02月28日・月
Washington Post Book Club のニュースレターで筆者 Ron Charles が部厚い枕本をいかに読むかの工夫の一つを紹介している。
注意を集中できる時間の長さがどんどん縮んでいるのが問題になっているが、Washington Post のハードカヴァーの小説のベストセラー・リストでは話が違う。少なくとも、まだ本を買う人間にとっては話が違う。今週の上位5冊の平均は600ページ。ちょっと下がると、Hanya Yanagihara "To Paradise" が720ページ、2018年のノーベル賞受賞者 Olga Tkarczuk の "The Books Of Jacob" は992ページだ。
長く入り組んだ話を毎日寝る前に15ページずつ読むのは、ドラマの1シーンを1ヶ月かけて見るようなものではないか。これはそのドラマを一晩で見るのとはまるで違った体験になるはずだ、というのはわかる。どういう体験かはすぐにはわからないにしても。
これは確かに面白い問題で、見るのにかかる時間だけではなくて、演じられるものをただ見るのと、活字を読んでそのシーンを頭の中に浮かびあがらせたものを見るのでは、まるで違った体験になる。
18世紀のポーランドの神秘主義者 Jacob Frank の話である "The Books Of Jacob" を読んでやろうという人向けに Olga Tokarczuk Books Calculator なるサイトがあるそうだ。ポーランドの本の虫たちがつくったサイトで、読む時間がどれくらいあるかと自分の読書スピードを入れると、この作家のどの本から読めばいいか、どれくらいで読みおえられるかを計算してくれる。わかったら、あとはただ読みはじめればいい。まことに簡単。
いや、そりゃそうだろうけどさ、自分の読書スピードは測ったことがないし、本によっても変わるし、日本語と英語では当然違う。
とにかく読みはじめればいいというのはまったくその通りだが、次々に目移りして、いつまでたっても読みおわらない、途中で読みかけた本だけが増えていくのはどうすればいいのか。とにかく読みおわるまでは次の本を読まない、というのをルールにしたこともあったが、長続きしたことはない。
トカルチュクの作品はいくつか邦訳もされているけれど、代表作ならば The Books Of Jacob ヤクプの諸書になるとすれば、こいつから読みたいわな。それが邦訳されるかどうかわからないから、といあえず英訳(7年かかったそうな)を読むか、ということになる。それにチャールズと同じく、部厚い本は好きだ。読みおえられるかどうかは関係ない。部厚い、というだけでわくわくしてくる。だから、部厚い本は電子本ではダメなのだ。部厚いブツを手に持ちたい。その部厚さを眺めてにやにやするのだ。どこまで読んだか、一目でわかるのが嬉しい。読みおえて本を閉じる時の快感。しかし、もう部厚いブツを置いておくスペースは無い。それに電子版はすぐ読みはじめられる。無料サンプルもある。
ということで、とりあえず、無料サンプルをダウンロード。巻頭に18世紀のヨーロッパの地図。現在のウクライナの東半分はロシア帝国、西半分はクリミア半島も含めてポーランドの領土。
##本日のグレイトフル・デッド
02月28日には1969年から1981年まで4本のショウをしている。公式リリースは3本。うち完全版1本。準完全版1本。
1. 1969 The Fillmore West, San Francisco, CA
金曜日。このヴェニュー4日連続の2日目。3.50ドル。この日の演奏からは《Live/Dead》への収録は無し。《Fillmore West 1969: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。第一部全部と第二部〈Dark Star〉からの4曲が抜粋盤《Fillmore West 1969 (3CD)》に収録された。
この日の第一部は2曲目から〈Good Morning Little Schoolgirl〉、3・4曲目〈I'm A King Bee〉〈Turn On Your Lovelight〉とピグペン祭りだ。第二部は一変して、ピグペンの影もない。無いはずはないが、音には出てこない。オルガンはトム・コンスタンティンだ。
原始デッドはピグペンが原動力のはずだが、その完成した姿の中では居心地があまりよくないように見える。ピグペンが前面に立つ時のデッドは、それ以外の時と別のバンドのようだ。これもまたデッドを貫く「双極の原理」の現れの一つだろうか。ピグペンが脱けてそちらの位相は消えるわけで、ピグペン・デッドとそれ以外が、ガルシア、ウィア、それぞれがリード・ヴォーカルをとる曲の対照に入れ替わる、としてみよう。
この日のショウにもどれば、〈Turn On Your Lovelight〉を第一部にやっているために、〈That's It For The Other One〉から〈Dark Star> St. Stephen> The Eleven〉と来て、ガルシアのブルーズ・ナンバー〈Death Don't Have No Mercy〉をはさんで、また〈Alligator> Caution〉と集団即興のジャムが続く。誰もビートをキープしていないのに、全体としてビートはしっかり刻まれて、一見、それぞれに勝手なことをやっているようなのに、全体としては調和がとれている音楽が流れてゆく。その間、ドラムスでは「ラクタ、タケタ、タケタ」という口打楽器まで出てくる。この時期以外では聴いた覚えがない。最後の〈Feedback〉は後の "Space" そのもの。こうしてみると、メロディもビートも無い、このクールでフリーな時間を、デッドは必要としていたとわかる。そして、デッドによるこの演奏、音楽は聴いていても面白い。こういうあくまでもフリーな即興が聴くだけでも面白いのは、メンバーの音楽的蓄積が生半可なものではないことの証しの一つではある。デッドのコピー・バンドがコピーしようとして聴くにたえないものになるのは、こういう演奏だ。かれらはデッドしか聴いていない。それではデッドのコピーはできない。デッドの本当のコピーをしようとするなら、デッドが聴いていた音楽も聴かねばならない。
2. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。コマンダー・コディ前座。約2時間の一本勝負。5〜7曲目〈Monkey And The Engineer〉〈Little Sadie〉〈Black Peter〉はアコースティック・セット。その前後はエレクトリック・セット。
3. 1973 Salt Palace, Salt Lake City, UT
水曜日。ここで年初からのツアー1度中断。次は2週間後にニューヨーク。第二部5曲目〈The Promised Land〉を除く全体が《Dick's Picks, Vol. 28》でリリースされた。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが間で演奏し、ガルシアがペダルスティールを弾いた。
《Dick's Picks, Vol. 28》は2本のショウをCD4枚に収めるが、CDの収録限界に収めるため、どちらも曲を削っている。この日は、この時期にしては短かめのショウで、削られたのは1曲ですんだ。
内容は第一級で、良い時のデッドらしく、緊張と弛緩が同居する。ここではまずドナの貢献が目立つ。〈Beat It On Down The Line〉は終始ウィアとの二重唱が見事に決まり、〈Box Of Rain〉ではレシュの歌にハーモニーをつけて、ぎくしゃくした彼の歌唱を滑らかにし、〈He's Gone〉でもコーラスがリッチになる。これを聴くだけで幸せになる。
〈They Love Each Other〉は闊達でポップ、アップテンポの弾むような演奏。この歌はこういうスタイルと、リリカルに流れるような演奏と二つの面を持つ。弾むヴァージョンでは、ユーモラスな面が前に出る。ユーモアの点では次の〈Mexicali Blues〉はバーロゥとウィアのコンビによる最初の歌で、歌詞は深刻にも読めるが、メロディと演奏スタイルはユーモラスだ。いわゆる "gallows humour" というやつ。この流れはさらに〈Sugaree〉にも続く。
第二部でも快調そのもので、ガルシアのソロも冴えわたる。〈Truckin'〉の後半で、ベースとドラムスだけの対話となり、ベース・ソロから、オープニングのリフで〈The Other One〉、〈Eyes Of The World> Morning Dew〉まで止まらない。クローザーの〈Sugar Magnolia〉の中間のブレイクは結構長いが、"Sunshine Daydream" の始まりはふつうで、フルバンドによる「ドン!」はまだない。ここでもウィアとドナの息はぴったりで、最後にドナが "Thank you."
4. 1981 Uptown Theatre, Chicago, IL
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの最終日。11.5ドル。開演7時半。第一部クローザーの〈Let It Grow> Deal〉が2012年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
この2曲だけでもこのショウの質の高さは鮮明。どちらもアップテンポで、前者はマイナー調なのでぐんと切迫感が強い。後者は明るく陽気な曲で開放的だ。
前者ではガルシアがこの時期の特徴の一つでもある細かい音を連ねる奏法を続けて、さらに切迫感がつのる。この奏法はおそらくブルーグラスのバンジョーをエミュレートしたものだろう。デッドを始める前、ガルシアはブルーグラスに入れあげて、ベイエリア随一のバンジョー奏者とも言われた。エレクトリック・ギターでやるとバンジョーのように音が跳ねないので、音楽が発散されず、1ヶ所に集中してゆく。どんどん集中してゆく一方で、その集中が引きのばされる。いわば無限に収束してゆくので、いつまでも集中しきらない。まるでその無限の空間から音が湧きでてくるようだ。ひとしきりジャムを続け、元にもどってウィアとミドランドが2度目のコーラスを歌った後も、ガルシアは弾きやめようとしない。ミドランドが何度かうながして、ようやくコーダのフレーズに移る。
その最後の音の次にいきなり後者を始める。ミドランドは電子ピアノからハモンド・オルガンに斬りかえる。ここではがらりと変わって、突きぬけるような解放感のもと、ガルシアは気持ち良さそうにギターを、バンジョーではなくギターを弾く。ガルシアの声も元気。元気に弾くガルシアをミドランドが応えて煽り、それにガルシアが乗るのにさらに返す。二人の掛合、からみあいに興奮する。やめたくないのがありあり。コーダのコーラス・リピートをやってもまだやめず、もう1度やる。(ゆ)
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