0120日・木

 コメントで教えられた制服向上委員会の〈グレイトフル・デッドを聴きながら〉のオリジナルを調べると、SKi のリーダー橋本美香のセカンド・ソロ・アルバムだった。アマゾンで中古を注文。それにしても、こういうオマージュ・ソングをアメリカで聴いた覚えがない。ないはずはないが、たとえば Family Discography にも、カヴァーはあるが、グレイトフル・デッドを題材にした歌、グレイトフル・デッドに感謝する歌というのは出てこない。どこを探せばいいんだろう。

グレイトフル・デッドを聞きながら
橋本美香
アイドルジャパンレコード
2011-02-28

 

 最新のカヴァー集 Dave McMurray, Grateful Deadication Tidal で聴く。ベティ・ラヴェットが歌い、ウィアがギターで参加している〈Loser〉が聞き物。語り手の負け犬に自分を重ねるガルシアの歌い方とは対極的に、ラヴェットは突き放して歌う。'Queen of Diamonds' を 'King of Diamonds' に換えているから、ヒロインとして歌っているのだが、ガルシアの主人公が負け犬であることをどこまでも認めないのに対して、ラヴェットは半ば客観的に、半ば自嘲的に自分を見ている。ソウル・シンガーの Herschel Boone の歌う〈Touch of Grey〉もいい。これもガルシアが歌うと希望の歌だが、この人は生きのびる、しのげることを確信している。


Grateful Deadication
Dave McMurray
Blue Note Records
2021-07-16

 

 さらに James & the Good Brothers の冒頭3曲を聴く。覚えていたものよりずっとフォーキー。この3曲はドラムレスで、本人たちだけのようだ。オートハープがアクセントになっている。楽器としては不器用だが、これは新鮮。1曲ベースが入っているのはホット・ツナのベーシストか。



##本日のグレイトフル・デッド

 0120日には1968年と1979年の2本のショウをしている。公式リリースは1本。


1. 1968 Eureka Municipal Auditorium, Eureka, CA

 3ドル。午後9時から午前2時。共演クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス。

 1時間強の一本勝負。うちクローザーの2曲〈Viola Lee Blues〉が《Road Trips, Vol. 2, No. 2》で、〈Good Morning Little School Girl〉がそのボーナス・ディスクでリリースされた。後者は所有せず。

 Viola Lee Blues Noah Lewis の作詞作曲とされるが、実際にはそれ以前から伝承されていた曲があり、ルイスはこれを整えて、著作権登録したということだろう。Kansas Joe McCoy による Joilet Bound という曲も同様の歌詞をもち、こちらは1929/30年頃に録音されている。どちらも祖先は共通だろうと推測されている。

 デッドは明確には1966年5月19日にサンフランシスコで初演。19701031日まで30回演奏している。長いジャムになることが多く、1960年代のいわゆる「原始デッド」のレパートリィを代表する曲の一つ。ここでも20分の演奏。

 ブルーズ調の曲だが、リード・ヴォーカルはピグペンではなく、ガルシアとウィアのコーラス。半ばからテンポが上がり、ほとんどジャズ・ロックになる。レシュのベースがリードをとり、ガルシアのギターはこれに煽られる。ドラムス、オルガンも絡んで、バンド全体での即興。それほど複雑なことはしていないが、集中と温度の高さで聴かせる。ガルシアのギターはリード・ギターというよりも、そのままではとっちらかって収拾がつかなくなるところに1本筋を通し、他のメンバーのやっていることを吸いこんでゆく。クライマックスで全員が最大音量で同じ音をキープするのは、音楽の流れに沿っているとともに、時代の要請に応えてもいる。それはまた混沌の象徴でもあって、デッドは秩序よりも混沌をめざしてもいる。ただし、そこで終るのではなく、その後、何ごとも無かったようにまた歌にもどるところもデッドのスタイルだ。

 またこのショウでは〈Dark Star〉の2度目の演奏があり、シングル同様3分で終る。


2. 1979 Shea's Theatre, Buffalo, NY

 8ドル。この日も吹雪で、バンドの到着が遅れ、開演も押した。が、演奏は良かった由。とりわけ第二部後半で〈Dark Star〉が演奏され、この夜を特別なものにした。休止期以後にこの曲が演奏されるのは稀なので、演奏されると聴衆の注意が集中し、会場内のエネルギーが高まった。この会場には独得の雰囲気があり、それがこの〈Dark Star〉を特異なものにしたという説もある。

 会場は1926年にブロードウェイの演し物をもってくるための劇場としてオープン。1970年代半ばに再出発した。収容人数は3,000。コンサート会場としても頻繁に使用されている。デッドがここで演奏したのはこれが最初で最後。

 このショウの直前、ドナはツアーに我慢できなくなり、独り、カリフォルニアに帰った。(ゆ)