0123日・日


 

 ヘイスティングスのファースト。2015年に BBC Young Traditional Musician of the Year を受賞し、翌年リリースをようやく聴く。受賞に恥じない、というよりも賞の権威を大きく増幅する出来栄え。

 トラディショナルは1曲だけで、自作が半分と様々な人の歌のカヴァー。どの曲も佳曲で、選曲眼がいい。最も有名なのは〈Annie Laurie〉だろうが、これも独自の歌になっている。祖母のお気に入りだったヴァージョン。

 バックもスコットランドの若手のトップが揃い、プロデュースはギターの Ali Hutton。いい仕事をしている。アレンジにも工夫がこらされ、新鮮かつ出しゃばらない。バランスがみごと。

 ウクレレを持つシンガーというのは、スコットランド伝統歌謡の世界では珍しい。もっともここでは器楽面は他にまかせ、歌うことに専念している。Top Floor Taivers でも現れていた、ケレン味の無い真向勝負の歌は実に気持ちがよい。一方で、ここまで真向勝負できる声と歌唱力を備えるうたい手も少ない。Julie Fowlis に続く世代の、まず筆頭のうたい手。


##本日のグレイトフル・デッド

 0123日には1966年と1970の2本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。また1969年にアヴァロン・ボールルームでのリハーサルのテープがあり、《Downlead Series, Vol. 12》でそのうちの2曲〈The Eleven〉と〈Dupree's Diamond Blues〉がリリースされた。後者は翌日がデビュー。


1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA

 トリップ・フェスティヴァルの3日目。The Loading Zone が共演に加わっている。

 The Loading Zone 1966年、バークレーで元はジャズをやっていたキーボーディストの Paul Fauerso が結成。ベース、ドラムス、ギター二人の5人組。このトリップ・フェスティヴァルがデビュー。ギタリストの二人は The Marbles というこれもバークレーのサイケデリック・ロック・バンドのメンバーだった。The Marbles 196510月にこの同じヴェニューで開かれた Family Dog のプロモーション・コンサート "Tribute to Dr. Strange" でジェファーソン・エアプレインの前座を勤めた。ローディング・ゾーンも他のビッグ・アクトの前座を勤めることが多く、人気はあったが、1968年のデビュー・アルバムが不評で1969年に解散。リーダーのファウアーソは別メンバーで同じ名前で再出発をはかり、セカンドも出すが、1971年に解散。ファーストはストリーミングで聴ける。

 ロックというより、ブラス付きのリズム&ブルーズ・バンドの趣。今聴くと、二人いるシンガーはまずまずで、特に片方の声域が高く、若く聞える方はかなりのうたい手だし、全体の出来として水準はクリアしているとも思えるが、カヴァー曲が多く、当時は「オリジナリティがない」とされたらしい。オリジナリティはそういうもんじゃないということはデッドのカヴァー曲演奏を聴いてもわかるが、1960年代後半から70年代初めは、どんなに陳腐ものでも自作と称すればオリジナリティがあるとされ、カヴァーはダメという風潮は確かにあった。ひょっとすると今でもあるか。


2. 1970 Honolulu Civic Auditorium, Honolulu, HI

 このヴェニュー2日連続の初日。開演8時、終演真夜中。ホノルルはデッドにとって西の最果て。《Dave’s Picks, Vol. 19》で全体がリリースされた。前座は The Sun And The Moon, September Morn, Pilfredge Sump で、いずれも地元のバンドと思われる。もう一人、Michael J. Brody, Jr. もこの日、デッドの前座をしていると Sarasota Herald Tribune 紙に報道がある。もっともこの新聞はフロリダの地方紙で、ハワイでのできごとについての報道にはクエスチョン・マークがつく。他にこれを裏付けるものも無いようだ。

 Michael J. Brody, Jr. (1943-1973) 1970年1月に、継承した遺産2,500万ドルを、欲しい人にあげると発表して注目された人物。それに伴なって騒ぎになると、姿を消した。エド・サリヴァン・ショーに登場してディランの曲を12弦ギターを弾きながら歌ったそうだ。何度か新聞ネタを提供した後、197301月に拳銃自殺する。

 DeadBase XI では前日01-22にもショウがあり、またこれを含めた3日間のショウにはジェファーソン・エアプレインも共演したとしているが、地元紙 Honolulu Star-Bulletin の記事・広告の調査で、ショウは2324の両日のみで、エアプレインは共演していないと判明している。ハワイではこの年6月にもう2本ショウをしている。

 2時間強の一本勝負。7曲目〈Casey Jones〉はテープが損傷しているらしく、途中で切れる。〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から始まるのは珍しく、こういう珍しいことをやる時は調子が良い。〈Black Peter〉〈Casey Jones〉〈Dire Wolf〉というあたりは《Workingman's Dead》を先取りしている。デッドはスタジオ盤収録曲をアルバムを出す前から演奏するのが常だ。ライヴで練りあげてからスタジオ録音し、その後もまたライヴを重ねて変えてゆく。

 調子は尻上がりで、〈Good Lovin' > That's It for the Other One > Dark Star > St. Stephen〉と来て、〈Turn On Your Lovelight〉は30分を超える熱演。1時間半ノンストップ。ピグペンのヴォーカルは良く言えば肩の力が抜けながらどこまでも粘ってゆく。ここでもガルシアのギターがシンプルで面白いフレーズを連発してつなぐ。

 この年は新年2日に始動していて、これが7本目のショウ。エンジンがかかってくるとともに、1969年までのデッドから1970年代前半のデッドへの変身も進行している。

 会場は1933年建設、1974年に解体。ザッパ、レッド・ツェッペリンはじめロック・アクトの会場として数多く使われ、ライヴ音源も複数リリースされている。収容人数は不明。

 1986年、糖尿病による昏睡から奇跡的に回復したガルシアはクロイツマンの薦めにしたがい、ハワイでスキューバ・ダイビングすることで、完全に復調する。以後、ガルシアは休暇のたびに、クロイツマンとハワイで過ごした。クロイツマンはバンド解散後、ハワイに住んでいる。

 なお、Jerry Garcia Band 1990-05-20のハワイ島ヒロでのショウが、《GarciaLive, Vol. 10》でリリースされている。


+ 1969 Avalon Bollroom, San Francisco, CA

 翌日から3日連続でここでショウをするためのリハーサル、らしい。公式リリースされているリハーサルとしては他に、

So Many Roads》に199302

2020年の《30 Days Of Dead》で198203

Reckoning2004年拡大版に198009

Beyond Description》所収の《In The Dark》のボーナス・トラックに198608月と12

Portcards Of The Hanging》に198706

Rare Cuts & Oddities 1966》に1966年初め

がある。

 音は粗い。ほとんどモノーラルに聞える。冒頭が欠けており、途中、損傷していて音が飛ぶ。演奏は良い。〈The Eleven〉では、ガルシアがこの時期としてほ面白いフレーズを連発する。〈Dupree's Diamond Blues〉は一度通して歌う。ハンター&ガルシアの曲で、実話に基く宝石店強盗を歌ったこの歌は19690124日、サンフランシスコでデビュー。1969年7月まで歌われるが、そこで一度レパートリィから落ちる。197710月から1978年4月まで復活、また落ちて1982年に復活、80年代は頻繁ではないが、コンスタントに歌われ、199003月で消え、19941013日、マディソン・スクエア・ガーデンが最後。トータル78回演奏。メロディはコミカルだが、内容はなかなかシビア。(ゆ)