04月24日・日
 アルテスのニュースレターで優河の新譜を知り、OTOTOY で購入。しかし、ちゃんと CD もアナログも出るのだった。
言葉のない夜に
優河
インディーズメーカー
2022-03-23


 創元推理文庫から出るアンソロジー『宇宙サーガSF傑作選』にアリエット・ド・ボダールの「竜が太陽から飛び出す時」が収録されるので来た再校ゲラを点検。1ヶ所、校閲者からの指摘に、どうして自分で気がつかなかったかと地団駄を踏んで、提案にしたがう。
 『茶匠と探偵』に入れるために選んで訳したもの。このアンソロジーの原書 John Joseph Adams 編の Cosmic Powers, 2017 に初出。翌年ドゾアの年刊ベスト集に選ばれた。
茶匠と探偵
アリエット・ド・ボダール
竹書房
2019-12-07



##本日のグレイトフル・デッド
 04月24日には1966年から1988年まで7本のショウをしている。公式リリースは完全版が2本。

1. 1966 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。ローディング・ゾーン共演。セット・リスト不明。

2. 1970 Mammoth Gardens, Denver, CO
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。第一部はアコースティック・セット、第二部はエレクトリック・セット。ジョン・ハモンド? とニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジが前座。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、出回っているテープの音はひどいが演奏は面白い。〈The Eleven〉をこの時期にやるのも珍しい。

3. 1971 Wallace Wade Stadium, Duke University, Durham, NC
 土曜日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。ガルシアはここで2時間、主にペダルスティールを弾き、さらにデッドで4時間、演奏した。このイベントはさらにポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ビーチ・ボーイズと続き、トリがマウンテン。これが昼間の屋外のこの会場で、夜は屋内に移り、タジ・マハルが出た、という証言もある。
 ビーチ・ボーイズはデッドと共演するまで4年待ったとコメントした。ある証言によれば、会場で会った男と、デッドの演奏がいかにすばらしいかで意気投合したが、相手はフェリックス・パッパラルディと判明した。

4. 1972 Rheinhalle, Dusseldorf, West Germany
 月曜日。12マルク。開演8時。全体が《Rockin' The Rhein With The Grateful Dead》でリリースされた後、《Europe '72: The Complete Recordings》でもリリースされた。3時間半。全体を3枚の CD に収め、かつ長く続くトラックを切らないために、曲順が若干変更されている。この日は三部に別れた上にアンコール。
 ドイツはヨーロッパ大陸ではデッドのファン層が厚いところで、このツアーでも最多の5ヶ所を回っている。一つの要因は、冷戦の当時、ドイツには多数の米軍が駐屯していて、そこの兵士たちがデッドを聴いていたことがあるらしい。ショウによっては、聴衆の多くが近くの米軍基地の軍人だったこともあるようだ。とはいえ、場内アナウンスなどはドイツ語であり、外国にいることはバンドにも意識されていただろう。曲間に時折りはさまる MC はゆっくり明瞭に話すよう努力しているようだし、演奏も全体にゆったりとして、歌詞をはっきり歌うようにしていると聞える。あるところでウィアが、おれたちは曲間が長い、ひどく効率が悪いんだよ、とことわってもいる。次にやる曲をその場で決めているために、時に5、6分空くこともあるからだ。
 このツアーの録音はどれも優秀だが、このショウの録音は特に良い。ピアノがこれまではセンターにいたのが、ここでは右に位置が移っている。またCD化にあたってのミックスだろうか、初めはヴォーカルをシンガー各々の位置に置いているが、9曲目の〈Loser〉からセンターに集める。コーラスではこの方が綺麗に聞える。
 コペンハーゲン以来ほぼ10日ぶりのフルのショウで、バンドは絶好調である。〈Truckin'〉から始めるのはツアーでは初めてだし、一般的にも珍しい。ガルシアのソロがすばらしく、これを核にした見事なジャムで10分を超える。ガルシアはギターも歌もノリにノッていて、ソロがワン・コーラスで収まらずにもうワン・コーラスやったり、歌ではメロディを自在に変えたりする。5・6曲目の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉から本当に火が点く。ガルシアのソロがメインのメロディから外れだし、全体のジャムが長くなって、このペア本来の面白さが顔を出している。ショウとしても、このペアの演奏としても、ターニング・ポイント。ショウとしてはここから10曲目〈Playing In The Band〉、そしてクローザー前の〈Good Lovin'〉と全体での集団即興が深さとからみと長さを増してゆく。ハイライトは〈Good Lovin'〉で、歌が一通り終ってから、これとはほとんど無関係なジャムがガルシアのソロを先頭に繰り広げられる。やがて、そこにピグペンがこれまた元の歌とは無関係に即興のラップを乗せだして、これにバンドが様々の組合せであるいは支え、あるいは応答して延々と続く。一級のヴォーカルが前面に立ち、バンドがジャムでこれを押し上げる、というこの形は、グレイトフル・デッドのひとつの理想の姿だ。しばらく続いた後、ガルシアがテーマのリフを弾きだし、バンドが戻るのに、ピグペンはなおしばし別の歌をうたい続ける。
 ピグペンはこのツアーで決定的に健康をそこね、帰ってからは入退院を繰返すようになるのだが、自分が限界にきていることを覚っているのか、歌もオルガンもハーモニカもすばらしい演奏を披露している。このヨーロッパ・ツアーをデッド史上でも最高のものにしている要因の小さくないものの一つはピグペンのこの捨て身の演奏だ。それは原始デッドの最後の輝きであると同時に、アメリカーナ・デッドとしても確固とした存在感を放っている。
 第二部は〈Dark Star〉から始まる。歌までのジャムがまず長く、10分以上ある。ガルシアの歌唱はかなりゆっくりで、その後はスペーシィなジャムになる。ピアノの音が左右に動くのは、どういう操作か。ビートがもどってからのメロディ不定のジャムがすばらしい。
 そこに〈Me and My Uncle〉がはさまる。ここでウィアの歌の裏でガルシアが弾くギターが愉しい。曲が終ると喝采が起きるが、曲は止まらずに再び〈Dark Star〉にもどっている。ドラムレスでガルシアとレシュとキースがそれはそれはリリカルなからみを聴かせ、しばらくしてウィアも加わり、1度テーマにもどってから、2番の歌はなくて〈Wharf Rat〉へ移る。ここでのガルシアのソロは明く、心はずむ。〈Sugar Magnolia〉で再び休憩。
 後のデッドならここでアンコールになるところだが、この時期はさらに第三部を30分以上。ここでのハイライトはスロー・ブルーズ〈It Hurts Me Too〉。ブルーズというのはシンガーによって決まるところがあって、デッドでこの後、これに近いところまで行くのはブレント・ミドランドの後期になる。ただ、ミドランドの声には、ピグペンのこの「ドスを呑んだ」響きは無い。締めはこの頃の定番〈Goin' Down The Road Feeling Bad〉をはさんだ〈Not Fade Away〉。後のパートではウィアとピグペンが掛合いをし、その裏でガルシアがギターを弾きまくる。
 アンコールの〈One More Saturday Night〉は、このツアーではほとんどのショウで最後の締めくくりを勤める。
 次は1日置いてフランクフルト。

5. 1978 Horton Field House, Illinois State, Normal, IL
 月曜日。開演7時半。第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた後、《Dave's Picks, Vol. 7》で全体がリリースされた。
 当初、ライヴ録音に参加しよう、と宣伝されていたそうだが、《Dave's Picks》で出るまで、公式リリースはされなかった。《Live/Dead》や《Europe '72》の成功があったにもかかわらず、デッドは現役時代、ライヴ・アルバムのリリースにあまり積極的ではなかったように見える。このあたりも伝統音楽のミュージシャンに通じる。

6. 1984 New Haven Coliseum, New Haven, CT
 火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時半。前日やこの次に比べると全体として落ちるが、初めてデッドのショウを体験した人間にとってはライフ・チェンジングなものだった由。

7. 1988 Irvine Meadows Amphitheatre, Irvine , CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
 同じ日に近くで航空ショウがあり、ジェット戦闘機が低空で飛びまわっていた。そのうちの一機は低く突込んだまま上がってこなかった。その機体は胴体着陸したが、パイロットは助かったそうな。と証言しているのは、元空軍で消防官をしていたデッドヘッド。(ゆ)