02月19日・土
母の COVID-19 ワクチン3回目の接種に付添う。東京23区はどこもそうだろうが、今受けているのはほとんどが老人。そのまたほとんどに付添いがいる。区の方も慣れたもので、「同伴者」の札を用意していて、首からかける。あたしもそうだが、付き添っているのもすでに老人の範疇にいる人ばかり。30分待機してから出る。今日のところは体調に変化はないようだ。4回目があるかねえ、と母が言う。言われてみれば、あるかもしれない。
##本日のグレイトフル・デッド
02月19日には1966年から1995年まで、8本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。
1. 1966 Northridge Unitarian Church, Los Angeles, CA
ノースリッジのアシッド・テストを、DeadBase は02月06日とし、アウズレィ・スタンリィはこの日としている。ロサンゼルスへの移動を考えれば、この日とみる方が合理的。いずれにしてもセット・リストが残る性格のものではない。
2. 1969 Fillmore West, San Francisco, CA
この日、ここでデッドが演奏したことはどうやら確かだが、どういう性格のギグかがはっきりしない。DeadBase 50 は、これは "Celestial Synapse" と呼ばれるイベントとし、『サンフランシスコ・クロニクル』のレヴューに触れられているランチョ・オロンパリの Don McCoy によるスピーチが、この日のものとして残っているテープにあることや、ステージ上でのチャントもこのイベントでのこととされているものに合致することを根拠としている。
3. 1971 Capitol Theater, Port Chester, NY
このヴェニュー6本連続ランの2本目。前日に続き、全体が《Three From The Vault》でリリースされた。なお、このランからは次の次、02月21日のショウも全体が《Workingman's Dead》50周年記念盤でリリースされた。
前日に勝るとも劣らないすばらしいショウ。ハート離脱の穴を埋めようと、クロイツマンだけでなく、全員が奮起している。もしここで無様なショウをやれば、それはハートのせいということになり、それは自分たちとしても許せない、ということもあったかと思われる。ハート離脱の原因を皆、承知している。
面白いのは、前日初演の〈Bertha〉はまだ完全に固まってはいないものの、曲としては完成しているのに対し、ずっと前から演奏している〈Playing in the Band〉が未完成である印象があることだ。もっともこの曲には完成ということがなく、その姿が常に変化しつづける性格なのかもしれない。そう思ってみると、デッドのレパートリィにはこういう性格の曲がいくつかある。〈Dark Star〉がそうだし、〈The Other One〉〈Bird Song〉などもそうだ。〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉もその一つに数えてもいいかもしれない。いずれもデッドの音楽を特徴づけ、代表する曲だ。
引き締まった演奏が続くが、ラストに向かって、その場にいないハートへの各自の想いがかちりとハマったのか、〈Good Lovin'〉で演奏のレベルがぐんと上がる。ピグペンが全盛期なみのラップを繰り出し、これにガルシアがエネルギッシュなギターで応え、さらにバンドが反応する。終り良ければすべて良し。
4. 1973 International Amphitheatre, Chicago, IL
6ドル。開演7時。セット・リストが今一つはっきりしない。判明しているものは少なすぎる。その中で、第二部オープナーからの3曲〈He's Gone> Truckin'> The Other One〉計42分超が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ただ、これも〈He's Gone〉の途中でテープがクリップし、最後は音が揺らいで曲の途中で切れている。《30 Days Of Dead》以外ではリリースできないかもしれない。
演奏はすばらしい。〈He's Gone〉では、最後の "Nothing gonna bring him back" を延々と繰返しながら、ドナとウィアが自由に叫び、その背後でキースがユーモアたっぷりに音数の少ないピアノで合の手を入れるのが面白い。その後のガルシアのソロも味わいがある。ベースがリフを始め、ガルシアが応じて、次に移行。〈Truckin'〉後半のジャムは曲を離れて進み、独得の浮遊感を生みだす。〈The Other One〉に移ってもそれは変わらず、混沌と秩序の同居が続く。42分を超えて、テープが切れるのはまことに惜しい。
5. 1982 Golden Hall, San Diego Community Concourse, San Diego, CA
このヴェニュー2日連続の初日。良いショウの由。
6. 1985 Henry J. Kaiser Convention Center, Oakland, CA
このヴェニュー3日連続の中日。15ドル。開演8時。
第二部オープナーの〈Truckin'〉で、バンドがパクられたところの歌詞に、聴衆は大歓声で応えた。この歌は1971年2月にニューオーリンズでバンドが麻薬所持で逮捕されたことを題材にしているから、この年正月にガルシアがやはり麻薬所持で逮捕されたことに反応したわけである。演奏も良いものだそうだ。
7. 1991 Oakland County Coliseum Arena, Oakland, CA
この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。春節記念。開演7時。
第一部クローザーとして〈New Speedway Boogie〉が、1970年09月20日以来、21年ぶりに演奏された。
この曲はハンター&ガルシアの作で、オルタモントの一件を歌ったもの。事件の2週間後、1969年12月20日、フィルモア・オーディトリアムで初演。復活後は年数回演奏されて、1995年07月02日インディアナ州ノーブルヴィルが最後。計55回演奏。スタジオ盤は《Workingman's Dead》収録。
1991年には77本のショウを行い、139曲を演奏した。新曲は無し。しかし、音楽的にはデッドのキャリアの中でも特筆すべき年と言われた。要因の一つはブルース・ホーンスビィの参加だろう。かれのピアノやアコーディオンによってガルシアが刺激された。この時期になると、ガルシア以外のバンドは四半世紀のライヴを通じて完成の域に達していて、ショウの出来はガルシアの出来次第とも言える状態になっている。全体としてのスイッチが入るかどうかは残っているが、そのスイッチのオン・オフも、ガルシアの調子にかかる比率が増えるように見える。バンドの演奏にとって最大の不安定要因がガルシアということはまたガルシアに対する見えない圧力としても作用するようになる。かけている方も、かけられている方も、それと意識しない、ステルスな圧力だ。ホーンスビィが入ることで音楽的な刺激を受けたガルシアはこの圧力をやはり無意識のうちに分散することができたのだろう。
8. 1995 Delta Center, Salt Lake City, UT
この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。28ドル。開演7時半。
デッド結成30周年、だが、ガルシアの健康はボロボロで、バンドはとても30周年を祝える状態では無い。結局、07月09日シカゴのショウが最後となる。この年最初のこの3日間はおそらくこの年のベストのラン。
この年、デッドのショウは47本。レパートリィは143曲。うち13曲は前年には演奏されなかった。ショウの本数は少なくとも収入はその減少を補って余りあり、3,350万ドル。イーグルス、ボーイズ IIメン、R.E.M. に次いで4位だった。最後の07月08日、09日のシカゴ、ソルジャーズ・フィールドでのショウもローリング・ストーンズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、イーグルスのものに次いで単独のコンサートとして4番目の規模。もし通年でツアーをしていれば、興収でトップになっただろう。これをひと言で言えば、デッドは大きくなり過ぎたのだ。その重みがガルシアを圧し潰し、バンドを圧し潰した。(ゆ)
コメント