明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとって充実した年でありますように。
早々に年賀状をいただいた皆様、ありがとうございます。
例によって年賀状は出しておりませんので、不悪。
今年のテーマはグレイトフル・デッドとマーティン・ヘイズ、ヴィクトリア・ゴダードとムアコックの予定。さて、どこまで行けますか。
12月31日・金
##本日のグレイトフル・デッド
12月31日には1966年から1991年まで22本のショウをしている。年間で最多。公式リリースは7本。うち完全版2本、準完全版1本。
大晦日にたくさんショウをしているのは、デッドにとって最も重要なプロモーターだったビル・グレアムがデッドとの年越しショウをたいへんに好み、1976年から1991年まで毎年、サンフランシスコ周辺でショウを組んだため。グレアムは毎年趣向を凝らした「時の翁 Father Time」に扮してカウントダウンを主催した。仕掛けは年を追うごとに派手で大がかりなものになっていった。1991年10月にグレアムは事故死するが、年末のショウはすでにブッキングしてあったため、デッドはこれを最後に年越しショウをしている。
グレアムは〈Sugar Magnolia〉が大好きで、年越しショウの新年最初の曲にこれを歌うようリクエストした。一方のウィアはこの歌をうたうと喉をつぶすので嫌がっていたという。
01. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
"New Year Bash" と題された2日連続のショウで、ジェファーソン・エアプレイン、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとデッドという、当時サンフランシスコを代表する3つのバンドによるコンサート。ビル・グレアムの最初の年越しショウ。この3つのバンドのメンバーにビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのメンバーも加わったジャムが行われたとも言われる。
02. 1968 Winterland Arena, San Francisco, CA
7ドル。朝食付き。共演はクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、It's A Beautiful Day、サンタナ。
03. 1969 Boston Tea Party, Boston, MA
前座として The Proposition というインプロヴィゼーション・バンドとリヴィングストン・テイラーの名が挙げられている。大晦日にサンフランシスコ周辺以外で演奏した唯一の例。
04. 1970 Winterland Arena, San Francisco, CA
9ドル。開演8時。共演ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ホット・ツナ、Stoneground。コンサートのビデオがサンフランシスコのテレビ局で放映され、また全部ではないかもしれないが FM で同時中継された。
デッドは約2時間の一本勝負。オープナー〈Monkey And The Engineer〉とクローザーの1曲前〈Good Lovin'〉が《Download Series: Family Dog at the Great Highway》で、5・6曲目〈Cumberland Blues〉〈Dire Wolf〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
Stoneground はこの年、サンフランシスコ郊外のコンコードで結成されたバンドで、トリオから出発し、翌年のデビュー・アルバムでは4人の女性シンガーを含む10人編成になる。
28:21
05. 1971 Winterland Arena, San Francisco, CA
ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。FM で放送された。
第一部クローザー〈One More Saturday Night〉にドナ・ジーン・ガチョーが参加。初ステージ。
06. 1972 Winterland Arena, San Francisco, CA
第一部5曲目〈Box of Rain〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
DeadBase XI の Bernie Bildman によると、ステージの後ろの影になったところでデヴィッド・クロスビーが数曲に演奏で参加していた。
アンコール直前、小さな女の子が舞台袖から出てきて、ガルシアに何かささやいた。ガルシアは身を屈めて聴きとると、前振なしに〈Uncle John's Band〉を始めた。女の子はメンバーの誰かの娘らしかったが、曲が進むとまた出てきて、続いている間ずっとくるくると踊っていた。と Bildman は書いている。
この年は大晦日に向けての連続のランは無く、15日にロング・ビーチでワンオフのショウをした後がこの大晦日のショウ。
07. 1976 Cow Palace, San Francisco, CA
開演7時。共演サンタナ、Sons of Champlin。全体が《Live At The Cow Palace》でリリースされた。
ポスターによればこの年、ビル・グレアムはベイエリアの実に5ヶ所で同時に大晦日のライヴを開催している。カウ・パレスの他に、ウィンターランドではモントローズ、Earth Quake、Yesterday & Today。Oakland Coliseum ではレーナード・スキナード、ジャーニー、ストーングラウンド。Berkeley Community Theatre でチューブス、San Jose Center for Performing Arts でタワー・オヴ・パワー、グレアム・セントラル・ステイション。もちろん全米各地で同様のコンサートが行われていただろう。
Sons of Champlin は後にシカゴに加入する Bill Champlin が1965年にベイエリアで立ち上げたバンド。
ただし、DeadBase XI での Mike Dolgushkin によれば、実際に出たのは Sons of Champlin ではなく、Soundhole というバンドでベースが Mario Cipollina。兄弟のジョンも加わっていた。
08. 1977 Winterland Arena, San Francisco, CA
12.50ドル。開演8時。真夜中に第二部オープナー〈Sugar Magnolia〉が始まった。ただし、同時開催されていたサンタナのコンサートでも「時の翁」を演じていたので、ビル・グレアムがこちらに来たのは零時を30分過ぎていたらしい。
第一部5曲目〈Loser〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
09. 1978 Winterland Arena, San Francisco, CA
ウィンターランドにおける最後のコンサート。これをもってビル・グレアムはウィンターランドを閉じた。地元公共放送テレビで放映された。全体が《The Closing Of Winterland》としてCDと DVD でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ブルース・ブラザーズが前座。加えて、第二部3曲目〈I Need A Miracle〉にマシュー・ケリー、Drums にリー・オスカー、〈Not Fade Away> Around And Around〉にジョン・チポリーナが参加。また The Flying Karamazov Brothers というジャグリングのグループが演技をした。ショウは全体で8時間を超え、デッドだけでも三部構成、6時間近かった。3曲におよんだアンコールの最後は〈And We Bid You Goodnight〉だが、その時はすでに朝で、聴衆にはビュッフェ・スタイルの熱い朝食がふるまわれた。
ここは1971年にビル・グレアムがコンサート用に改修し、フィルモア・ウェストに代わるヴェニューとして運営した。ザ・バンドの解散コンサート《The Last Waltz》の舞台として有名だし、ここで録音されたライヴ盤にはクリーム、ジミヘン、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、ブルース・スプリングスティーン、ロギンス&メッシーナなど多数あり、また名演が生まれてもいる。
デッドは何といってもまず1974年のツアー休止前の5夜連続のショウをここで行い、そこから "The Grateful Dead Movie" が生まれ、さらに《The Grateful Dead Movie Soundtorack》がリリースされている。さらに1973年と1977年のボックス・セットなど、これまた名演が多数生まれている。フィルモア以上に「ホーム・グラウンド」となっていた。その閉鎖直前最後のコンサートをするアクトにはグレアムとしてはデッド以外考えられなかっただろう。おそらく閉めると決めた時点で、最後はデッドということも決めていたのではないか。
この時、いわゆるサンフランシスコ・サウンドのアーティストで生き残っているのはデッドだけだった。デッドとビル・グレアムの関係はおそらく単にプロモーターとアクトというだけのことではない。その最初はアシッド・テストの一つで、デッドもグレアムもまだ山のものとも海のものともわからない時期だ。グレアムとデッドの各々の成長は各々の努力の賜物だが、互いにあるいは協力し、助けあい、あるいは切磋琢磨しながらのものでもあった。いわば「同じ釜のメシを喰った」間柄だ。グレアムはレックス財団の評議員も勤めているし、デッドの全社会議に出ることもあった。グレアムはデッド・ファミリーの一員になりたかったが、デッド側は一線を画したことはあったにせよ、グレアムがデッドのインナーサークルに半歩足を踏みいれていたことも確かだ。プロモーターとしての関係ではジョン・シェールとの方がしっくりいっていたとしても、シェールはデッド・ファミリーの一員であったわけではない。
もともとは1928年にアイス・スケート・リンクとして建てられた施設。収容人数はグレアムによる改修で5,400。
10. 1979 Oakland Auditorium, Oakland, CA
三部構成で第二部冒頭〈Sugar Magnolia〉が真夜中。
11. 1980 Oakland Auditorium, Oakland, CA
三部構成。第一部はアコースティック・セット。第三部冒頭の〈Sugar Magnolia〉が真夜中。その前のカウントダウン直前にアーロン・コープランドの〈Fanfare For The Common Man〉が流された。
12. 1981 Oakland Auditorium, Oakland, CA
開演前はずっと雨が降っており、8,000人の聴衆はようやく入った時には一人残らずずぶ濡れだった。冒頭、ジョーン・バエズが5曲、デッドのバックで歌った。第一部8・9曲目〈Big Boss Man> New Minglewood Blues〉にマシュー・ケリーが参加。バエズはアンコール〈It's All Over Now, Baby Blue〉にも登場して踊った由。
13. 1982 Oakland Auditorium, Oakland, CA
20ドル。開演8時。第三部は前日に続き、エタ・ジェイムズとタワー・オヴ・パワー参加。
14. 1983 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
20ドル。開演8時。FM 放送された。ザ・バンドが前座。マリア・マルダーもいた由。
15. 1984 San Francisco Civic Center, San Francisco, CA
25ドル。開演8時。オープナーの〈Shakedown Street〉が《So Many Roads》でリリースされた。
例によって真夜中に〈Sugar Magnolia〉から第二部が始まったが、Sunshine Daydream は無し。声を潰すのでウィアは後を考えて控えたのだろう。
16. 1985 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
25ドル。開演8時。Baba Olatunji が第二部11曲目〈Throwing Stones〉とクローザーの〈Turn On Your Love Light〉で参加。
17. 1986 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
25ドル。開演8時。
18. 1987 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
25ドル。開演7時。第三部2曲目〈Iko Iko〉からクローザーまで4曲にネヴィル・ブラザーズが参加。DVD《Ticket To New Year's》でリリースされた後、半オフィシャルCD《Live To Air》のCDで、第一部2曲目と第三部のクローザー以外の4曲を除いて全体がリリースされた。
元々が全米に生中継された。DeadBase XI で John W. Scott はリモートでショウを体験することのメリットをいろいろ挙げている。その中に〈Wharf Rat〉の静かなところで "Dark Star!" とわめく奴もいない、とあるのに笑ってしまう。
19. 1988 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland , CA
30ドル。開演7時。ピーター・アフェルバウム&ヒエログリフィクス・アンサンブルとトム・トム・クラブが前座。加えて第一部3・4曲目〈Wang Dang Doodle〉〈West L.A. Fadeaway〉と第二部オープナーからの3曲〈Sugar Magnolia> Touch Of Gray> Man Smart, Woman Smarter〉、さらにアンコールのラスト2曲〈Goin' Down The Road Feeling Bad> One More Saturday Night〉にクラレンス・クレモンスが、Drums に Baba Olatunji, Sikiru Adepoju、喜多郎が参加。
20. 1989 Oakland Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時。第一部3曲目〈Big Boss Man〉にボニー・レイットが参加。
第一部クローザーの〈Shakedown Street〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
21. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
開演7時から終るまで、とチケットにある。リバース・ブラス・バンド前座。ブランフォード・マルサリスが第一部クローザーの2曲〈Bird Song> The Promised Land〉と第二部全部に参加。Drums にハムザ・エル・ディンが参加。全米に FM 放送された。
22. 1991 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
最後の大晦日年越しショウ。32ドル。開演7時。ベラ・フレック&フレックトーンズとババトゥンデ・オラトゥンジが前座。(ゆ)
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