02月18日・金
インドはじめアジアの食品、雑貨を輸入しているティラキタのブログで、インドのインフレが激しくなっているという話。運送費が上がっていることは実感しているが、それだけではなく、ブツの値段がそもそも上がっているそうな。アメリカでもヨーロッパでも物価は上がっている。インフレ対策で家計費補助をどうするというのがアイルランドでは問題になっている。
わが国もこれから物価がどんどんと上がるだろう。ガソリンがすでに上がっているし、先日、カップ麺の値上げが発表されていた。JVCケンウッドも全製品の値上げを発表した。コーヒー豆も、MacBook や iPhone も、値上がるだろう。日銀総裁は喜ぶかもしれないが、収入が上がらないこちらはビンボーになる。
物価が上がらなかったのは、モノがあふれていたからだ。もしくは、あふれていると見せていたからだ。見かけは上がらなくても、中身の量は落ちている。値段も量も変わらなければ、質が落ちている。ファーストフード店のポテトが品薄なのも、値段を上げないために、輸送費を抑え、仕入れの総額を抑えようとすれば、量を減らすしかない。カネを出せないのなら、モノは来ない。経済の実力が問われることになる。
##本日のグレイトフル・デッド
02月18日には1971年と1985年の2本のショウをしている。1971年に公式リリースがある。
1. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY
このヴェニュー6本連続のランの初日。前半10曲目〈Wharf Rat〉の後のジャムが〈Beautiful Jam〉として《So Many Roads》でリリースされ、4曲目〈Loser〉が2016年の、オープナー〈Bertha〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《American Beauty》50周年記念盤で全体がリリースされた。この全体のリリースでは〈Beautiful Jam〉は〈Dark Star, Part II〉とされている。
なお、臨時で Ned Lagin がオルガンで参加し、以後、しばらく非公式メンバーとしてショウに参加する。ラギンは後にレシュと組んで、第一部と第二部の間に〈Seastones〉と呼ばれるパートを展開する。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座で、ガルシアがペダルスティールで参加。
このショウは話題が多い。まず、聴衆がテレパシーの実験に参加を求められた。サイケデリック・ドラッグの研究を通じてデッドの友人となっていた Dr. Stanley Krippner なる人物がこの当時超能力と睡眠の研究をしており、その実験をしたいというのに、デッドが積極的に協力した。演奏しているバンドの背後の壁に投射された図形を、聴衆はクリプナーの研究所で眠っている相手にテレパシーで送るよう要請された。結果は「意味あるもの」だったそうだ。
DeadBase XI の Ron Waloff のレポートによれば、NRPS の演奏中、消防の制服を着た男たちが通路を通ってステージに上がった。場内は様々なシロモノからの煙が充満していたから、そのせいかと思ったら、爆弾をしかけたという脅迫が入ったとのことで、全員、外に出された。しばらくして、安全確認されて、中に入ることが認められた。チケットの確認は無かった。爆弾の話は、チケットを持たない連中が入ろうとしてでっち上げたのではないかと言われた。
次に、一挙に5曲、新曲が披露された。オープナーの〈Bertha〉、4曲目〈Loser〉、次の〈Greatest Story Ever Told〉、10曲目〈Wharf Rat〉、そして第二部6曲目〈Sugar Magnolia〉。
新曲のうち〈Bertha〉と〈Wharf Rat〉にはスタジオ盤収録が無い。ともに《Skull & Roses》が公式アルバム初出。どちらもハンター&ガルシアの曲。
〈Bertha〉は公けに演奏されたのは1970年12月15日が最初だが、この時はガルシア、デヴィッド・クロスビー、レシュ、ハートというメンバーで、デッドとしてはこの日が初演。最後は1995年06月27日。計 403回演奏。演奏回数17位。《Skull & Roses》に収録されたのは1971年4月27日フィルモア・イーストでの演奏。「バーサ」とはデッドのオフィスにあった背の高い扇風機で、スイッチが入って回りだすと、勝手にあちこち動く癖があった。不器用で余計なことをしてしまうが憎めない存在、そこにあることで、その場の空気が和む潤滑油のような存在をユーモラスにうたった、シンプルな曲と聴くこともできる。少なくともガルシアの曲はそう聴かせる。これがオープナーや一部でも前半にうたわれることが多いのは、曲調も含め、場の雰囲気をゆるめる作用があるからだろう。もっともハンターの詞は例によっていろいろと深読みができる。うたわれる対象が、デッドという存在そのものとも見える。
〈Wharf Rat〉は最後が1995年06月25日、計398回演奏。演奏回数19位。《Skull & Roses》に収録されたのは1971年4月26日のフィルモア・イーストでの演奏。3つのパートに明確に別れる組曲構造をもち、アル中の路上生活者というどん底の男 August West の話を語り手が聞くという枠物語でもある。ウェストは今こそ wino に落ちぶれてはいるが、魂までは酒に売ってはいない、と語り、そしてパート3で、おれは翔ぶのだ、と宣言する。アル中の見はてぬ夢と冷たく見放すこともできようが、ガルシアの歌を聴くと、必ずしもそうは聞えない。ヴァージョンによって色彩の濃淡は異なるが、必ず、希望がこめられている。くり返し、聴くにつれて、その希望の色はだんだん濃くなってきた。デッドの音楽は聴く者の内に希望を湧かせる。あたしの最も好きな曲の一つではある。
〈Loser〉はハンター&ガルシアの曲。1995年06月28日まで、コンスタントに演奏され、トータル352回演奏は25位。スタジオ盤は1972年のガルシアのソロ・ファースト。ちなみにこのガルシアのファーストには、この曲の他にも、その後デッドの定番レパートリィとなる曲が多数収録されている。〈Deal〉〈Bird Song〉〈Sugaree〉〈To Lay Me Down〉〈The Wheel〉と半数を超える。
負けつづけるギャンブラーの "I got no chance to lose this time." というつぶやきに、聴くたびに胸をえぐられる。ああ、こいつ、次も負けるな、それが最後かも、と聴くたびに思う。本人も実はそうは信じていない。そうあって欲しい、そうあるはずだ、と自分に言い聞かせようとしている。それもまたわかるから一層哀しい。この曲はたいていショウの前半または第一部で演奏され、そんなに長くならないが、間奏でガルシアが歌に負けないくらい胸をえぐるギターを聴かせることが多い。ここには希望はない。無いのだが、《Europe '72: the Complete Recordings》で繰返し聴くうちに、この歌の魅力にハマってしまった。デッドに名曲は多いが、これは五指に入る。
〈Greatest Story Ever Told〉はハンター&ウィアの曲。1995年06月27日まで計281回演奏で45位。スタジオ盤はウィアのソロ・ファースト《Ace》。このアルバムはデッドのメンバーが全員参加しているし、収録曲中、1曲を除いてデッドのレパートリィの定番となったし、ウィア自身、インタヴューに答えて、これは自分としてはグレイトフル・デッドのアルバムと思っていると発言しているから、デッドのスタジオ盤の1枚とみなす向きがあるのは当然と言える。しかし、デニス・マクナリーのバンドの公式伝記 A Long Strange Trip によれば、アルバムの企画、録音は終始、ウィアが先導しているから、集団としてのバンドのアルバムとはやはり別ものと捉えるべきだろう。
《Ace》がグレイトフル・デッドのアルバムではないのは、ここには、各々独立したベクトルが互いに引付けあい、反発しあいながら進む方向を決めてゆく危うい均衡を保ったプロセスが無いからだ。ここでは、ウィアの意志がすべてをまとめている。だからまことにすっきりと進路が決まっている。デッドにあっては一人の意志がすべてを決めることはない。ガルシアは中心ではあったが、リーダーではなかったし、まとめ役でもない。音楽面でも、ガルシアがすべてを決めているわけでは無い。どこへ向かうかは常に流動的だ。スタジオ・アルバムではこういうプロセスはマイナスに作用することが多い。ライヴにあっても必ずしもうまくゆくとは限らない。むしろ、うまくゆかない場合の方が多いだろう。しかし、スイッチが入って、各々のベクトルが揃うときには、何者にも止められない推進力を発揮する。その軌跡が1本1本のショウになる。
〈Greatest Story Ever Told〉は歯切れのよい、闊達な曲調で、ショウや第二部のオープナーや第一部クローザーになることが多い。詞の内容は旧約聖書の創世記を敷衍して、その登場人物が現代にやってくる仕立て。あまり長くならず、すぱりと終る。
〈Sugar Magnolia〉をめぐっては、作詞のロバート・ハンターが、作曲のウィアが勝手に歌詞をいじって変えてしまうことに腹を立て、この曲とは一切の縁を切り、以後、ウィアに詞を提供しないと宣言し、さらにたまたま傍にいた John Perry Barlow をさして、ウィアにこれからはこいつと組め、と言いはなった。ここにバーロゥ&ウィアのコンビが誕生して、ハンター&ガルシアとは別の流れの楽曲を提供することになる。デッドを貫く「双極の原理」の最も顕著な現れの一つだ。
この曲の最後は1995年07月09日最後のショウのアンコール前のクローザーで、演奏回数601回は〈The Other One〉と同数第3位。スタジオ盤は《American Beauty》収録。ショウのクローザーが定位置だが、大晦日の年越しショウでは、新年到来とともにこの曲で始まることも多い。これも二つのパートに明瞭に別れる組曲構造の曲で、後半は "Sunshine Daydream" と呼ばれる。1973年頃から二つのパートの間に長い無音の中断をはさむようになる。またゆったりと入って、前半の歌の後のインスト部分でぐんとテンポが上がることもある。後半、 "Sunshine Daydream" のリピートもだんだん増え、ウィアは声を涸らす。さらに、前半と後半の間に他の曲をはさむ。時には第二部を前半で始め、後半をクローザーにする。後半だけ別の日にまで持ち越すこともある。名演も多いが、1970年代、ドナがウィアと競うように声を合わせる時の魔法は抗しがたい。おおらかに、ほがらかに、一点の雲もない蒼穹にどこまでも昇ってゆく、デッドの楽天性を凝縮した曲。
そしてもう一つ、ミッキー・ハートがこのショウを最後にしばらく離脱する。バンドのマネージャーをしていた父親レニーが多額の金を使いこみ、横領して行方をくらましたことにショックを受けてのことである。バンドはミッキーを責めることは一切せず、離脱中も変わらずに給与は支払われていた。復帰は1974年10月20日、当初は無期限でショウをやめる直前最後のショウの後半。この時は、これを逃せば二度とデッドでの演奏はできなくなるとの想いから、楽器を持って会場のウィンターランドに駆けつけた。
レニー・ハートは横領した金を自らが主宰する宗教団体に注ぎこんでいた。数年後、レニーはメキシコで逮捕され、アメリカで訴追されて、懲役刑を受けた。民事訴訟も薦められたが、デッドはいつもの流儀で追求せず、代わりに〈He's Gone〉を作って演奏した。この曲はその後、デッド関係者やその係累、知人友人が死ぬと追悼として歌われるようになる。
ショウ自体は、終始ゆったりしたテンポの演奏が続くが、全体としては引き締まった第一級のもの。新曲はどれも後の演奏に比べるとあっさりしていて、未完成であることを感じさせる。8曲目のピグペンのブルーズ・ナンバー〈Hard To Handle〉でスイッチが入る。ガルシアがすばらしいブルーズ・ギターを炸裂させ、ここから〈Dark Star> Wharf Rat> Dark Star> Me and My Uncle〉という組合せの第一部クローザーに向かって一気に盛り上がる。〈Wharf Rat〉は初登場とは思えないおちついた演奏で、その次のジャムは確かに「美しい」。全体としてビートはあるが、メロディは不定形の、デッド特有のジャム。聴いていると、おちつかない気分になる一方で、蒼穹を駆けてゆく爽快さが終始感じられる。第二部でもゆったりとした構えは変わらないが、中盤からの〈St. Stephen> Not Fade Away> Goin' Down the Road Feeling Bad> Not Fade Away> Uncle Jhon's Band〉は、曲が進むにつれて演奏の緊張度が高まってゆく。2度目の〈Not Fade Away〉でぎりぎりまで張りつめたのが終りきらないうちに、ウィアが UJB のコードを刻みだし、まだ熱いままだが、余韻を引く余裕を生みだす。
2. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
この年最初のショウ。春節記念でこのヴェニュー3日連続のランの初日。15ドル。開演8時。
この年01月18日、ガルシアはゴールデン・ゲイト公園の中に駐めた車の中にいたところを麻薬所持で逮捕される。ガルシアは治療を受けることに合意し、この年は前年に比べると健康を回復した。翌年夏糖尿病の昏睡に陥った際、九死に一生を得るのはそのおかげとも言えよう。このショウも、1ヶ月の治療の甲斐あって、年始のショウにもかかわらず、調子は良い。
1985年は計71本のショウを行い、レパートリィは130曲。新曲は無し。バンド結成以来、新曲が1曲も無かったのはこれが初めてで、これはバンドの健康状態の反映ではないかと危惧する向きもあった。デッドはスタジオ盤を出すことにあまり熱心でないことは確かだが、それでも1980年04月の《Go To Heaven》から1987年07月の《In The Dark》までは、スタジオ盤の無い期間としては最も長い。
1980年代前半のレーガン時代はアメリカの主流が保守化した時期で、デッドとそのコミュニティにとっては寿ぐべきことが少ない。にもかかわらず、あるいはそれ故に、デッドのショウの質は良いと言われる。(ゆ)
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