジョーダン『時の車輪』の映像化の出だしは評判がいいが、ブランドン・サンダースンによる完結篇までやるのか。邦訳はそこまで完結していないけれど、これを機会に邦訳が出るか。それにしても、シリーズの途中で邦訳打切りになるのが多過ぎる。
##本日のグレイトフル・デッド
11月18日には1966年から1978年まで3本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
3日連続の初日。共演は James Cotton Blues Band, Lothar & the Hand People。セット・リスト不明。
James Henry Cotton (1935-2017) はブルース・ハープ奏者、シンガー、ソングライター。1950年代、ハウリン・ウルフのバンドでブルース・ハープを始め、マディ・ウォーターズに呼ばれてシカゴに移り、ウォーターズのバンドリーダーとなる。1965年自分のバンドを結成。このショウのポスターにも「シカゴより」とある。
Lothar & the Hand People は1965年にデンヴァーで結成、1966年にニューヨークに移る。テレミンやムーグ・シンセサイザーを最初に使いはじめたロック・バンドとして、短命ながら後のエレクトロニクス音楽の勃興に大きな影響を与えた、と言われる。Lothar は使っていたテレミンに与えられた名前で、the Hand People たるバンド・メンバーは John Emelin (vocals), Paul Conly (keyboards, synthesizer), Rusty Ford (bass), Tom Flye (drums) それに Kim King (guitar, synthesizer)。デッドはじめ、バーズ、ラヴィン・スプーンフル、キャンド・ヒートなどと共演した。
2. 1972 Hofheinz Pavilion, Houston, TX
後半9曲のうち、冒頭の〈Bertha〉からラスト前の〈Sugar Magnolia〉の8曲が《Houston, Texas 11-18-1972》でリリースされた。曲数では全体の3分の1。これ以外の録音は The Vault には無い由。
これにも含まれる〈Playing in the Band〉がキャリア全体のベストの1本、と言われる。この1972年秋の PITB はとにかく、どれもこれも長くて凄い。1968年6月の初演から4年経って、当初の5分ほどのあっさりした曲は30分のモンスターに成長した。この後は、間に他の曲をはさむ形になる。まとまった1曲としてはこの頃が頂点。演奏回数の総数610回はトータルで2位。1位は〈Me and My Uncle〉だから、デッドのオリジナルとしてはトップ。うち公式にリリースされている録音は今のところ126本。
3. 1978 Uptown Theatre, Chicago, IL
8.50ドル。開演8時。前半7曲目〈Stagger Lee〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
「ジョーンズタウンの大虐殺」が起きた日。当初は集団自殺とされていたが、今ではむしろ大量殺人とみなされているようだ。ガイアナに移住する前、ジム・ジョーンズの人民寺院は本部をサンフランシスコに置いて急速に成長し、市政に影響を与えるまでになった。もっともデッド周辺との接触は確認されていない。
こうしたカルトはアメリカのサイケデリック文化の流れを汲み、その文化の源流にはデッドも関っているが、デッドはなべて宗教的なものとは距離を置いていた。もっとも、デッドにとっては音楽、その演奏が礼拝、宗教行為であり、デッドヘッドのデッドへの信奉の仕方は宗教に近い。もっとも「カルト」をマイノリティの一種とするなら、デッドヘッドの広がりと浸透はむしろアメリカの主流をなす流れの一つではある。(ゆ)
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