03月08日・火
自分の医者に行く。尿酸値を下げる薬を1ヶ月飲んでの採血。待合室で血圧を測ると159/66。これは高いね、と診察室で測ると129/77。これなら安心だが、30も変わるかねと医者が驚く。インターバル速歩とタオル握りは効いているらしい。
##本日のグレイトフル・デッド
03月08日には1968年から1992年まで3本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1968 Melodyland Theatre, Anaheim, CA
金曜日。"Jefferson Airplane & Friends" という名目で、デッドが前座。このヴェニュー2日連続の初日。ロサンゼルスの LA Free Press に広告がある由。セット・リスト不明。
会場はアナハイムのディズニーランドの向いにあった円形のアンフィシアターで、客席が舞台をぐるりと囲む形。すぐに潰れたそうな。なぜか客はバンド名を "Dreadful Great" と間違えて読んでいた。
2. 1970 Travelodge Theatre in the Round, Phoenix, AZ
日曜日。1時間半強のテープがあり、この日のものとされる。7曲目〈Hard To Handle〉から13曲目〈Wake Me Shake Me〉の途中までアコースティック。〈Wake Me Shake Me〉からテープ最後の〈Turn On Your Lovelight〉まで、正体不明のシンガーが参加し、ハーモニカを吹く。
次は10日空いてニューヨーク。
1973年のこの日、Ronald Charles 'Pigpen' McKernan が、長年のアルコールの過剰摂取による臓器不全で死去した。享年27歳。最後のショウは1972年06月17日のハリウッド・ボウル。そこではピグペンは歌っていない。後に、ピグペンの父親は、息子とすばらしい人生を共にしてくれたことで心からの感謝を述べた手紙をバンドに送った。
ジェリィ・ガルシアがピグペンと出逢うことでグレイトフル・デッドとなるバンドが The Warlocks として出発する。さらに、バンドが支持者を集めてゆくのに、ピグペンが果たした役割は限りなく大きい。ピグペンを生で体験してデッドヘッドになった人びとと体験せずにデッドヘッドになった人びとの間には越えがたい溝があるように思われる。録音を聴くかぎりでは、原始デッドはピグペンのバンドであり、ワーナーが最初の契約書を送った相手として想定していたのはピグペンをフロントとするブルーズ・ロック・バンドだったろう。ピグペン時代のデッドはいわばロケットの初段とも言える。そこは最も大きな推進力を必要とする。そして、ロケットがうまく飛びあがることができれば、初段は燃え尽きて切り離される。
3. 1992 Capital Centre, Landover , MD
日曜日。23.50ドル。開演7時半。このヴェニュー2日連続の初日。
そこらじゅう警官だらけで、検問がいたるところにあり、デッドヘッドが多数逮捕された由。
##本日のグレイトフル・デッド
03月07日には1970年と1981年の2本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1970 Santa Monica Civic Auditorium, Santa Monica, CA
土曜日。合わせて75分ほどのテープが出回っており、この日のものと推定されている。そこに入っているセット・リストは恐らく一部。
2. 1981 Cole Field House, University of Maryland, College Park, MD
土曜日。9ドル。開演7時。ボブ・マーレィ&ウェイラーズが前座の予定だった由。一級のショウらしい。(ゆ)

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