02月02日・水
ドラマーの福盛進也は生まれつき片耳しか聞えない、というのに驚く。なので自身設立したレーベルから出す録音はすべてモノーラルなのだそうだ。それであれだけの音楽ができるのだから、片耳であることはハンディキャップではない。あるいはハンディキャップではないように努力しているということか。
もっとも、もちろん、両耳の聞え方がまったく同じ、というのもありえないだろう。誰しも誤差があり、それも年齡を重ねるとともに大きくなったりする。ヴァイオリン奏者は年をとるにつれて左耳の聞こえが違ってくるはずだ。
「良い音」というのは、そういう誤差や障碍を越えて音楽の真髄を屆けられる音、という定義もできそうだ。
それに良い音はステレオかモノーラルかも関係ない、ということになる。ステレオもまた本質的に必要なものではない。となると空間オーディオも本質的に必要なものではない。ホンモノの音楽、ホンモノの良い音はモノーラルでも十分伝わる。空間オーディオを必要とするのは、そういう装飾をしなければ鑑賞に耐えられないものと邪推もしたくなる。あれは、新たな地平を開くというよりはむしろ、技術的に可能だからやってみました、が本当のところなのだ。それはそれで別にまずいことではないが、本質的に必要なものではないことはわきまえておいた方がいい。
『みすず』2022・1+2月号、読書アンケート特集号。毎年、これだけは買っている。しかし、ここに書いている人たちは、いったいいつ本を読んでいるのか。どうやって時間をとっているのか。ここに挙げている本の数倍、数十倍の本を読み、それ以外にも雑誌やウエブ・サイトやメールも読んでいるだろう。その上で自分の仕事もし、生活もしている。ほとんど、人間業とは思えなくなってくる。
##本日のグレイトフル・デッド
02月02日には1968年から1970年まで、3本のショウをしている。公式リリースは2本。
1. 1968 Crystal Ballroom, Portland, OR
5曲目〈Clementine〉が《So Many Roads》で、7曲目〈Dark Star〉が《Road Trips, Vol. 2, No. 2》でリリースされた。
〈Clementine〉はトータル5回しか演奏されていない。これはその3回目。演奏は悪くないが、曲がよくわからない。メロディが記憶に残らない。
〈Dark Star〉は記録の上では10回目の演奏で、シングルに近い速いテンポで短かい。少し展開が始まっている。公式リリースでは今のところ最も早い時期のもの。日付と場所が確実な録音としてもおそらく最も早い。これ以前とされる録音は日付が不確定だったり、どちらも不明だったりする。
《Road Trips, Vol. 2, No. 2》にはこの日のものと、この次の次の演奏である02月14日ポートランドでのものと、二つの〈Dark Star〉が収録されている。
2. 1969 Labor Temple, Minneapolis, MN
開演8時。終演12時。1時間半強の一本勝負。セット・リストからしても典型的な「原始デッド」。
1969年前半のデッドが "Primordial Dead" と呼ばれるのは、これがここまでのデッドの音楽の完成形と言えるからではないか。《Live/Dead》の姿だ。1969年後半になると《Workingman's Dead》で明らかになる次の位相が現れはじめ、1970年に年が変わると別のバンドといってもいい姿をとるようになる。《Live/Dead》では、それまでのデッドがやってきた音楽が融合されている。完成することは一種の袋小路でもある。このままではこれ以上、どこにも行けない。デッドはできあがったものを続けることに関心がない。やって愉しいことだけを追いもとめる。それは常に変わってゆくことだ。そこでデッドがとった戦略が原点回帰だった。
グレイトフル・デッドとして出発した時、ガルシアはそれまでやってきた音楽を一度捨てている。ピグペンと出逢うことでエレクトリックのバンドを始めることにして、当初はブルーズ・ロックないしR&Bロック・バンドを目指す。ケン・キージィ&メリー・プランクスターズと出逢い、アシッド・テストに参加することで、超現実的超越的な即興音楽がそこに加わる。さらにフィル・レシュのクラシックの素養も流れこんで、「原始デッド」の姿が整う。それが1968年前半までの段階で、1968年後半から1969年初めにかけて「原始デッド」が完成されてゆき、《Live/Dead》に結実する。
その次を探った時、かつてやっていたカントリー、ブルーグラス、オールドタイムなどのアメリカのルーツ・ミュージック、いわゆるアメリカーナに、もう一度源泉を仰ごうとした。ガルシアがデッドを組む前にどっぷりと漬かっていた音楽である。この戦略のイニチアティヴをとったのは当然ガルシアだろう。それ以前の、「原始デッド」路線の採用と完成にガルシアが関わっていなかったとか、傍観者だったというわけではない。デッドのプライム・ムーヴァーは最初から最後までガルシアだった。ただ、「原始デッド」で主導権をとっていたのはピグペンであり、レシュだった。二人を前面に立てて、自分は後からフォローアップする立場を、ガルシアはとっていた。意識してか、無意識にかはわからない。半ば意識的、半ば無意識的だったかもしれない。1969年のどこかで、自ら主導権をとって次の路線をめざすことを、ガルシアは選ぶ。これまた意識的か無意識的かはわからない。「自然にそうなった」のかもしれない。
とまれ、1969年01月から02月にかけてのデッドは、結成以来、最初のピークにある。
これを例えばジェファーソン・エアプレインやクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスなどの同時期のバンドと比べてみると、その歩みはかなり遅い。デッドがヒットを狙うよりも、バンドとして演奏することを最優先にしたことが大きな要素ではないかと思われる。一方で歩みが遅いことで、バンドとしての基礎体力すなわち演奏能力、アレンジ能力、そしてメンバーだけでなくクルー、スタッフも含めてツアーを続ける能力を確立することもできただろう。
もっとも、そうして時間をかけていても、変身は簡単なことではなく、スムーズに行われたわけでもない。そうした変身、路線転換には当然様々な摩擦がつきものだ。この年後半に表面化する、ピグペンとウィアをバンドから外す動きもその摩擦の一つだろう。意地の悪い見方をすれば、この動きは主導権を失いそうになったレシュが、それを守ろうとした試みとも見える。
3. 1970 Fox Theater, St. Louis, MO
全体が《Dave's Picks, Vol. 6》でリリースされた。
CDでは1時間40分の一本勝負。実際には2時間ほどだろう。
半ばの〈Dark Star〉はすでに20分を超えるまでに成長し、中間は後の space のようなフリーで空間の大きな、音の隙間の多い即興になってから、さらに一定のビートはあるが、メロディは不定形のジャムへと移る。安定かつ不安定、秩序と混沌が同居するデッドの音楽の特徴の一つで、これが出る時は調子が良いし、デッドを聴く愉しみでもある。このジャムは特定のムードをもつフレーズを核として展開されることもあり、後に〈Spanish jam〉とか〈Mind and body jam〉などと名前をつけて呼ばれるようになる。
歌に戻った後、続けて〈St. Stephen〉に移るが、「ウィリアム・テル・ブリッジ」は省き、再び不定形ジャムになる。その後は前年のように〈The Eleven〉には行かない。終り近く、〈Turn On Your Lovelight〉の途中でバンドは〈Not Fade Away〉に移ってワンコーラスやり、また〈Turn On Your Lovelight〉に戻ってコーダ。
「原始デッド」から、1970年代前半、大休止までのデッドへの変身過程にあって、新旧の要素が入り混じる。このショウの場合、新旧の要素がたがいに相手を刺激しあって、相乗効果を生んでいる。
70年代前半の「アメリカーナ・デッド」への変身が完成するのは、これまた時間をかけて、1972年春のヨーロッパ・ツアーというのがあたしの見立てだ。1973年、74年は「アメリカーナ・デッド」の次の位相を求めて試行錯誤を続け、ついに再び行き詰まって、ツアーを休止する。1976年06月に復帰した時には、また別のバンドになっている。(ゆ)
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