02月22日・火
ロバート・ハンターのソロ・アルバムをほとんど持っていないことに気がつき、アマゾンと Discog で一挙に注文する。ハンターのソロの音源は Tidal にはほとんど無く、中古盤も高い。結構な額になる。
ガルシアのアルバムは一通り買っているが、それ以外のメンバーの個別の録音はどうしても必要なもの以外は控えていた。ポスト・デッドの諸作も聴いていない。デッド本体もまだちゃんと聴けていないのだから、そこまでの余裕はまだ無い。ただ、デッドのレパートリィをやってもいるから、デッド以後、それがどう変化しているかは聴いてみたくはある。
昨年、ウィアがまったくのソロで〈Loose Lucy〉を歌っているビデオをたまたま見て、感心したこともある。デッド時代にはガルシアの曲をまっとうに唄えたとも思えないが、無駄に馬齢を重ねてはいないのだと納得した。デッドのメンバーの中で、最も大きく成長したのはウィアだとも思う。そのギターの変遷を追いかけることも考えてはいるが、いつになるか。
ハンターにもどれば、デッド以前にかれはガルシアとフォーク・デュオを組んでもいたわけで、自分でも演奏するのは当然ではある。デッドにミュージシャンとして入ることはまったく考えてもいなかったのもわかる。ミュージシャンとしてハンターがやりたい音楽はデッドのものとは別のものだったとみえる。これはなかなか面白い問題だと思うが、触れたものをまだ見たことがない。
##本日のグレイトフル・デッド
02月22日には1968年から1993年まで、7本のショウをしている。公式リリースは2本。うち1本は完全版。
1. 1968 Kings Beach Bowl, North Shore, Lake Tahoe, CA
このヴェニュー3日連続の初日。前売3ドル、当日3.50ドル。開演8時半。終演2時。共演 Morning Glory。
このランのうちこの初日のみテープが不完全で、ヴォーカルとドラムスの片方、おそらくクロイツマンが入っていなかった。
Morning Glory は1967年にベイエリアで結成された5人組バンド。女性シンガーを擁し、ママス&パパスとジェファーソン・エアプレインの中間のような音楽をやった。1968年に唯一のアルバム《Two Suns Worth》を出す。Blue Cheer の Abe "Voco" Kesh がプロデュースし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの John Cale がエンジニアを勤めた。アルバムが売れず、解散。
2. 1969 Dream Bowl, Vallejo, CA
このヴェニュー2日連続の2日目。Country Weather、It's A Beautiful Day、サンズ・オヴ・シャンプリン、Blues Helping、サンタナ共演。デッドの部分の全体が《30 Trips Around The Sun》の1本としてリリースされた。
《Live/Dead》としてリリースされ、後に The Complete Recordings として4夜の全貌がリリースされたフィルモア・ウェストでのランの1週間前で、デヴィッド・レミューの言う通り、フィルモア・ウェストでの演奏に勝るとも劣らない。録音もベアによるクリアなもの。
オープナーの2曲〈Dupree's Diamond Blues〉と〈Mountains Of The Moon〉で、ガルシアはアコースティック・ギターを演奏。後者の後のジャムの途中でエレクトリックに持ち替える。
この2曲はフォーク時代のガルシアを髣髴とさせる歌唱で、シンガーとしての力も並々でないことを証明する。少なくとも大休止までのガルシアの歌は一級と言っていい。後年のガルシアのヘロヘロの歌はわざとああいうスタイルにしているとも見える。
〈Mountains Of The Moon〉後半でアコースティック・ギターでソロをとり、エレクトリックに持ち替えても同じように続ける。そのまま〈Dark Star〉に移り、以後、〈Death Don't Have No Mercy〉までノンストップ。
〈Dark Star〉は20分を超え、まず長いインストを展開する。歌の後、徐々に集中と緊張が高まり、盛り上がってくる。この間奏のジャムがすばらしい。ガルシアが様々なサウンドを試す。この頃はまだエフェクタ類はそれほど発達していないと思うが、妙に錆びたような音が面白い。ソロの語彙はそれほど多くはないが、組合せと集中の高さで聴かせ、ベース、オルガン、ウィアのギターが各々にこれに応え、絡む。この絡みがさらにガルシアのソロを押し出す。
次の〈That's It for the Other One〉では一転してドラムスがドライヴ、スピード感溢れる演奏。後ろの〈Cryptical Envelopment〉も愉しそうだ。この曲は前後の CE が落ちて、真ん中の〈The Other One〉だけが拡大してゆくが、後ろのパートは落ちたのではなく、むしろ吸収されたと見る方が近いかもしれない。
〈Death Don't Have No Mercy〉をピグペンにまかせず、自分で歌うのはガルシアのわがまま、と見える。ガルシアの声は甘すぎる。それをたぶんわかっていて、様々に表情、声音を変えるが、この辺りは若さが出ているのだろう。この時ガルシア25歳だ。
第二部では〈St. Stephen> The Eleven> Turn On Your Lovelight〉の並び。1週間後のフィルモア・ウェストでは演っている曲は同じで、順番が変わり、この前に〈Dark Star〉が置かれる。第二部も50分以上、ノンストップ。今夜で世界が終るのだと言わんばかりの勢い。あるいは何かにとり憑かれているか。ここには神は降りてきていない。いるとすれば、神以外の何かだ。悪魔でもないだろう。
それにしても〈Dark Star〉からのこの組合せをここから1週間の間に4回、〈Turn On Your Lovelight〉だけ抜かした組合せは5回やるわけだ。最年長レシュが29歳、ウィアにいたっては22歳という若さを考えても、底知れないスタミナではある。それもただ演るわけではない。この5本のショウを通して聴いても、どれも違うのである。演っている曲はほとんど変わらないにもかかわらず。
1969年02月のデッドは確かに飛んでいる。
3. 1970 Sam Houston Coliseum, Houston, TX
これもクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ジョン・メイオール、イッツ・ア・ビューティフル・デイとのコンサート。開演1時。セット・リスト不明。
4. 1973 Assembly Hall, University Of Illinois, Champaign-Urbana, IL
このヴェニュー2日連続の2日目。
5. 1974 Winterland Arena, San Francisco, CA
この年最初のショウ。4.50ドル。開演8時。このヴェニュー3日連続の初日。春節祝賀。第一部クローザーの〈Playing in the Band〉が2016年の、第一部6曲目〈Black-Throated Wind〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。今年05月予定の《Dave's Picks, Vol. 42》でリリースされることが予告されている。
このショウでは3曲、新曲がデビューしている。オープナーの〈U. S. Blues〉、第一部5曲目〈It Must Have Been The Roses〉、第二部3曲目〈Ship Of Fools〉。
〈U. S. Blues〉はハンター&ガルシアの曲。1995年07月08日まで、322回演奏。演奏回数順で36位。スタジオ盤は《From The Mars Hotel》収録。デビューはオープナーだが、後にクローザーやアンコールが多くなる。デッドの曲にはあからさまに政治をテーマにしたものはほとんど無いが、これは一番「政治的」な歌と言える。
1973年02月09日、パロ・アルトで初演し、1973年06月まで14回演奏されたた〈Wave That Flag〉を改作したもの。こちらは《From The Mars Hotel》の2006年 CD のボーナス・トラックで、1973年03月28日のスプリングフィールドでのライヴ版が聴ける。
どカントリーのバラード〈It Must Have Been The Roses〉はハンターの作詞作曲。1995年06月22日まで158回演奏。ショウの第一部中間の、ガルシアのスローバラードのポジションで歌われることが多い。1981年頃まではレギュラーで演奏され、それ以後は段々頻度が減って、1990年代には年に2、3回になる。スタジオ盤はハンターのファースト・ソロ・アルバム《Tales Of The Great Rum Runners》が初出。ガルシアのソロ3作目《Reflections》にも収録。ガルシアの版のバックは当時のデッドそのまま。
〈Ship Of Fools〉はハンター&ガルシア。1995年06月25日まで、計226回演奏。60位。スタジオ盤は《From The Mars Hotel》収録。これもガルシアのスローバラードの1曲。これもいろいろと解釈が可能だが、グレイトフル・デッド自身を「愚者の船」に見立てているとも聴ける。デッドは根は楽天的だが、自分たちには厳しい。夜郎自大な自己満足に浸ることには程遠い。自らを客観的、批判的に見ることにかけては徹底している。
1974年に演ったショウは40本。レパートリィは83曲。新曲は8曲。ガルシアの持ち歌としてはこの3曲に加えて〈Scarlet Begonias〉がある。ウィアは〈Cassidy〉〈Money, Money〉を送りこむが、後者はすぐに消える。レシュが Bobby Petersen と作った2曲〈Pride of Cucamonga〉と〈Unbroken Chain〉は長い間スタジオ盤のみとなった。後者はデッドヘッドのための歌として認められた。
しかし、この年はとにかくモンスターPAシステム "The Wall of Sound" の年だ。この年10月をもってデッドが当面期限を定めずにツアーをやめる原因の一つは、このシステムの維持・運営に経費と手間がかかり過ぎたためだ。しかし、そのサウンドは体験した者は皆口をきわめて誉めたたえるものだった。
スタジオ盤は6月に《From The Mars Hotel》をリリースする。"Mars Hotel" はアルバムが録音されたサンフランシスコの CBS スタジオ近くにあった建物。
6. 1992 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
この年最初のショウ。このヴェニュー3日連続の初日。
デビュー曲が二つ。第一部5曲目の〈So Many Roads〉と第一部クローザー前の〈Wave To The Wind〉。
〈So Many Roads〉はハンター&ガルシアの曲で、1995年07月09日のラスト・ショウまで、55回演奏。スタジオ盤収録無し。これまでの来し方を想いかえし、往く末に想いを馳せるこの歌は、ガルシアの感情をかきたて、歌われるたびに絶唱を引きだした。ラスト・ショウでの最後の絶唱が《So Many Roads》のボックス・セットに収められた。これに心動かされたレシュは、アンコールをガルシアが選んだ〈Black Muddy River〉で終らせず、その後に〈Box of Rain〉を加えた。
〈Wave To The Wind〉はハンター&レシュの曲。このコンビは上記〈Box of Rain〉以来23年ぶり2度目。1993年12月09日まで21回演奏。スタジオ盤収録無し。この曲は公式リリースには入っていないので、まだ聴いたことがない。この初演は10分近い長さだが、2日後の次の演奏では、あちこち削ってかなり短かくしている由。
この年、デッドは春と夏に大きなツアーを行い、55本のショウを15の州、ワシントン、D.C.、カナダで行なった。秋の22本のショウがキャンセルされたにもかかわらず、動員数は120万人、総収入は3,120万ドルでU2に次いで2位の成績だった。レパートリィの数は134曲。うち新曲は4曲。この日初演の2曲に加え、ハンターの詞にウィアとハートが曲をつけた〈Corrina〉は当初のロックンロールから後に大きく変貌する。そしてハンターの詞にウェルニクとボブ・ブララヴが曲をつけた〈Way to Go Home〉はウェルニックの持ち歌として、最後までうたわれた。
ガルシアは長期の休止を提案したが、バンドの必要経費が巨額のため、ライヴ活動をやめられないとしてこれは斥けられた。商業的成功はデッドが求めたものではなかったが、デッドを縛りはじめていた。
ブルース・ホーンスビィは春のツアーを最後にバンドから離れる。
08月02日、Jerry Garcia Band のツアーが終り、家にもどった翌日ガルシアは倒れた。当時のパートナーのマナーシャは医師を呼んだ。診断は、心臓肥大、肺疾患、重度の糖尿病。秋のツアーはキャンセルされ、ガルシアは治療と健康回復に専念する。しかし、かれは長期間ライヴ活動から離れていることができず、12月にはステージに復帰した。
7. 1993 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA
24ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続の中日。
〈Days Between〉が第二部7曲目でデビューした。これもハンター&ガルシア。1995年06月24日まで、計41回演奏。スタジオ盤収録無し。このランに先立つ02月16日のリハーサルが《So Many Roads》に収録された。ガルシア独得の面白い節回しが復活した佳曲。
この年の新曲としてはすでに出た〈Lazy River Road〉〈Liberty〉とこれがハンター&ガルシア。ウィアがウィリー・ディクソンと組んで〈Eternity〉、ボブ・ブララヴ、ロブ・ワッサーマン、ウェルニクと組んで〈Easy Answer〉を出す。
この年のショウは81本。レパートリィは143曲。143万枚のチケットを販売し、4,560万ドルを稼いで、この年の音楽興収の第1位になった。新譜もヒット曲も無しに、である。ということは、ラジオやテレビのサポートも無い。さらに、興収で同レベルの他のアクトのチケット代が75〜125ドルであるのに対し、このショウにあるように、デッドのチケット代はその3分の1から4分の1の値段だ。つまり、他のどんなアクトよりも多数の、数倍の数の聴衆を集めていた。(ゆ)

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