05月13日・金
Massdrop 改め Drop からのニュースレターで Massdrop 時代以来のベストセラー Sennheiser HD6xx を誘ってくるのでサイトで値段をあらためると240ドル。送料15ドル。船便か、と思いながらも安さに惹かれてポチ。HD650は新仕様になったとかで、この春にがんと値上がりし、今、安いところで6.5万。定価は7万。これも民生部門売却の影響か。今さら650でもあるまいと思っていたが、諸般の事情で必要になってきた。
Proper Records からのニュースレターを見て、Ye Vagabonds の新作、Bryony Griffith & Alice Jones のデビュー作など5枚注文。アイルランド1枚、イングランド4枚。
##本日のグレイトフル・デッド
05月13日には1972年から1983年まで7本のショウをしている。公式リリースは4本、うち完全版2本。
1. 1972 Lille Fairgrounds, Lille, France
土曜日。ヨーロッパ・ツアー16本目。
《Europe ’72: The Complete Recordings》で全体がリリースされた。
リールはパリの北150キロほどの街。このショウにはいわくがある。もともとは05月04日のパリ公演の直後に予定されていた。ところがトラブルが起きる。狂信的なファンの1人がデッドはフリー・コンサートをすべきだとパリのショウが終ったところでねじ込んできた。クロイツマンに言わせれば、タダ券が欲しかっただけということになるが、とにかくこの男はホテルにまでつきまとい、とうとうクルーの1人に追いはらわれる。逆恨みした男は機材を積んだトラックのガソリン・タンクに砂糖ないしアイスクリームをぶちこんだ。おかげで翌日、トラックは動かなくなる。一足先にリールに入っていたバンドは、待てど暮らせど機材が来ないので、どうすることもできない。さらに悪いことにリールは労働運動が盛んで、人びとはおとなしくない。ショウが行われず、プロモーターは払い戻しに応じないので、騒ぎだす。ウィアとレシュが説得しようとしたが、たどたどしいフランス語で通じるはずもない。とうとう身の危険を感じて、バンドはバラ1本を楽屋の窓際に残してほうほうの態で逃げだした。そのバラに託した約束を守り、リベンジとして行なわれたフリー・コンサートがすなわちこのショウである。街の遊園地の一角に即席のステージを造ってたっぷり3時間演奏した。見ていたのは、たまたま通りかかった人びと、週末の散歩に出てきた家族連れ、アベック、学生、その他。途中で雨が降ってきて中断。止むと再開した。レシュに言わせると、辺りはフランス印象派の絵そのものの世界だった。有名なスーラの「グランド・ジャッドの日曜日の午後」というところか。ああいうところで、たとえばツェッペリンとかストーンズとかがやるのはまるで場違いだが、デッドは妙に合うような気もする。
演奏は最高とは言わないが、このツアーらしい、きっちりしたもの。この経緯もいかにもデッドならではだが、こういうフリーの、まじめに聴いている人間がいるのかいないのかわからないような街頭の演奏でも、音楽がまったく変わらないのもデッドだ。観客がまったく皆無というのは、ミュージシャンにとってかえって解放されるところがあることは、篠田昌巳と西村卓也の1987年前橋での街頭ライヴ録音(《Duo》off note, 1996)にも明らかだが、そこはジャズとロックの違いだろうか。
もっともデッドもまた、演奏する第一の目的は自分たちが愉しむためだ。たとえ誰一人観客がいなくても、期待すらできなくても、やはり同じように質の高い演奏をしただろう。ただ、デッドは聴衆との交流を好む。その反応を糧とする。その意味ではデッドにとって、聴衆は不可欠だ。たとえ、自分たちの音楽に接するのが初めてで、とりわけ関心があるわけではない相手であってもだ。そしてデッドの音楽には、そういう人間をも釣りあげる、不思議な魅力がある。このショウから40年近く経って、あたしが釣りあげられたように。
次は3日後、ルクセンブルク。長いツアーも終盤である。
2. 1973 Iowa State Fairgrounds, Des Moines, IA
日曜日。前売5ドル、当日6ドル。開演1時。三部制。
第二部クローザーの〈Playing In The Band〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
全部で4時間半。出来はそこそこ、らしい。
3. 1977 Auditorium Theatre, Chicago, IL
金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。
全体が《May 1977》でリリースされた。なお、テープ損傷のため、クローザーの2曲〈Goin' Down The Road Feeling Bad> One More Saturday Night〉はこの年の少し後のショウのものと差し替えられている。前者は06-08ウィンターランド、後者は05-28ハートフォードのもの。どちらも先に公式に完全版がリリースされている。どちらも本来のこの日の演奏よりも若干長い。その後のアンコール〈U.S. Blues〉はこの日のもの。
第一部8曲目で〈Jack-A-Roe〉がデビュー。伝統歌で、1995-06-25まで117回演奏。ガルシアの持ち歌で、ソロ・プロジェクトでも演奏している。ブリテンでの最古の文献は1800年前後まで遡り、そこでは〈Jack Munro〉と呼ばれている。セシル・シャープがアパラチア南部で多数のヴァージョンを収集している。ここで歌われているのもアパラチアのヴァージョンの一つだろう。もっとも全体の演奏はほとんどカウボーイ・ソングのノリ。ジェリィ・ガルシア・バンドではもう少しフォーク調になるようだ。初演のせいか、終始ガルシアだけが歌う。
05-08の〈Morning Dew〉のような、それだけで世界をひっくり返すようなものは無いかもしれないが、どの曲も、聴くとこれはベスト・ヴァージョンと言いたくなる。たとえば〈Cassidy〉のガルシアのソロ。〈Friend of the Devil〉の鍵盤、あるいは第一部クローザーの〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉。この時期は全体にそうだが、この最後のペアはとりわけテンポが最適で、ガルシアのヴォーカルもギターも絶好調。SB の歌が終ってからガルシアはソロをとらず、ドナがセンスのいいスキャットを入れ、ベースがリードしてどんと FOTM へ転換するところ、いつもと違うのもカッコいい。そしてこの FOTM でのガルシアのギターを聴くのは無上の歓び。
ガルシアのギターは第二部でもますます冴えて、オープナー〈Samson and Delilah〉では、定型のフレーズを変奏してゆく、その一つひとつが面白い。一方〈Estimated Prophet〉でのギターはメロディからはずれた発展形、ジャズの手法で、このソロはこの春のツアー全体でもベストの一つ。同様に美味しい 〈Drums> The Other One〉を経て、次の〈Stella Blue〉がハイライト。ガルシアのヴォーカルの力の入り方は一瞬、スピーカーが壊れるかと思うほどだし、ギターもそれにふさわしい。
その後はテープがダメだと正直に言って、入れなくてもよかったんじゃないかという声もあり、それも一理ある。とはいえ、1本のショウとして聴く分にはあってもそれでぶち壊しというわけでもない。このつなぎは実に巧妙で、デジタル技術はまったく何でもできるとあらためて関心する。
ツアーの次のショウは中1日置いてセント・ルイス。
4. 1978 The Spectrum, Philadelphia, PA
土曜日。8ドル。開演7時。
第一部クローザー〈The Music Never Stopped〉が2017年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
このショウが初体験だったデッドヘッドが、これから7、8年後、というから1980年代半ば、ジョー・ストラマーがデッドと同じホテルに泊まっていて、パーティーをしていたと証言している。ストラマーは1972年のビッカーショウ・フェスティヴァル、エルヴィス・コステロも見ていた同じショウを見ていたそうだが、当初パンクのファンはアンチ・デッドの先頭に立っていたことからすれば、なかなか面白い話ではある。
5. 1979 Cumberland County Civic Center, Portland, ME
日曜日。春のツアーの千秋楽。この年は01月05日にフィラデルフィアで始動し、01月02月とツアーして、02月17日に打ち上げ。ガチョー夫妻が脱けて、ブレント・ミドランドが加わり、04月22日にサンノゼで初舞台。その次が05月03日からここまで短い春のツアー。春はいつも良いが、メンバー交替で心機一転、この5月は良いランだったようだ。
6. 1981 Providence Civic Center, Providence, RI
水曜日。9.50ドル。開演7時半。良いショウの由。
7. 1983 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
第一部4曲目で〈Hell In A Bucket〉がデビュー。バーロゥ&ウィアの曲。このコンビの曲としては〈My Brother Esau〉とともにこの年2曲目。〈Picasso Moon〉に次いで最も遅い曲。1995-06-30まで215回演奏。演奏回数順では66位。スタジオ盤は《In The Dark》収録。〈Throwing Stone〉と並んで、この遅いデビューの割に演奏回数の多い曲。オープナーになることも多い。
会場は有名なところで、定員8,500。デッドのここでの初演は1967年10月01日だが、この時はチャールズ・ロイド、ボラ・セテとの対バン。ここでワンマンで演るようになるのは1981年09月からで、1989年08月19日まで計26本のショウをしている。(ゆ)
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