0315日・火

 今日は家人が3回目のワクチン接種。同居している二人が同じ日ではない方がいいだろうとの判断で、日をずらす。前回と同じく、注射されたところの筋肉痛があるという。

 あたしは歯医者の定期健診。一時、半年ほど休んだが、左下親不知がぐずぐずになって抜いてから、また月1回通うのが復活。その度に、帰りに桜台のコペでパンを買う口実になるので、文句は言わない。レジに、17日、ワクチン接種で臨時休業と出ている。前日16日は定休日だから、スタッフ全員一斉に受けるのかな。

 歯医者はなにごとも無し。左上奥がひと頃、噛むと痛んだが、懸命に磨いたら、ほぼ治った。それとオーラテクト・ガムのおかげでもある。あたしの場合、こいつは効くのだ。歯医者が状態が良いよ、と言うのも、これを噛んでいるためもあるだろう。遺憾なことに、ドラッグストアでは売っているところがほとんど無い。やむなく、ネットでボトルをまとめて買っている。



##本日のグレイトフル・デッド

 0315日には1967年から1990年まで5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

 1940年のこの日、Phillip Chapman Lesh がバークリーに生まれた。

 1964年秋、 the Warlocks のライヴに行ったところ、客席にいたレシュをステージの上から見つけたガルシアが、うちでベースを弾けと誘ったのに応じて参加。

 ギターを経由せずにいきなりベースを演奏しはじめた点でまずユニークだ。加えて、ロック・バンドに加わる前は、前衛音楽をやっていた点でもユニークだ。その結果、デッドのベースは、他のロック・バンドで多少とも比べられるものを持たない、まことにユニークな存在となった。その演奏はおよそロック・バンドのものではなく、強いて分類すればジャズになるだろう。ロック・バンドの中にあってジャズをやっている。デッドの音楽のユニークさの、そう3分の1はレシュのベースが生み出していると言っても過言ではない。

 レシュはまた、デッドの音楽の土台の形成、その出発点に大きく関っている。サイケデリックと呼ばれることが多いが、デッドの初期の音楽、とりわけ即興はむしろ前衛やフリージャズに近い。音楽的なトリップにドラッグも関わっていたことは否定するまでもないが、その点はコルトレーンの音楽にヘロインが関っていたことからかけ離れたものではない。コルトレーンやマイルス同様、サイケデリックよりもよりクールに醒めた、ネットワーク的な音楽である。この要素は Space Drums または Rhythm Devils の形で最後までショウに組込まれていた。

 60年代のデッドはピグペンのバンドであると同時にレシュのバンドでもあった。表に立つピグペンを、裏でレシュが支える形だ。そしてフリーな、スペーシーな即興を主導する。特に60年代末、68年、69年には〈The Eleven〉や〈New Potato Caboose〉などレシュの曲が頻繁に演奏され、そこで展開される集団即興をレシュが主導している。ピグペンが初段となってバンドのロケットを打ち上げたとすれば、レシュはその進む方向を定めていた。

 《Live/Dead》録音後の1969年春から後にアメリカーナと呼ばれることになる音楽に方向転換したことは、ガルシアがピグペンから主導権を奪う形となり、ここでピグペン〜レシュの軸がガルシア〜レシュの軸に転換する。しかしこの方向はレシュにとってそれまでほど居心地の良いものではなかったらしい。その主導権は徐々に後退しはじめ、休止期を境にほぼ完全にウィアに移る。1976年以降のデッドの音楽を主導したのはガルシア〜ウィアの軸だ。レシュのベースはユニークな要素としてキャリア後半のデッドの音楽をユニークなものにし続けるが、前半のような、主軸となって牽引する形ではなくなる。Rolling Stone 誌の2015年のインタヴューで休止期を境に失われて戻らなかったものがある、と言っているのは、あるいはこのこと、つまり主導権の移動とそれによって初期のよりフリーで混沌とした演奏態度の後退を示唆しているのかもしれない。

 レシュはまたおそらくメンバーやクルーの中で最も冷静な頭脳の持主でもあった。そして、関係者の誰もが信頼できる相手でもあった。メンバー中最年長ということもあったかもしれない。全社会議の議長はたいていレシュが勤めた。レシュ以外に議長をつとめられる人間はいなかったのだろう。クロイツマンも信頼されていたが、かれは表にたって皆をまとめる性格ではない。また、ショウのための契約書でバンド側を代表して署名していたのもレシュだった。この点、ガルシアはデッド宇宙の中心で、いわば太陽系の太陽のような存在だったが、太陽と同じく、最終的に信頼できる相手ではなかった。

 1972年にドナ・ジーン・ガチョーが入るまでハーモニーの高音部を担当する。ハーモニーをつけるときは問題ないが、リード・ヴォーカルをとる時はなぜかひどくヘタになり、絶対音感の持ち主にもかかわらず、ほとんど音痴にまで聞える。絶対音感と歌が歌えることは別の能力なのか。



1. 1967 Whisky-A-Go-Go, San Francisco, CA


2. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA

 金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。2.50ドル。ジェファーソン・エアプレインとのダブル・ビル。セット・リスト不明。

%Bill Kreutzmann, Deal, 094pp.


3. 1969 Hilton Hotel, San Francisco, CA

 土曜日。"The Black and White Ball" というイベントでサンフランシスコ交響楽団のための資金集め。こういうベネフィット・イベントに出ているというのも面白い。シスコという街の音楽コミュニティの性格だろうか。

 トム・コンスタンティンによれば、当初メンバーは古い映画に出てくる白黒の囚人服を着て出るということだったが、実用的ではないということになり、結局ガルシアが海賊、ハートが快傑ゾロ、コンスタンティンは三角形の帽子までかぶった教会の鐘鳴らしに扮した。残念ながらPAの準備が遅れて、すべては台無し。

 〈Hard To Handle〉がデビュー。曲のクレジットは Alvertis Isbell, Allen Jones & Otis Redding。ピグペンの持ち歌で19710826日まで演奏されてレパートリィから落ち、1982年の年末、1230日、31日だけ復活。この時はゲストのエタ・ジェイムズがヴォーカルをとり、タワー・オヴ・パワーがサポートした。計111回演奏。


4. 1973 Nassau Veteran Memorial Coliseum, Uniondale, NY

 木曜日。5.50ドル。午後7時開演。ピグペンが死んで初めてのショウ。このヴェニュー初のショウ。

 会場は197202月オープンの多目的アリーナで、コンサートの店員は15,500。ロングアイランド、ニューヨーク市域東端から11キロ東に位置し、陸軍飛行場の跡地に建てられた。東京で言えば、幕張というあたりだろうか。ホッケーのニューヨーク・アイランダーズの本拠、バスケットのニューヨーク・ネッツのかつての本拠。プレスリーをはじめ、メジャー・アーティストによるコンサートは数えきれない。

 デッドはこの三連チャンを皮切りに199403月下旬の5本連続のランまで、計42本のショウをしている。うち10本が公式リリースされ、そのうち6本が完全版。


5. 1990 Capital Centre, Landover, MD

 木曜日。このヴェニュー3日連続の中日。開演7時半。フィル・レシュ50歳の誕生日。1曲終るごとに "We want Phil!" がコールされた。結局、6曲目に〈Just Like Tom Thumb's Blues〉がレシュのリード・ヴォーカルで演奏される。《Terrapin Station  (Limited 3CD Collector's Edition)》で全体がリリースされた。この春のツアー16本のうち、このショウだけ《Spring 1990》《Spring 1990 (The Other One)》のボックス・セットに入っていない。

 この時期の特徴の一つは、ウィアやミドランドの存在感が大きくなり、ガルシアとタメを張ったり、掛合いをしたり、時にはお株を奪ったりするようになっている。たとえば〈Cassidy〉でのウィアのギター・ソロからのジャムや、〈Samson And Delilah〉で、歌の裏にミドランドがつける美味しいサポートだ。かつての、ガルシアのギターが常に核になり、他のメンバーはその周りをとり巻いていたのとは、完全に様相が変わっている。ガルシアとしてもそれを歓迎し、むしろ二人を煽ったり、二人にリードをとるよう促したりもしている。そして、二人の演奏を足がかりにして、独りだけでは届かないところへ行こうとしているようでもある。

 このショウは全体にテンポが速い。何かに追われているようだ、と言ってみたくもなるくらいだ。切迫感とはまた違う、ひたすら先を急ぎ、実際、どんどんと進む。進めないことで緊張が高まるのではなく、あふれ出てくるエネルギーを制御しかねている感覚もある。ほとばしるエネルギーということでは、前日よりもずっと大きい。最初から最後まで、全力疾走で駆けつづける。50になったレシュを筆頭に、みな40代後半であることを思えば、心配になるほどだ。アンコールはビートルズの〈Revolution〉は意表を突く選曲で、ガルシアが良いギターを聴かせる。

 〈Just Like Tom Thumb's Blues〉でのレシュの歌唱はまともで、どうしてこういう風に自作では歌えないのか、不思議になる。この曲は5年前の19850327日のナッサウが初演で、19950628日まで、計59回演奏。(ゆ)