0117日・月

 あたしには『ドカベン』より『あぶさん』だった。それも初期。繰返し読んだことでは、松本零士の『戦場まんがシリーズ』と双璧だ。富山の薬売り親子との交流のエピソード「祝杯」がベスト。里帰りして母親の再婚相手と初めて会う話。もう少し後では、江夏とあぶさんと「大虎」の亭主、常連たちが、大晦日の大阪球場で野球をする話。その江夏とあぶさんの「対決」の話。それにビデオの誠さん、バッティング・ピッチャー西村省一郎、鈴木マネージャー、市原通訳などの裏方に焦点を当てた話が記憶に残る。『野球狂の詩』も、連載になってからではなく、不定期の読切の頃が良かった。「差別語」満載で、今では復刻できないだろうと思われる、視力が弱り、きわどい判定ができなくなった審判を鉄五郎が最後の試合に引張りだす、タイトルは忘れたが、あの話は忘れられない。考えてみれば、音だけでボールかストライクかの判定ができるはずはないんだが、そんなことはどうでもよくなる。そういえば『男どアホウ甲子園』の藤村甲子園の相棒のキャッチャーは盲目だ。

 『野球狂の詩』ではさらに、メッツ黄金時代のナインの名前を、近くの駅から自分の旅館前までのバス路線の停留所名にしたかつてのファンの話。鉄五郎に若い頃恩義を受けたヤクザの親分が鉄五郎引退の危機を救う話。国立玉一郎とライバル山井英司の高校時代の話。後の『あぶさん』の原型になる、飲兵衛のピッチャーの話。

 水島新司はとにかく野球を知っていた。野球というスポーツ、ゲーム、練習や試合の諸相、面白さ、長所と欠点、可能性、選手やスタッフやメディアやファンの生態や心理、およそ野球に関係することでは裏も表も、ほんの些細なことから極大にいたるまで、血肉化していた。あたしは野球世代で、好き嫌いに関係なく野球は体に沁みこんでいるから、そこのところがちょいと顔を出すだけで喜んだ。野球を知らない人にも、どこからくるのかわからない面白さとして感じられるのではないかと推察する。そうでなければ『ドカベン』があれだけ売れないだろう。野球マンガというジャンルをとことん突き詰めることで、普遍にいたっていた。出発点は野球なのだが、話の根幹はその外にある。

 あの世では野村と野球を楽しんでいるだろうか。それとも、マンガを描いているだろうか。冥福を祈る。合掌。



##本日のグレイトフル・デッド

 0117日には1968年から1979年まで、5本のショウをしている。公式リリースは2本。


1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 当日2.50ドル。開演8時、終演午前2時。ベンジャミン・フランクリンの誕生日記念。ポスターは100ドル紙幣のフランクリンの肖像を大きくフィーチュア。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス共演。照明は Jerry Abrams で、この人の手による14日の Human Be-In を描いた短篇映画 YouTube にある。

 日付と場所がはっきりわかっている〈Dark Star〉の初演。これ以前にも演奏されていたと言われるが、アシッド・テストの一環だったり、どこかわからない場所だったりして、明確になっていない。曲自体は前年1114日にノース・ハリウッドの American Studio で録音されたものがシングルとしてリリースされた。アルバム収録は無し。この日は2つのヴァージョンが録音され、先の方が採用された。もう一つのテープも出回っていた。

 特徴的なリフから始まるこの歌はロバート・ハンターとデッドの共同作業の最初のものとされる。デッドを象徴する歌を1曲だけ挙げろと言われれば、この歌に止めをさす。グレイトフル・デッドはこの曲を演奏することでグレイトフル・デッドになっていった。演奏回数235回はそれほど多くはない。1974年秋からの休止期以後、演奏回数ががくんと減るからで、197606月のライヴ復帰後最初の演奏は1978年の大晦日、ウィンターランド閉鎖のショウの時。以後散発的に演奏され、198910月以降、やや頻度が増え、最後は19940330日アトランタ。この曲はグレイトフル・デッドが成長するにあたって必要としたけれど、できあがったデッドにとっては、原点再確認のためのものとなったと言えよう。


2. 1969 Unknown Venue, Santa Barbara, CA

 ヴェニューは Civic Auditorium という説もある。テープが残っている。約1時間半の一本勝負のショウ。後半クローザーの〈That’s It for the Other One > Cosmic Charlie〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 このショウではプロモーターとヴェニューがデッドに自分たちの機材を使わせず、ためにバンドはステージ上のモニタリングができなかった。結果、演奏はひどいものになり、ガルシアはカネをとるに値しないとして、チケット代を客に返そうとした、という話がある。デニス・マクナリーの A Long Strange Trip に記載があるというのだが、見つけられない。演奏を聴くかぎりは、そうしたトラブルはあまり感じられないが、細かいところで連携がわずかにずれているようでもある。

 演奏は面白い。故意か、トラブルによるものか、二人のドラマーのビートがズレているのがかえって浮遊感を生み、ガルシアのギターがそれに乗って疾走する。ジャムの後のウィアのヴォーカルを聴くと、なるほど自分の声は聞えていないようでもある。ここでは〈The Other One〉の疾走感と後ろの〈Cryptical Envelopment〉の穏やかにたゆたうジャムの対比が静かな緊張感を生む。ぴーんと張りつめたの表の感覚ではなく、裏に隠れた感覚。

 そのまま〈Cosmic Charlie〉へと続く。こちらもゆったりとした、少し跳ねるような曲。ハンター&ガルシアの曲だが、珍しくウィアがリード・ヴォーカルをとる。先ほどの緊張感はまだ尾を引いていて、それでもほのかに明るい、コミカルな色が射しこむ。歌詞はタイトルから予想されるように、シュールで意味がとりにくい。別の見方をすれば、どうにでも解釈できる。

 〈That’s It for the Other One〉は〈Cryptical Envelopment> The Other One> Cryptical Envelopment〉という組曲。〈Cryptical Envelopment〉はガルシアの単独作、〈The Other One〉はウィアとクロイツマンの共作。中央の〈The Other One〉の前にドラムスのソロが入ることも多い。やがて両側の〈Cryptical Envelopment〉が落ち、中央の〈The Other One〉だけが演奏されるようになる。19671110日、ロサンゼルスで初演。組曲時代は後ろの〈Cryptical Envelopment〉でジャムになることもある。19710428日のフィルモア・イーストから〈The Other One〉単独になる。スタジオ盤は《Anthem Of The Sun》。演奏回数総計601回で第3位。

 The Other One〉の2番の歌詞の一節、

The bus came by and I got on, that's when it all began

There was Cowboy Neal at the wheel of the bus to never ever land

 から、デッド世界に入ることを「get on the bus バスに乗る」と表現することが、デッドヘッドの間の決まり文句の一つとなった。"Cowboy Neal" はニール・キャサディ(1926-68)、ジャック・ケルアック『路上』のメイン・キャラの一人ディーン・モリアーティのモデルで、ビート・ジェネレーションを代表する人物をさす。キャサディはケン・キージィ&メリー・プランクスターズがサンフランシスコからニューヨークまで旅したバス "Furthur" の運転手を勤めた。そして、グレイトフル・デッドがバンドとしての結束と演奏能力を高めたのはメリー・プランクスターズが主催した「アシッド・テスト」で演奏することによってだ。

 〈Cosmic Charlie〉はハンター&ガルシアの1曲。19681008日、サンフランシスコで初演。1969年、70年に集中的に演奏された後、レパートリィから落ちる。1976年に復活し、最後は19760925日、メリーランド州ランドーヴァー。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》。計45回演奏。


3. 1970 Gill Coliseum, Oregon State University, Corvalis, OR

 約2時間の一本勝負。6曲目〈Cumberland Blues〉が《The Golden Road》所収の《Workingman's Dead》ボーナス・トラックとしてリリースされた。

 〈Cumberland Blues〉はハンター&ガルシアの1曲。19691108日フィルモア・オーディトリアムで初演。最後は19950709日シカゴのデッド最後のショウ。スタジオ盤は《Workingman’s Dead》。計226回演奏。休止前まではレギュラーだったが、休止期後は1981年まで演奏されず。以後は年に数回ながら、コンスタントに演奏された。

 アップテンポであまりブルーズらしくない、ユーモラスな曲。コーラスが三声のハーモニー、途中ウィアが一番歌う。普通のポピュラー・ソング、ロック・ソングの組立てで、間奏のガルシアのギターが快調。この日は調子が良いとわかる。

 このショウは《Live/Dead》冒頭のメドレー〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉の組合せが最後に演奏されたものでもある。この組合せは1968年8月からここまで計64回演奏されている。1969年を特徴づけるメドレー。

 〈St. Stephen〉はハンター&ガルシア。スタジオ盤は《Aoxomoxoa》。明確な初演は19680614日フィルモア・イースト。最後は19831031日。計169回演奏。中間部に通称「ウィリアム・テル・ブリッジ」と呼ばれる特異なパートを持つ。これはデッドの音楽の中で最もクラシックにテイストが近いメロディと構造の曲で、三声のコーラスで歌われる。曲自体は1971年秋までは頻繁に演奏されるが休止期以降は散発的になり、また「ウィリアム・テル・ブリッジ」が演奏されなくなる。

 〈The Eleven〉はハンター&レシュの曲。スタジオ盤収録無し。上記19680117日初演、最後は19700424日。計99回演奏。

 この3曲のメドレーないし組曲の印象があまりに強烈なせいか、この3曲はどれもこの頃「バスに乗った」デッドヘッドにはたいへん人気がある。後の2曲は早くにレパートリィから落ちたため、様々な形でしきりにリクエストされた。バンドはファンとのつながりを大切にしたが、こと何を演奏するかについては、ほとんどまったくといっていいほどリクエストには応じず、自分たちが演奏したいものを演奏し、したくないものはしていない。


4. 1978 Sacramento Memorial Auditorium, Sacramento, CA

 第二部4曲目〈Estimated Prophet〉からクローザー〈Around And Around〉まで、1時間半近いノンストップ。歴史に残る演奏、と Micke Dolgushkin DeadBase XI で書く。後半〈Black Peter〉で、ガルシアの声が嗄れ、最後まで歌いきるか危うかった。


5. 1979 New Haven Coliseum, New Haven, CT

 7ドル。前年1125日の振替え。この日もひどい雪。前年のキャンセルの埋め合せは十分にできた。(ゆ)