04月16日・金
我ながら不思議なのは、グレイトフル・デッドのライヴ音源、ショウの録音は、いくらでも聴いていられる。飽きるということが無い。2年間、毎日3、4本のショウを、年代順に聴きつづけ、録音のあるショウの8割は聴いた、という猛者もあちらにはいるわけだが、毎日、3時間から4時間近く、72年のヨーロッパ・ツアーの録音を聴いて、もういい、もうおなか一杯、しばらくデッドは聴きたくない、ということにならない。
これほど集中してデッドばかり聴いているのは、4、5年前、曲別に聴いていった時以来だ。その時は、たとえば〈Playing In The Band〉で手許にある録音を年代順に聴いていった。この曲は初めは5分で終るごく普通の曲だが、だんだん長くなって、ついには30分を超えるようになり、さらに別の曲をはさんだり、第二部全体をはさんだり、最後の締めが翌日や何本か先のショウになるまでになる。これを何曲か、定番曲でやったのは、とんでもなく面白かったし、たいへん勉強にもなった。この時も、日がな1日、朝から晩まで、何日も続けてデッドばかり聴いて、飽きることが無かった。
それだけ好きなんだろう、ということなら、いったい、どこがそれほど好きなのか。それがよくわからない。デッドの音楽には様々な位相があって、そのどれもが好き、ということなのか、とも思ったりする。別に、ただ好きでいいじゃん、と言われればそれまでだが、むしろ何ごとにつけ飽きやすいあたしとしてはまことに珍しいことで、なぜだろうと不思議になるのだ。
クラシックにハマりこんでいた時、マーラーに夢中になって、やたら聴きまくったことがある。マーラーがブームになってきていた頃で、FM でもよくかかったから、それをテープに録音して聴くわけだ。それがある日、ふっつりと聴かなくなり、今でも聴くのは1番だけだ。散々聴いた挙句、マーラーの2番以降は結局1番の焼き直し、というより、1番になりそうになるのを、おっとっといかんいかんと別のものにしようとするあがきの連続に聞えるようになった。
クラシックにハマりこんでいた時、マーラーに夢中になって、やたら聴きまくったことがある。マーラーがブームになってきていた頃で、FM でもよくかかったから、それをテープに録音して聴くわけだ。それがある日、ふっつりと聴かなくなり、今でも聴くのは1番だけだ。散々聴いた挙句、マーラーの2番以降は結局1番の焼き直し、というより、1番になりそうになるのを、おっとっといかんいかんと別のものにしようとするあがきの連続に聞えるようになった。
アイリッシュ・ミュージックやスコティッシュやイングリッシュやも好きで、いくらでも聴いていられるが、デッドの場合はそれとはまたいささか違う現象のような気もする。そして、デッドの音楽に飽きない理由の中には、なにか、ひどく大事なことが潜んでいるようにも思えてくる。
##本日のグレイトフル・デッド
04月16日には1967年から1989年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1967 Kaleidoscope, Hollywood, CA
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。共演キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン。セット・リスト不明。
2. 1972 Aarhus University, Aarhus, Denmark
日曜日。デンマーク2本目。このツアーでは唯一の大学での演奏。アメリカでは大学でよくやっているデッドだが、ヨーロッパではシステムの違いからか、これが唯一。《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。CD で2時間50分。実際には4時間。翌日、再びコペンハーゲンのチヴォリ・ホールでの演奏が予定されていて、一行はこの夜のうちに戻る必要があり、アンコールは無し。
なお、このツアーでの移動はすべて車によった。バンドやスタッフは大型バス2台、クルーと機材はトラック。
Aarhus はオーフスと読み、ユトランド半島東岸、コペンハーゲンの西190キロ。ただし、車では南にぐるりと回るので、移動距離はこの倍とまではいかなくても、250キロはあるだろう。オーフスはデンマーク第2の都市でオーフス大学の所在地。大学は1928年創設、会場になった Stakladen は1964年に建てられた施設で、実態はカフェテリア。長いテーブルが45台に椅子が400脚置かれていて、デッドのショウの際にもそのままだった。というのも、これらを移動する先の空間が無かったからだ。どんなに詰めこんでも700人入れば満杯で、天井に剥出しの梁にも何人もまたがったり、ぶら下がったりしていた。Stakladen は通称で、納屋、穀物倉庫を意味する。ここが会場になったのは、単純にもっと大きな会場を準備するだけの時間がなかったため。建物の片方の端から大学本部の入っている建物へ通じる廊下が楽屋だった。このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音では各楽器の距離が近く、それまでよりずっと小さな空間でやっていることもわかる。2010年にコンサート向けに改修されて、現在は週変わりでジャズやロックのギグが行われているそうだ。
演奏はますます良い。第一部はタイトな演奏が続いて、半ば〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉で少し噴出しはじめ、クローザー前の〈Playing In The Band〉で様相が変わりだす。この曲はこのツアーではやる度に良くなってゆく。ここではガルシアが同じ音を引っぱり、それがバンドを引っぱる。そして第二部はオープナー〈Good Lovin'〉からすっ飛ぶ。前日に輪をかけてピグペンが爆発。さらにノリがよくなり、まったく別の歌になる。ベースとドラムスだけをバックに歌うのもカッコいい。次の〈Cumberland Blues〉ではガルシアがシンプルで面白いソロを弾きまくり、〈El Paso〉ではウィアが歌うのが愉しくてしかたがない様子で、コーダを22回繰返す。そして〈Truckin'〉から〈The Other One〉、さらに〈Not Fade Away〉を経てクロージングまでノンストップ。
〈Truckin'〉はトラックというより、汽車の驀進に聞える。ガルシアのギターがそれに乗って翔けまわる。ここでのジャムにはひどく静かになり、ワビサビと言いたくなる時間がある。場所柄、ムンクやキルケゴールを連想したりもする。再度テーマが出てまたジャムになり、ガルシアが〈The Other One〉のテーマを初めるが、そのまままずジャムになる。しばしジャムが続いたところへごく自然にウィアがコードを弾きだして〈Me And My Uncle〉。これまでよりも速い。この曲はゆったりやると陽気なホラ話に聞えるが、速く演奏すると陰惨な話になる。語り手もロクな死に方をしないとわかる。終ると同時に〈The Other One〉にもどって、今度はより明瞭な姿をとり、歌が入る。が、2番は無しで〈Not Fade Away〉へドラムスがリードする。ガルシアはうねりのある、意表をつくフレーズのソロを展開する。そのガルシアがテーマを弾きだして〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉へ移行。絶好調のギターを聴かせて、再度〈Not Fade Away〉へ戻り、ウィアとピグペンが掛合いをやって盛り上げて幕。
やる度に皮が剥けて、新たな位相が現れる。ジャムはよりラディカルに、ホットな曲はよりホットになる。次は翌日、コペンハーゲン再び。
3. 1978 Huntington Civic Center, Huntington, WV
日曜日。開演8時。デッド史上最高のショウという声も複数ある。
4. 1983 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。13.50ドル。第二部後半〈Black Queen> Iko Iko〉とクローザーの2曲〈Black Peter> One More Saturday Night〉とアンコール〈Johnny B. Goode〉にスティーヴン・スティルスが参加。
〈The Other One〉の前に1分半ほどウィアが〈Little Star〉をやった。良いショウの由。
5. 1984 Community War Memorial Auditorium, Rochester, NY
月曜日。11.50ドル。開演7時半。この街では1970年から1988年まで15本のショウをしている。うち、10本がこのヴェニュー。良いショウの由。
6. 1989 Mecca, Milwaukee, WI
日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。2日とも良いショウの由。(ゆ)
コメント