帰りのバスで Titta を聴く。これは本当にすばらしい。空間はそう広くないが、その中は空気が澄んで見通しがよく、音にキレがある。立上りが速い。ドラムスの音がキレッキレだ。減衰も速いようにも思えるが、欠点にはならない。そして、音に艷気がある。ヴォーカルになまめかしさが宿る。ケーブル固定でアンバランスだが、十分だ。遮音性は低い。が、音に芯があり、底力があるので、周囲の音の中でも通ってくる。
あまりに楽しくて、どんどんデッドを聴いてしまう。いや、すばらしい。他は要らなくなってくる。
ヘッドフォン・アンプをかませると低域に一層芯が通って、ぐんと出てくる。全体にさらにキレが増して、艷が良くなる。ここまで良いとなると、Carot One のアンプで聴いてみたくなる。
後続の Super Titta や Quasi Titta は売っているが、オリジナルの Titta はどこにも無い。と思ったら、Yukimu のオンラインストアで売っていた。ドライバーが2倍になった Super Titta よりもオリジナルの方がいいという向きも多い。念のため、もう1個買うかなあ。
##本日のグレイトフル・デッド
01月08日には1966、1978、1979年の3本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1966 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
ケン・キージィとメリー・プランクスターズによるアシッド・テストの1つ。2,400人集まった。ここの収容人数は1,100である。一応5曲のセット・リストが残っている。
2. 1978 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
この日もガルシアは喉頭炎で声が出ず、ウィアの持ち歌のみで短かい。
とはいえ、歌えない分、ガルシアはギターに集中し、普段よりも一層見事なギター・プレイを披露した。全体としてこの2日間は、デッドのショウとして一級のもの、と Brian Smith は DeadBase XI で言う。
ビル・グレアムの誕生日でデッドは誕生日プレゼントとして Uncle Bobo の仇名を贈った。グレアムはこの名が大嫌いで、死ぬまで「返上」しようとしつづけた。
デッドとグレアムの関係は単純なプロモーターとバンドというものなどでは無い。グレアムとデッドの縁はアシッド・テストが初めだ。あるアシッド・テストを準備していて、どうしようもなく壊れてしまったギターの弦のブリッジを、必死になって何とか直そうとするグレアムの姿を見て、こいつは信用できるとガルシアは直感した。グレアムはデッドが設立したチャリティ団体レックス財団の評議員も勤めている。プロモーターでは東部を担当した John Scher との間の方がしっくりいっていた。シェーアがプロモーターに徹したせいだろう。グレアムはいわば「口うるさい叔父さん」だった。一方で、エアプレインやクィックシルヴァー、ジャニスなどとともに、デッドが「離陸」できたのはグレアムがいたからこそだし、少なくとも76年のツアー復帰までは、デッドの存続にもグレアムにかかる部分は大きい。
3. 1979 Madison Square Garden, New York , NY
9.50ドル。開演7時半。2日連続の2日目。1978-12-01 の振替え。(ゆ)
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