0226日・土

 CD を聴く必要があるときに使っていた、買ってから30年経ち、いよいよ蓋の開閉がままならなくなった B&O Beocenter 3000 をほかすことにして、本体をどかし、前に買ってあった Greenhouse DVD プレーヤーと DenDAC をつなぐ。ふつうは USBバスパワーだが、USB入力に電源を入れると問題なく使える。当面はこれでいける。

 iFi Zen One Signature WiFi が無いが、ちょと面白いか。もっとも、Tidal Bluemini R2R でOKだから、やはり必要がない。HiFiMAN がもうすぐ出す EF400 の方が面白そうだ。本家サイトで600USD。ただし、入力が USB だけだ。いや、これよりは  HM800 かな。300USD。ケーブル付属するから、手持ちのイヤフォンをつなげられる。有線で Himalaya DAC がどう聞えるか、聴いてはみたいものの、しかしポータブルの DAC というのは、スマホで音楽を聴くリスナー向けで、DAPユーザーには用がない。いや、もう1度しかし、Bluemini R2R があるから、やはりもう DAC は要らない。Bluemini R2R の威力は絶大だ。これを使えるのは今のところ Deva Pro HE-R9 だけだが、今後、増やすだろう。



##本日のグレイトフル・デッド

 0226日には1967年から1995年まで7本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。準完全版1本。


1. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。キャンド・ヒート、オーティス・ラッシュ&ヒズ・シカゴ・ブルーズ・バンド共演。セット・リスト不明。


1969 The Matrix, San Francisco, CA

 これも Mickey Hart & the Hartbeats のギグで、この日付の『サンフランシスコ・クロニクル』紙の "Ad Libs" 欄に掲載がある由。


2. 1973 Pershing Municipal Auditorium, Lincoln NE

 第一部17曲中9曲と第二部の全部、計20曲、時間にして4分の3強が《Dick's Picks, Vol. 28》でリリースされた。


3. 1977 Swing Auditorium, San Bernardino, CA

 この年最初のショウ。《Dave’s Picks, Vol. 29》で全体がリリースされた。

 デビュー曲が二つ。オープナーで〈Terrapin Station〉、第一部4曲目で〈Estimated Prophet〉。どちらも定番中の定番となる。

 〈Terrapin Station〉はハンター&ガルシア。19950708日シカゴまで、計302回演奏で、42位。"Lady with a Fan""Terrapin Station""At A Siding" の3つのパートからなる組曲。スタジオ盤は《Terrapin Station》収録。'terrapin' は北米産の淡水ガメで食用にされる。ここから、骸骨、踊る熊と並んで、亀がデッドの表象となった。第二部でジャムになることが多く、第三部は定型のフレーズを少しずつ細部を変えながら繰返す。〈Blues for Allah〉ではうまくいかなかった組曲形式に再び挑戦して、今度はみごとに成功している。

 〈Estimated Prophet〉はバーロゥ&ウィア。19950628日、ミシガン州オーバーン・ヒルズまで、計390回演奏で、21位。スタジオ盤は《Terrapin Station》収録。ウィア得意の変拍子で、初めの頃は始めるのにカウントをとっている。タイトルは 'estimated profit' つまり、利益の試算、少しひねれば「獲らぬ狸の皮算用」にひっかけている。直接には、夜郎自大でうぬぼれ屋の自称予言者、ヤクで頭を焼かれたイカレたやつをモチーフとしている。

 この年のショウは60本。レパートリィは81曲。7月に《Terrapin Station》をリリース。9枚目のスタジオ・アルバム。このアルバムのプロデューサーにアリスタは Keith Olsen (1945-2020) を起用する。オルセンは1975年のフリートウッド・マックのデビュー・アルバムをプロデュースして、アルバムを全米1位に送りこんでいた。デッドはオルセンに鍛えられて、その演奏の質を一変させる。大休止前はショウでの演奏時間がとめどなく長くなり、時として冗漫に流れることもあったが、このアルバムの録音以降では、CD にすると2時間半内外の、デッドにしてはコンパクトだが中身の濃いショウをするようになる。Terrapin Station》にオルセンがロンドンで加えたオーケストレーションには、拒否反応を示す者が多かったが、オルセンに叩きこまれたプロとしてのエシクスはその後のデッドに長く影響を残した。まず、この年の好調さの維持に貢献したことは確かだ。アルバムはビルボードのポップ・チャートで最高28位。10年後の198709月にゴールド・ディスクを獲得した。

 0620日、ミッキー・ハートが交通事故を起こす。片腕、鎖骨、肋骨骨折、肺に穴があく。ために夏のツアーがキャンセルとなった。秋のツアーのスタートである0903日のニュー・ジャージー州イングリッシュタウンでのショウは夏のショウがキャンセルになったことの埋め合せで、15万人を動員した。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジとマーシャル・タッカー・バンドが前座。

 この年は大休止からの復帰後、最初のピークの年であり、全キャリアの中でも1972年、1990年前半とならぶ頂点の一つだ。有名な0508日のバートン・ホールを始めとする春のツアーがその中でも頂点だが、そのツアーから帰ったデッドにご苦労さん、ご褒美だよとビル・グレアムがウィンターランドを3日間連続でブッキングした。これに応えたバンドの演奏は春のツアーに勝るとも劣らない出来だ。

 しかし、この二つだけが突出しているわけではない。この年は1年通して絶好調を維持し、ダメなショウは無いのではないかと思われるほどだ。デッドが最も幸福を感じながら演奏をしていた年ではないかと思う。夏のショウがキャンセルになったのも、かえって良かったのではないかと思ってしまう。


4. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL

 この年最初のショウ。この年は地元での始動なしに、いきなりツアーに出ている。このヴェニュー3日連続の初日。14ドル? 開演7時半。

 第一部4曲目〈Bird Song〉が2016年の、8曲目〈Passenger〉が2011年の、第二部4曲目〈He's Gone〉が2015年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。

 〈Bird Song〉ではガルシアのギターの調子がすばらしく、面白いフレーズが湯水のように流れだして、止まらない。ミドランドがこれにぴったりと反応し、ウィア、レシュが続く。

 ただ、ガルシアの声に力が無い。声が出しにくそうだ。

 〈He's Gone〉は凄い。この歌は一通り唄いおわってから"Nothing's gonna bring him back." のフレーズをシンガーたちが延々と唄いかわしつづけることがある。ここではガルシア、ウィア、ミドランドの3人がしばらく延々と続けて、これもなんとも良いのだが、その後のジャムが輪をかけて良い。ゆるくなったり、激しく集中したり、かと思うとまたそれぞれに散ったり、ビートが消えてはまた現れ、千変万化しながら延々と続く。ガルシアはミニマルなフレーズをリピートしてはまた次のミニマルなフレーズの繰返しに移ってゆく。ウィアやミドランドがそれに対抗する。ホットにならず、常にクールなまま進行する。結局 Drums に移行するまで、20分を超える演奏。この歌のベスト・ヴァージョンと言いきりたい。

 この歌はハンター&ガルシア。19720417日、ヨーロッパ・ツアーの初期、デンマークはコペンハーゲンでの2度目のショウでデビュー。19950706日まで、計329回演奏。演奏回数順では32位。多額の金を着服して高飛びした旧マネージャーのレニー・ハートの一件を歌ったもの。バンド関係者や親しい誰かが死ぬと追悼に歌われるようにもなる。

 この年のショウは86本。レパートリィは123曲。新曲はミドランドの〈Never Trust A Woman〉のみ。春と秋にヨーロッパ・ツアーを行う。3月のツアーの折り、New Musical Express Paul Morley がガルシアにインタヴューした。モーリィはパンクの信者でデッドに敵対的だったが、ガルシアにいなされ、記事はかなり面白いものになったらしい。しかし、これに怒った読者が数千人、定期購読をやめる騒ぎになる。

 このツアー中、マネージャーの Richard Loren にクロイツマンがいわれなく怒って食ってかかり、9月ローレンは辞任する。

 4月に《Reckoning》、8月に《Dead Set》をリリース。ともに前年10月のサンフランシスコのウォーフィールド・シアター、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのレジデンス公演からのライヴ盤。前者はショウの前半、アコースティック・セットからの選曲。後者はエレクトリック・セットからの選曲。前者は終始アコースティック・サウンドのアルバムとして最初。2004年に拡大版が出て、各々に CD1枚分の録音が加えられた。さらに、このレジデンス公演からの録音として1009日・10日のウォーフィールドでのアコースティック・セットの全体が2019年のレコード・ストア・ディ向けにアナログと CD でリリースされた。


5. 1990 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。開演7時。第一部5曲目〈Just Like Tom Thumb's Blues〉の前にガルシアが "We want Phil!" と叫べと聴衆を煽った。レシュは「そういう気分じゃないよ」と答え、それを受けてウィアがジェイムズ・ブラウンを気取って "Are you ready for Star Time?" とわめいた。


6. 1994 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の中日。24.50ドル。開演7時。

 第二部クローザー前の〈Standing On The Moon〉の途中でガルシアのギターの弦が切れ、ウィアが代わってリードを弾き、すばらしかった由。


7. 1995 Oakland-Alameda County Coliseum Arena, Oakland, CA

 このヴェニュー3日連続の最終日。(ゆ)