05月05日・木
 てっきりエイプリル・フールのネタかと思っていたら、ホンモノの新製品だった FitEar Silver 開発者インタヴューが面白い。
 


 須山社長も50代、とすれば確かに耳の衰えはやむをえない。高域はずいぶん聞えなくなっているはずだ。20代の若い方が一線で開発を担当するのは、オーディオ・メーカーとしては理想的な形だが、そんなに実例は多く聞かない。本人がやっていた頃のマーク・レヴィンソンはそれくらいだろうか。
 それにしても、この堀田氏、父君がオーディオ・マニアで、高校生の頃からイヤフォンを自作し、イヤフォン作りをするために歯科技工士の資格を取って FitEar に入るというのは、徹底している。レールに載らない、というか、レールは自分で敷くものではある。
 足らないところといえば、須山社長もおっしゃるように、生音の体験だろう。生音が聴けるライヴに通っていただきたいものである。同じシンバルでも、素人が叩くのと、名人が叩くのでは音が違うことも実感していただきたい。
 あえて希望を言えば、ぜひ、わが国のアイリッシュ系、ケルト系のアーティストのライヴを体験していただきたい。そこで、こういう音楽を聴くのに最適なイヤフォンを作ろうという気になっていただければなおのこと嬉しい。

 ヘッドフォン祭の会場で、須山社長は18金でボディを作った FitEar Gold も見せてくれたが、あちらはホンモノのエイプリル・フール・ネタらしい。


##本日のグレイトフル・デッド
 05月05日には1965年から1991年まで9本のショウをしている。公式リリースは2本、うち完全版1本。

1. 1965 Magoo's Pizza Parlor, Menlo Park, CA
 日曜日。バンドが The Warlocks の名で人前で初めて演奏したものと言われる。当時ここで演奏をしていたのはむろんかれらだけではなく、様々なバンドやアクトがやっていた。ピザ屋に来る客はピザを食べに来る人、音楽を聞きに来る人、ピザと音楽と両方のために来る人がいた。
 DeadBase XI でレポートしている Donn Paulk は当時10歳だが、The Warlocks の演奏は楽しいものとして印象に残っているという。

2. 1967 Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。テープが残っており、セット・リストの一部がわかっている。

3. 1968 Central Park, New York, NY
 日曜日。グレイトフル・デッドがマンハッタンで初めて演奏し、ニューヨークの人びとにその存在を印象づけたことで有名なショウ。
 ジェファーソン・エアプレインが前日フィルモア・イーストで初めて演奏し、やはり鮮烈なニューヨーク・デビューを果した。その前座は Crazy World of Arthur Brown で、これとジェファーソン・エアプレインの幕間にビル・グレアムが出てきて、翌日セントラル・パークでリッチー・ヘヴンス、ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドがフリー・コンサートをすることをアナウンスした。また別の証言では、エアプレインのポール・カントナーも翌日のフリー・コンサートをステージからアナウンスした。
 DeadBase XI でレポートしている Doug とその友人たちにとってはリッチー・ヘヴンスが最大の魅力だった。ジェファーソンはこの日見たばかり、ポール・バターフィールドもグレイトフル・デッドも聴いたことがなかった。結局ヘヴンスは登場せず、替わりに Larry Hankin というコメディアンが出た。バターフィールドも良かったが、デッドには文字通り、ぶっとんだ。同様にぶっとび、以後、忠実なデッドヘッドになった人間は数多い。
 この日は天気もよく、会場の雰囲気もリラックスしたものだった。聴衆の中からステージに向かってフリスビーが投げられ、カントナーの尻にあたった。カントナーはこれを見せびらかした。デッドの演奏の時には、ステージの脇や後ろで出番の終ったミュージシャンたちがビールを飲みながら、デッドの演奏を愉しんでいた。
 この日、バンドが使っていた機材についての詳細なコメントが Setlist にある。

4. 1977 Vetrans Memorial Coliseum, New Haven, CT
 木曜日。7.50ドル。開演7時。
 全体が《May 1977: Get Shown The Light》でリリースされた。
 1977年春のツアーは1972年のヨーロッパ・ツアー、1990年春のツアーとならぶ、デッド史上最高のツアーの一つ。メンバーが30代前半、1974〜76年の大休止によって心身ともにリフレッシュしたこと、年頭の《Terrapin Station》録音での経験などが相俟って、バンドは最高の状態にある。
 この1977年のサウンドにはこうして音楽をやっていること、やれることの幸福感が満ちあふれている。1972年は原始デッドの最後の残照がどこか悲劇的な色合いを加えている。1990年には時代の流れに逆らっている状況が、72年とは異なりながら、やはり悲劇的な色合いを忍ばせる。デッドとしては意図して逆らっているわけではなく、ごく自然に、あたりまえにデッドであろうとすることがそのまま逆らうことになってしまう構造であるにしても、だ。
 1977年はそれまでの蓄積が花開き、音楽の上でやりたいことを自在にできるようになり、グレイトフル・デッドというバンドの音楽が最も実り多い形に結実している。そのことをバンド自身も、周囲もファンも日々実感しながらツアーをしている。この春の音楽を聴いていると、この音楽に浸れることの歓びがふつふつと湧いてくる。気分が昂揚し、生きてあることの幸せを噛みしめる。
 この年は2月下旬、サン・バーディーノ、サンタ・バーバラでの2日間で始動し、3月半ばにウィンターランドで三連荘をした後、04月22日、フィラデルフィアからツアーを開始、05月28日コネティカット州ハートフォードまで26本の長丁場だ。フロリダまでの大陸東岸のほぼ全域から、西はアリゾナまで含む。この長いツアーからもどったバンドを迎えたビル・グレアムは、「ご苦労さん、ご褒美だよ」と6月上旬、ウィンターランドに3日間ブッキングする。それに答えて、バンドはここでも最高の演奏を披露する。アウェイのツアーに対して、こちらはホーム感たっぷりだ。

 《30 Trips Around The Sun》収録の1977-04-25ニュー・ジャージー州パセーイクでのショウのライナーでデヴィッド・レミューは、同じ春のツアーでも4月中はまだ1976年版のデッドから77年版のデッドへの移行期だと言う。完全に入れ替わるのが05-03、ニューヨークのパラダイムでの5本連続のランの4本目だそうだ。
 76年と77年では確かに違うが、この移行はあたしには正直まだわからない。もっと聞きこめばわかるようになるかもしれないが、2時間半のショウをそう何回も聴くだけの時間はまずない。
 とまれ、この05月05日ニューヘイヴンでのショウは前述の幸福感がふつふつと湧いてくる体験をさせてくれる。オープナーの〈The Promised Land〉だけでまずご機嫌になるが、その次〈Sugaree〉が凄い。15分を超える演奏はまさに「モンスター」。ガルシアの歌もすばらしいが、ギターがほとんど人間業ではない。ごくごくシンプルな、ほとんど四分音符だけをただ並べてゆく。起伏もあまりないメロディを繰返し、繰返しながら少しずつ変えてゆく。それだけでどこまでも盛り上がってゆくのだ。他のメンバーもこれにならって、各々にシンプルなフレーズを繰返し、波が波を呼び、干渉しあって大きくなる。なんで、こんな単純なものに感動するのだ、と自分でもわけがわからなくなる。単純でシンプルだからこそ感動するのだろう。デッドの演奏としてもこれは尋常ではい。デッドのベストの演奏としても尋常ではない。あらゆる基準を超えてしまっている。
 ガルシアのギターはただシンプルなだけではない。この頃になると、まさに自在、ジャズにもブルーズにもロックンロールにも、あるいはほとんどアコースティックなフォークにも、融通無碍に遊びころげる。流麗と言ってもいい。かと思えば〈Deal〉では丈夫なバネがそなわったように弾むこと弾むこと。もともと即興の曲である〈Supplication〉でも、第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉でも、同じ人間が弾いているとも思えない。
 しかも、そういう超人的なギターが独り突出するわけでもない。バンドがちゃんとついてゆく。ガルシアのギターもアンサンブルの一部、核心ではあるが一部として成り立っている。そして、メンバー各々に遊んでいる。〈Scarlet Begonias〉で "in the heart of gold band" でブレイクするところで、キースがピアノで軽く残るのが粋だ。この後でもガルシアはごくシンプルなのに心に響くフレーズを連発する。
 これもこの時期の特徴だが、全体としてゆったりとしている。テンポが遅いとまではいえないが、タメ、余裕がある。それと優しさがある。タッチがやわらかい。〈Good Loving'〉でさえ、優しくやわらかく水のごとく流れるように演奏される。
 その流れを汲んで始まる〈St. Stephen〉では、歌の後の即興がメインのメロディからは完全に離陸する。そこからさらに別の位相に転換し、ほとんど〈Truckin'〉のノリで延々と続くかと思うと最後にテーマにもどり、歌が出てくる。この回帰のカッコよさには唸るしかない。
 「ウィリアム・テル・ブリッジ」直前のコーラスで切り、一拍おいてウィアがリフを始めて〈Sugar Magnolia〉。ここでもガルシアがすばらしいギターを聞かせ、"Sunshine Daydream" では、ドナとウィアがやはり優しく歌いだす。だんだんに熱を帯びるが、エッジは立たない。
 〈Johnny B. Goode〉はアンコールとしては定番だが、ひどく新鮮に響く。
 春のツアーの中でも、ここから07日ボストン、08日バートン・ホール、09日バッファローの「三部作」はピーク中のピークになる。

5. 1978 Thompson Arena, Dartmouth College, Hanover, NH
 金曜日。8ドル。開演8時。
 会場の音響は最低だったそうな。

6. 1979 Baltimore Civic Center, Baltimore, MD
 土曜日。短かめだが、良いショウの由。

7. 1981 Glens Falls Civic Center, Glens Falls, NY
 火曜日。10.50ドル。開演7時。
 DeadBase XI で Stu Nixon は〈Uncle John's Band〉での2回のジャムを誉めたたえている。

8. 1990 California State University Dominguez Hills, Carson, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。FM放送された。
 気温38度で、演奏もホットだった由。

9. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演6時。
 オープナーの〈Help On The Way> Slipknot> Franklin's Tower〉のメドレーが2010年、最初の《30 Days Of Dead》でリリースされた。(ゆ)