12月28日・月
アイルランド伝統音楽のソース・シンガーの中でおそらく最も有名で、後世への影響も大きいエリザベス・クローニン(1879-1956)の歌集が20年ぶりに改訂された。編纂しているのは孫の Daibhi O Croinin。
ベスと呼ばれたクローニンはコークのゲールタハトに生まれ、母親から歌好きを継いで育つ。この一帯はもともと歌謡伝統の濃いところで、19世紀から採集家が多数訪ずれた。ベスはシェイマス・エニスはじめ、様々な採集家の対象となる。アラン・ロマックスも録音し、さらにジーン・リッチーが録音したことで広く知られるようになる。
ベスの録音としては130トラックほど残っているそうで、ここでは RTE、BBC、ロマックス、リッチー、ダイアン・ハミルトンによる録音59トラックを2枚のCDに収めて付録としてある。音質劣化で使えないものを別として、音楽的、伝統的に興味深いものを選んだそうだ。録音年代はシンガー晩年の1947年から1955年の間。録音場所はいずれもベスの自宅。
本の方はベスが残した歌の歌詞を集めた。ベスが何らかの形で書き残したもので、そのすべてをいつでも歌えたわけではないだろうし、そもそも全部を覚えたわけでもないだろう。覚えたいと思って書きとめたものもあると思われる。とにもかくにも、ベス・クローニンというシンガーが自分の手で書くだけの価値があると認めた歌、ということになる。総数196曲。
巻頭のエッセイはベス・クローニンのバイオグラフィではなく、彼女が生まれ育ったコークのゲールタハトの一つ Baile Mhuirne (Ballyvourney) 一帯を訪ずれた歌の採集家たちを後づける。つまりベスの歌の背景を採集家という角度から描こうとする。
また、ベスが歌を習った、覚えた対象と方法も推測する。ここで面白いのは、ベスには歌の好みがあって、中には冒頭の2、3連しか覚えていない曲もある。これは当然のことであって、伝統的シンガーは全曲を覚える必要も義務も無い。歌いたいと思った歌の歌いたいところだけ覚える。ベス・クローニンに限らない。パーシー・グレインジャーが録音したことで有名なイングランドの Joseph Taylor の〈The Murder of Maria Marten〉も、実際に歌われ、録音されたのは最初の2連だけだ。テイラーはそれしか覚えていなかった。アシュリー・ハッチングスはこの曲をシャーリー・コリンズに《No Roses》で歌わせるにあたって、メロディはグレインジャーによるテイラーの録音のものを使い、歌詞は様々なソースから組みたてた。
収録された歌には英語とアイルランド語の両方があり、タイトルのアルファベット順に混在して並べられている。録音があるものは楽譜も付く。アイルランド語の歌には英語で内容の要約が添えられる。歌のその他の注釈は録音のあるものはその注記、既存の歌集に収録がある場合はその書誌情報と比較。
20年前の初版では編者が曲につけた注釈とCD収録の実際の録音の間にかなりの齟齬があった。様々な制約から本文とCDの制作が別々に行われ、編者はCDの最終形を聞かずにテキストを書いていたためだそうだ。その事情が第2版の序文に丁寧に書かれている。とすれば、まずはそのあたりもきちんと訂正され、わずか6曲だが追加されたこの第2版を買えばいいわけだ。とまれ、アイルランド伝統歌謡の最重要シンガーの1人であるベス・クローニンの全貌にこれで容易に接することができる。
##本日のグレイトフル・デッド
12月28日には1966年から1991年まで、17本のショウをしている。この数字は365日の中で2番目に多い。公式リリースは4本。うち完全版1本。
01. 1966 Governor's Hall, Sacramento, CA
Beaux Arts Ball と題されたイベント。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。前売3ドル、当日3.50ドルというポスターと2ドルというポスターがある。3種残っているポスターのどれにも開演時刻が書いていない。セット・リスト不明。
会場はデッドのみならず、多数のロック・アクトがコンサートをしている。が、施設の実態はよくわからない。旧California State Fairgrounds にあった由。
02. 1968 The Catacombs, Houston, TX
20、21日とロサンゼルスで演奏した後、29日のマイアミ・ポップ・フェスティヴァル出演に向かう途中、ここに立ち寄った。会場は300人も入れば満杯のクラブで、当時22歳以上の人間は入れなかった。第一部は夏に出た《Anthem Of The Sun》をほとんどそのまま演奏し、第二部では〈Dark Star> The Eleven> Dark Star〉を延々とやった。とあるブログに述べる。
03. 1969 International Speedway, Hollywood, FL
ヴェニューの名前は実際には Miami-Hollywood Speedway の由。1時間半のテープがあるが、全部ではないらしい。
04. 1970 Legion Stadium, El Monte, CA
このヴェニュー3日連続の最終日。この後は大晦日のショウ。オープナーの〈Cold Rain And Snow〉が2010年、最初の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
05. 1978 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
このヴェニュー2日連続の2日目。
06. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの中日。《Road Trips, Vol. 3, No. 1》で全体がリリースされた。
この頃はまだ会場の外でデッドヘッドたちはキャンプできた。朝、プロモーターの Bill Graham Presents のスタッフがキャンパーたちに熱いスープを提供していた。
オープナーが〈Sugaree〉でいきなり15分の演奏。こういう稀なセレクションの時はバンドの調子が良い証拠。実際ダブル・アンコールの2曲目〈One More Saturday Night〉まで、気合いの入った、充実したショウ。〈Space〉は短かいが、その前の Drums で二人が大太鼓を叩きまくる迫力は、この二人でも滅多に聞けない。ミドランドはすっかりアンサンブルに溶け込み、冴えたキーボード・ワークで全体を盛りあげる。オルガンもいいが、ぽろんぽろんという電子音がここでは利いている。ガルシアのギターはジャズとしかいいようがない。が、ジャズと違ってデッドのジャムは他の全員がサポートに回るソロの形をとらない。むしろ、全員がたがいにからみあう。ガルシアのギターはほとんど混沌としたその中に筋を通してゆく。
この年は正月5日からツアーに出ているし、ガチョー夫妻からブレント・ミドランドへの交替があり、ショウの総数としては75本だが、長い1年だった。それを締め括るランのベストのショウと言われる。
07. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの中日。第二部半ば〈Terrapin Station〉の途中でバンド全体がステージに乗って、どこやら外宇宙からちょうど着陸した、という幻影が見えた、と Robin Nixon が DeadBase XI で書いている。照明と音楽と精神状態の合作らしい。
08. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの中日。
09. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA
大晦日に向けての5本連続のランの中日。13.50ドル。開演8時。第一部3曲目の〈El Paso〉は作者 Marty Robbins が死んで最初の演奏。
10. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2日目。開演8時。
11. 1984 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
大晦日に向けての3本連続のランの初日。開演8時。
12. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2日目。開演8時。
13. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2日目。17.50ドル。開演7時。
14. 1988 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての3本連続のランの初日。開演7時。トム・トム・クラブ、Peter Apfelbaum & Hieroglyphics Ensemble が前座。第二部6曲目〈Uncle John's Band〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、2018年の《30 Days Of Dead》で 〈Uncle John's Band> I Need A Miracle〉の形でリリースされた。
UJB はわずかに前のめりのテンポ。ミドランドのハーモニーはあふれてくるものを押えられない。クロイツマンがいくらか冷静にビートをキープする一方で、ハートも噴き出すものをそのまま音にする。最後のコーラスが終った途端、空気が切り替わり、一瞬、どちらへ行くかわからぬまま屹立して次の瞬間、ほとんど凶暴なギターをガルシアがくりだして INAM。ここでのウィアはシンガーとして一級と言っていい。これはもう嘆願、祈りの歌ではない。脅迫すれすれ。いや、奇跡はもらうものではない、自ら起こすものだという宣言だ。UJB ではかろうじて押えこまれていたものが、爆発している。会場のコーラスは驚くほど歯切れが良い。
Peter Apfelbaum は1960年バークリー生まれのマルチ・インストルメンタリスト、作曲家。楽器はピアノ、テナー・サックス、ドラムス。Hieroglyphics Ensemble はベイエリア出身のミュージシャンたち17人で編成したビッグ・バンド。1990年代にはドン・チェリーと共演している。トレイ・アナスタシオやフィッシュのアルバムにも参加。
15. 1989 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2本目。20ドル。開演7時。第一部2曲目〈Feel Like A Stranger〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
まずウィアの歌唱に気合いが入っている。ガルシアのギターとミドランドの鍵盤がこれに応える。いいジャムが続いて、後半、"Long, long, crazy night" とミドランドが入ってきてからのウィアとの掛合いが粋。"loooooooooooooooooooooooooooooong” と思いきり引っぱって、"long, crazy night" と合わせる。こういうところ、ミドランドにして初めて可能な洗練された野生だ。
この89年後半から1990年春にかけてのデッドの3度目のピークは、空前にして絶後、デッドだけでなく、およそ20世紀の音楽において他に類例も比肩もできるものはない。あえて言えば、マイルスの『ダーク・メイガス』からの三部作をも凌ぐ。
16. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2本目。22.50ドル。開演7時。
17. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
大晦日に向けての4本連続のランの2本目。開演7時。(ゆ)
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