05月11日・水
iPod の二代目と AAC の導入で、あたしは CD から離れた。AAC にリッピングした音を聴いて、これなら行けると判断し、持っていた CD を片端からリッピングしはじめた。初めは当然 iTunes でリッピングしていた。ライブラリーの大半は今でもその時にリッピングしたままだ。数千枚の CD を全部リッピングしなおすことは考えたくもないし、それでもすでに 3TB に近づいているのだから、全部やりなおせば、容量がいくらあっても足りない。
その前に移動しながら、つまり散歩しながら音楽を聴くことは CDウォークマンでやっていた。カセットのウォークマンはついに使わなかった。部屋の中に閉じこもらず、スピーカーの前に座らずに、オープンな環境で音楽を聴くことのメリットはだからウォークマンに教えられた。音楽を聴きながら歩くと、目に映る光景も、耳に聞える音楽も、新たな位相を現す。音楽が演奏されている現場では無いところで、まったく別の情景を目にしながらでも鑑賞できるようになったのは、テクノロジーの御利益、我々が人類史上初めて享受しているありがたさだ。つまりこれはまったく新しい体験なのだ。
あれはいつだったか。もう20年かそこら前かもしれない。ちょうど今ころか、田圃はまだ前年に刈りとられた切株が残っていたから、もう少し前だったろう。その田圃の間の道を散歩していた。晴れて、大きな雲が大山の向こうからせり出してきていた。先端がちょうど頭の真上に来ようとしていた。雲は陽光をいっぱいに受けて輝いていた。何を聴いていたかは覚えていない。とにかく音楽を聴きながら、その雲を見上げた瞬間、たとえようもない幸福感がいきなり湧いてきた。なにか具体的なことが幸福というわけではない。そうしてその場にあること、そこに雲があり、田圃があり、こうしてここに生きてあること、音楽を聴いていること、その全体がただただ幸福だと感じていた。至福、とはああいう感覚だろう。その感覚は覚えている。忘れられようもない。足は自然に止まり、阿呆のように雲を見上げたまま、しばし立ちつくした。
iPod は CD の枠、アルバムの枠を外してくれた。詰めこめるだけ詰めこんだライブラリーをシャッフルで聴く愉しさを教えてくれた。作られたコンテクストから一度完全に離れた形で聴く音楽は、また別の次元で異なる位相、新鮮な位相を現す。交響曲の1楽章の次にどブルーズが来て、その次は荒井由美、続くのはニック・ジョーンズ、その次はトト・ラ・モンポシーナ、というのはまだどこか因果関係がある。もっとランダムに、デタラメに、えー、ここでこれが来るのかよ、と驚く愉しさは、他にたとえるものもない。こんな曲、入っていたっけ、と驚く愉しさもまた、たとえるものもない。なるべく多彩と思えるものを詰めこむようにしたり、容量が大きいものを求める。
音楽を録音で聴くことは、生で体験するのとは違う。それはデメリットもあるけれども、一方で、コンテクストから外して、あるいはまったく別のコンテクストに移して聴くことができるメリットはそれを埋め合わせて余りある。iPod はそれを教えてくれた。ウォークマンではなかった。
iPod は iPhone を生み、音楽の録音を聴く自由度、選択肢の幅、多様性はさらに大きくなった。ソニーがウォークマンにこだわっているのは、つまるところ、オーディオ・メーカーだからだろう。Apple にとってハードウェアはインフラにすぎないが、ソニーはハードウェアを作り、売ることが好きなのだ。だが、もう一度つまるところ、iPod に相当するジャンプをソニーはできていない。ウォークマンなくして iPod は生まれなかったが、今のウォークマンは iPod のコピーだ。ウォークマンで音楽をコンテクストから外し、CD で音楽をデジタル化してパッケージから解放したようなジャンプを、ソニーには期待しよう。
##本日のグレイトフル・デッド
05月11日には1968年から1991年まで11本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版2本、準完全版1本。
01. 1968 Virginia Beach Civic Center (aka The Dome), Virginia Beach, VA
土曜日。2.50、3.00、3.50ドル。7時と10時の2回。共演 The Wild Kingdom。
チラシには "Direct from San Francisco" とある。会場の音響はひどかったらしい。
02. 1969 Aztec Bowl, San Diego State University, San Diego, CA
日曜日。開演正午。ワンマンではなく、キャンド・ヒートがヘッドライナーで、デッド、Lee Michaels、サンタナ、Tarantula がポスターには出ている。
デッドの演目には長いドラム・セットがあり、ここにサンタナと the Grandmasters が参加したと、DeadBase IX にはある。
Lee Michaels は1945年ロサンゼルス生まれのシンガー、キーボード奏者。ハモンド・オルガンの名手として知られる。1967年 A&M Records と契約、ソロ・アルバムを出す。1971年に〈Do You Know What I Mean〉がトップ10に入る。
Tarantula は不明。この名前のバンドはたくさんあるが、1960年代にアメリカで活動したものは見当らない。ローカル・バンドか。
03. 1970 Village Gate, New York, NY
月曜日。ここで行われたティモシー・リアリー弁護費用基金のための資金調達ベネフィット・コンサートにデッドが参加した、という話がある。が、確証が無い。別の証言では出たのはアレン・ギンズバーグ、アラン・ワッツ、ピーター・ヤーロウ、ジミ・ヘンドリックス、ジョニー・ウィンター、ジョン・セバスチャンだった、と言う。
04. 1972 Rotterdam Civic Hall, Rotterdam, Netherland
木曜日。ヨーロッパ・ツアー15本目。
第一部6曲目の〈Chinatown Shuffle〉が《So Many Roads》でリリースされた後、全体が《Europe ’72: The Complete Recordings》でリリースされた。
前日とは様変わりして、冒頭からバンドは走っている。なにせ10分を超える〈Playing In The Band〉でショウを始めるのだから。
ウィアは声がかすれているが、ショウが進むにつれ、歌っているうちに一度治ったらしい。最後にはまた潰す。ガルシアのヴォーカルは元気いっぱいで、粘り気がある。ピグペンは絶好調。この日はガルシアはギターも最初から飛ばして、ピグペンの曲でもいいギターを弾く。それも低い音域を使うのがいい。第一部10曲目〈It Hurts Me Too〉が、ピグペンのヴォーカルもガルシアのギターもベスト。第一部クローザー前の〈Good Lovin'〉もすばらしい。
第二部オープナー〈Morning Dew〉を聴くと、会場が前日よりも広いらしいことがわかる。コンセルトヘボウは19世紀末のオープンで定員2,000。ここは1966年にオープンしたモダンなデザインのホールで、定員2,200。定員からすればそう違わないが、こちらは最新の音響設計を施しているそうな。
第二部3曲目〈The Stranger〉でもガルシアがハーモニクスを駆使して、面白い音を出す。
このショウはデッドのアーカイヴの初代管理人ディック・ラトヴァラの大のお気に入りだったそうで、それというのも全部で50分近い〈Dark Star〉から〈Turckin'〉にいたる1時間半になんなんとするメドレーのおかげ。ライナーでブレア・ジャクソンがこの〈Dark Star〉を詳細に分析しているのは、デッドの音楽に相対する手法の一つではある。バンド全体での集団即興も面白いが、この日はベースとドラムスの3人とか、ガルシア、ウィア、レシュのトリオとか、少人数で比較的静かにやるのがたまらん。
ショウを仕舞う〈Uncle John's Band〉でもガルシアが切れ味のいいギターを展開して納得。
次は1日置いてフランスのリール。
05. 1977 St. Paul Civic Center Arena, St. Paul, MN
水曜日。全体が《MAY 1977》でリリースされた。
この前の3本のラン、05月08、09、10日が三部作なら、ここからの3本、翌日と翌々日のシカゴも三部作と見ることもできる。《MAY 1977》のボックス・セットでは、それに15日のセント・ルイスと17日のアリゾナも加えている。
この日のショウは前3本に比べてしまうと地味に聞えるところもある。一方で、この春のツアーの浮き立つような感覚、このバンドで音楽をやれることの歓びはやはりたっぷりと浸ることができる。
第一部はきっちりした演奏が続く。特別に離陸することもあまりないけれども、いつもやっている曲をいつもと同じようにやって、なおかつ、まるで初めて聴くように新鮮に聴かせることができる、というのはやはり凄いことだ。中では〈Looks Like Rain〉が一頭地を抜いている。この時期、この曲はウィアとドナのデュエットで、とりわけ2人が即興で歌いあうコーダがたまらん。
これに限らず、ドナの存在はこの時期の音楽に特別の輝きを与えている。大休止からの復帰後のドナは参加する曲も大幅に増え、また単にコーラスに参加するだけでなく、この曲や〈Cassidy〉のように、デュエットをする場面も多く、長くなる。さらには自作の〈Sunrise〉もレパートリィに入る。女性の声が入るだけでも色合いが変わるし、70年代後半のドナは場面によって様々に歌い方も変えて、デッドの歌の表情がより多彩になる。この日も第二部〈Scarlet Begonias〉の後半、ガルシアのギター・ソロの裏で入れる「泣き」がすばらしい。
第一部クローザーは〈Sugaree〉で、この春のこの曲はやはり異常なまでに美しい。
この日はアンサンブルがよく弾む。第二部2曲目〈Brown-Eyed Women〉のような曲でも、こんなに弾んでいいのかと思うくらい元気がいい。
バンドの全体が元気がよいので、ガルシアが突出することはあまりないが、〈Fire on the Mountain〉後半ではギターを弾くのをやめない。コーダのフレーズに入ってからもその変奏を延々と続け、さらにまたソロになったりする。
この時期はまだ第二部中間での Drums> Space は確立していない。ここでは〈Uncle John's Band〉のラストがジャムになり、そのまま Space と呼ばれる時間になる。しばらく集団での即興が続くが、やがてガルシアがそれまでの小さな音量からややアグレッシヴな演奏になると、他のメンバーが退いてまったくのソロになる。ここは指が勝手に動く、音が湧いてくる感じ。そしていきなりコードを叩いて〈Wharf Rat〉。ヴォーカルもいいが、Space でカンをとりもどしたか、その後のガルシアのギター・ソロはこの日のベスト。演奏もすばらしく、力を入れるところと、すっと引くところの出し入れの呼吸が絶妙。
続く〈Around and Around〉がまたすばらしい。ドナのヴォーカルがいよいよ冴えわたり、途中でどんとテンポが上がるといつもより速く、熱が上がる。ラストが決まった後、レシュが Thank you, good night と宣言して、これまではここで終るのだが、この日はアンコールがある。〈Brokedown Palace〉のこれもベスト・ヴァージョンの後、今度はガルシアが最後の挨拶をする。
終ってみれば、やはりこれも1977年春の輝きに満ちている。
06. 1978 Springfield Civic Arena, Springfield, MA
木曜日。開演7時。第一部の3曲、第二部でも3曲を除き、《Dick's Picks, Vol.25》でリリースされた。また、第二部オープナーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉が2013年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
非常に良いショウで、あまりに奔放なので、バンドは全員ヤク漬けになっていたのだ、という噂が飛びかっていた。
07. 1979 Billerica Forum, Billerica, MA
金曜日。9.50ドル。開演8時。
ミドランドが体調を崩したのでアンコールはできないとハートが宣言したそうな。
08. 1980 Cumberland County Civic Center, Portland, ME
日曜日。これまた良いショウの由。
09. 1981 New Haven Coliseum, New Haven, CT
月曜日。このヴェニュー2日連続の初日。10.50ドル。開演7時半。
第二部4曲目〈To Lay Me Down〉が2014年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
これも良いショウの由。
10. 1986 Frost Amphitheatre, Stanford University, Palo Alto, CA
日曜日。16ドル。開演2時。このヴェニュー2日連続の2日目。
前日ほどではないが、良いショウ。
11. 1991 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。(ゆ)
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