04月17日・日
スピーカーの調整をする。左のスピーカーを載せている段の後ろのビスの位置を間違えて、棚の面が後ろ側に傾斜していた。これを修正すると、定位が改善して、ヴォーカルが正面にくる。ベースもはっきりする。ようやく、まともに鳴るようになった。
さらにヒッポさんの古いブログのセッティングの記事を参考に、間の空間を埋めてみると、定位がずっと良くなる。また左右に広がる。
さらにスピーカーの外側を「壁」の状態に近づけるとヴォーカルが前に出て、クリアになってきた。楽器の分離もよくなる。
つまり、壁に埋めこむ形になるべく近づける。そういえば「いーぐる」のスピーカーも壁に埋めこまれている。試しに Dunedine Consort のブランデンブルク、ジェニファ・ウォーンズの The Well を聴いてみる。すばらしい。
ヘッドフォンに比べるとスピーカーはいろいろと面倒なのだが、ちょっと変えると敏感に反応する。それもヒッポさんの造ったモノが良いからではあろう。
##本日のグレイトフル・デッド
04月17日には1967年から1989年まで10本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。
01. 1967 Embassy Ballroom, Ambassador Hotel, Los Angeles, CA
月曜日。前3日間の The Kaleidoscope でのショウがこちらに移されたが、3日間ではなく、この1日のみとも言われる。キャンド・ヒート、ジェファーソン・エアプレイン共演。
02. 1969 Washington University, St. Louis, MO
木曜日。学生1ドル、一般前売1.50ドル、当日2ドル。開演9時半。全体が《Download Series, Vol. 12》でリリースされた。
03. 1970 Family Dog at the Great Highway, San Francisco, CA
金曜日。3.50ドル。このヴェニュー3日連続のランの初日。このランはグレイトフル・デッドとしてではなく、"Mickey Hart and His Hartbeats" と "Bobby Ace and His Cards from the Bottom of the Deck" の名義で発表された。実質はデッドによるアコースティック・セット。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジのジョン・ドーソンとデヴィッド・ネルソンも参加。
ポスターにはチャーリー・マッセルホワイトの名前もある。
04. 1971 Dillon Gym, Princeton University, Princeton, NJ
土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。McCarter Theatre が在校生と共催。残っているポスターによると場内禁煙。
05. 1972 Tivoli Concert Hall, Copenhagen, Denmark
月曜日。2度目のチヴォリ。この日はテレビ収録があり、三部構成。第一部から7曲、第二部から6曲がこの年の4月と8月に3回に分けて放映された。ヨーロッパ各地でも放映されたようだ。YouTube で見られる。また、この収録に選曲も合わせたようで、第二部の3曲目に〈One More Saturday Night〉をやっているのは、ここで収録が終りと思ったためらしい。実際にはその後も収録は続いていて、ウィアが、テレビはまだやってるんだって、とコメントしている。第三部、テレビ収録が本当に終ってから〈Dark Star〉をやっている。
全体が《Europe ’72: The Complete Recordings》でリリースされた。第二部クローザー前の〈Big Railroad Blues〉が、2011-11-25のレコードストア・ディ兼ブラック・フライデー用にリリースされた《Europe '72, Vol.2》アナログ盤に追加された。
第一部7曲目で〈He's Gone〉がデビュー。ハンター&ガルシアの曲で1995-07-06まで、計329回演奏。演奏回数順では32位。スタジオ盤収録無し。《Europe '72》が初出。そこに収録されたのは05-10のアムステルダムでの録音。ミッキー・ハートの父親でデッドのマネージャーをしていたレニーが、巨額の使い込みをした挙句、1970年03月に大金をもって失踪する。その1件を歌ったもの。この "he" はしたがって具体的にはレニー・ハートを指す。繰返し演奏されるうちに、ある時から、デッドの周囲の人間や関係のある人間が死ぬとその追悼として演奏されるようにもなる。定番曲の常として、曲の様相もかなり変化する。このツアーの中だけでも、千秋楽の05-26のロンドンまで11回演奏され、その間の移り変わりも興味深い。
ツアー中にデビューする曲はもう二つあるが、定番となるのはこれだけ。
〈Big Railroad Blues〉のテレビ映像ではメンバーが仮面をかぶっている。メンバーが移動に使っていた2台の大型バスは乗る人間が決まっていて、それぞれが "Bozo" と "Bolo"、「まぬけ」と「無能」とも呼ぶべき仇名で呼ばれる役割を演じていた。それがここでステージにまであふれ出たわけである。
演奏は初めのうちは、テレビを意識してか、遠慮したのか、歌唱などやや控え目にも聞える。もっともショウが進むにつれて、遠慮は消えてゆく。
〈He's Gone〉はテレビ番組の中でデビューさせているが、まだ完全にできあがってはいない。何よりもコーダの "Nothing gonna bring him back." のリピートが無い。これが付くのは8本後、05-10のアムステルダムである。インスト・パートも無い。テンポが速い。
〈Playing In The Band〉をやる前にウィアがドナを紹介する。この曲では会場が変わるごとに紹介する。やる度に良くなっているが、終りもきちんとしている。他の曲とつなげようとはしていない。また第二部で演ることもない。
早めの〈One More Saturday Night〉でのガルシアのソロが良い。ここまででベスト。次の〈Hurts Me Too〉でもガルシアのソロが冴える。
テレビでは最後になる〈Truckin'〉のジャムは爽快で、ここでようやく本当にバンドのスイッチが入った感覚だ。〈Dark Star〉はやはりジャムから入り、3分の1、10分やって歌になる。これも面白いが、この日はその後の〈Caution (Do Not Stop On Tracks)〉がいつになく、面白い。ピグペンのヴォーカルではなく、インストのジャムが引っぱる。後半、ピグペンは力を抜いた即興歌唱で粘り、ひどく静かになる。この曲でこういうことはほとんど無い。いろいろと思いきったことを試しているようでもある。
テレビ収録のため、全体の流れはぎくしゃくしているが、演奏は見事なものだ。かくて、この時期の貴重な映像記録が生まれるのも、このツアーの御利益のひとつである。次は4日後のブレーメンで、これまた「ビート・クラブ」という有名なテレビの音楽番組への出演。
06. 1982 Hartford Civic Center, Hartford, CT
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。11.50ドル。開演7時。
07. 1983 Brendan Byrne Arena, East Rutherford , NJ
日曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。13.50ドル。開演7時半。第二部後半 Space の後の〈Love The One You're With〉からアンコール〈Brokedown Palace〉までスティーヴン・スティルスが参加。〈Love The One You're With〉では、スティルスは曲を終えようとするのに、ガルシアがいっかなソロをやめなかった。
08. 1984 Niagara Falls Convention Center, Niagara Falls, NY
火曜日。11.50ドル。開演7時半。第二部オープナー〈Help On The Way> Slipknot!> Franklin's Tower〉が2018年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。会場の屋上に上がって歩きまわったデッドヘッドがいたらしい。
ガルシアの調子が初め今一だが、〈Slipknot!〉になって俄然良くなり、その後はすばらしい。全体で24分。
09. 1987 Irvine Meadows Amphitheatre, Laguna Hills, CA
金曜日。このヴェニュー3日連続の初日。19.50ドル。開演7時半。ガルシアの昏睡からの復帰後、3度目の西海岸でのショウ。チケットを持たないファンが殺到して、無理入場しようとした。ミドランドの楽器が電子ピアノの上にシンセサイザーを載せたものから、デジタルのピアノ兼シンセサイザーに変更になった。
デッドの使用楽器の変遷はそれだけで本が1冊できるだろう。ガルシアのギターの変遷や1980年代の MIDI の導入が最も有名だが、他のメンバーももちろん楽器は変わっている。打楽器はかなり追加もされている。
10. 1989 Metropolitan Sports Center, Bloomington, MN
月曜日。良いショウの由。(ゆ)
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