05月21日・土
久しぶりのアイリッシュ。久しぶりの生音。それも極上の音楽で、パンデミックが始まって以来の喉の渇きをやっとのことで潤すことができた。終演後アニーが言っていた通り、こういう音楽をやっている人たちが身近にいる、時空を同じくして生きていることが心底嬉しい。アニーもまたその人たちの1人ではある。
須貝さんからこういうライヴがあるんですけどとお誘いが来た時には二つ返事で行くと答えた。須貝さんが惚れこんだ相手なら悪いはずがない。それにたとえどんなに悪くなろうとも、須貝さんの笛を生で聴けるのなら、それだけで出かける価値はある。
確かにライヴのためにでさえ、東京に行くのが怖い時期はあった。何より家族の事情で、症状が出ないとしてもウィルスを持って帰るようなリスクは冒せない。しかし、感染者数は減らないとはいえ、死者の数は減っているし、亡くなっている人たちにしてもウィルスだけが原因というわけでもない。明らかにひと頃よりウィルスの毒性は落ちている。だいたい感染力が強くなれば、毒性は薄まるものだ。家族は全員3度目のワクチン接種もすませた。ということで、チャンスがあればまた出かけようという気になっていた。
木村穂波さんのアコーディオンは初体験。ちょうど1年前、同じムリウィでデュオとして初のライヴをされたそうだ。体験して、こういう人が現れたことに驚嘆もし、また嬉しくもなる。最初に思いだしたのはデイヴ・マネリィだ。木村さんはアイルランドで最晩年のトニー・マクマホンの生にも接してこられたそうだが、そのマクマホンが聴いても喜んだだろう。
今日は愚直にアイリッシュを演ります、と言われる、まさにその通りに愚直にアイリッシュ・ミュージックに突込んでいる。脇目もふらず、まっすぐにその伝統のコアに向かって掘りすすんでいる。普通の楽器でもそう感じたのが、もう1台の少し大きめの E flat(でいいんですよね)の楽器に替えると、もう完全にアイルランドの世界になる。そして何よりも、それが少しも不自然でない。まるでここ世田谷でこの音楽をやって、目をつむればアイルランドにいるとしか思えなくなるのが、まったく不自然ではなくなる。雑念が無い。これもアニーが終演後に言っていたが、極上のセッションに立ち合っている気分だ。
須貝さんのフルートがまた活き活きしている。これまでのライヴが活き活きしていなかったわけでは毛頭無いけれど、水を得た魚というか、本当に波長の合う相手を見つけた喜びがこぼれてくる。このライヴの前にケイリーの伴奏で3時間吹いてきて、ちょうどできあがったところ、というのもあるいは大きいのかもしれないが、そこでさらにアイリッシュの肝に直接触れるような演奏を引き出すものが、木村さんの演奏にあるとも思える。
アニーがそれにギターまたはブズーキを曲によって持ち替えて伴奏をつけるのだが、本当に良い伴奏の常として、聴衆に聴かせるためよりも、演奏者を浮上させるために弾いている。生音だが、アコーディオンもフルートも音の小さな楽器ではなく、たとえばフィドルよりも大きいから、時に伴奏は聞えなくなるが、それは大したことではない。
そのアニーも伴奏しているうちに自分も演奏したくなった、と言って、後半のオープニングに3曲、ギター・ソロを披露する。これがまた良かった。1曲目、聞き覚えのある曲だなあ、とても有名な曲だよなと思っていたら、マイケル・ルーニィの曲だった。2曲目はジョンジョンフェスティバルの〈サリー・ガリー〉、3曲目は長尾晃司さんの曲。そういえば、前半でアニーの作った曲〈Goodbye, May〉を2人が演奏したのはハイライト。パンデミック中に O'Jizo が出した《Music In Cube》収録の、これまた佳い曲だ。
須貝さん、木村さん、それぞれのソロのコーナーも良い。須貝さんはコンサティーナ。メドレーの2曲目〈Kaz Tehan's〉はあたしも大好きなので歓ぶ。木村さんの演奏はソロで聴くと、独得のタメがある。これまで聴いたわが国のネイティヴの演奏ではほとんど聴いたことがない。こういうのを聴くと、ソロでももっと聴いてみたくなる。
どれもこれも、聴いている間は桃源郷にいる心持ち。とりわけ引きこまれたのは2曲目のジグのメドレーの2曲目〈Paddy Fahy's〉(と聞えた)と、後半3曲目リズ・キャロル関連のメドレーの2曲目。
終演後、木村さんに少しお話しを伺えた。もともと歴史が好きでノーザン・アイルランド紛争の歴史を勉強していて、アイルランドに行ったのもそのための由。先日の、ノーザン・アイルランド議会選挙の結果で盛り上がってしまえたのは、歴史オタクのあたしとしては思いがけず嬉しかった。クラシックでピアノを始め、ピアノ・アコーディオンに行き、トリコロールを見て、アイリッシュとボタン・アコーディオンに転向。というキャリアの割りにアイリッシュ・ミュージックの真髄に誰よりも近づいているように聞えるのは、アイルランドの歴史に造詣が深いからだろうか。少なくとも木村さんの場合、歴史を勉強されていることがアイリッシュ・ミュージックへの理解と共感を深める支えになっていると思われる。
アプローチは人さまざまだから、歴史の代わりに料理でも馬でもいいはずだが、アイリッシュ・ミュージックが音楽だけで完結しているわけではないことは、頭のどこかに入れておいた方が、アイリッシュ・ミュージックの奥へ入ってゆく際に少なからず助けになるはずだ。これがクラシックやジャズや、あるいはロックであるならば、音楽だけに突込んでいっても「突破」できないことはないだろうけれど、こと伝統音楽にあっては、音楽を支えているもの、それがよってきたるところと音楽は不可分、音楽はより大きなものの一部なのだ。極端な話、ふだん何を食べているかでも音楽は変わってくる。
とまれ、このデュオの音楽はすばらしい。こんなにアイリッシュばかりごりごり演るのは滅多にありませんと終演後、須貝さんに言われて、ようやく確かにと納得したけれど、聴いている間はまるで意識していなかった。ただただ、いい音楽に浸りきっていた。この上はぜひぜひ録音を出していただきたい。とは、お2人にもお願いしたが、重ねてお願いする。あたしが生きて、ちゃんと音楽が聴けるうちに出してください。
それにしてもアイリッシュはええ。生音はええ。耳が甦る気がする。須貝さん、木村さん、アニーに感謝感謝。それになぜか演奏しやすいらしい場を提供してくれているムリウィにもありがとうございます。
##本日のグレイトフル・デッド
05月21日には1968年から1995年まで8本のショウをしている。公式リリースは完全版1本にほぼ完全版1本の2本。
1. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
火曜日。厳密にはデッドのショウとは言えない。参加したミュージシャンはガルシア、ハート、ヨウマ・カウコネン、ジャック・キャサディ、エルヴィン・ビショップ、スティーヴ・ミラー、ウィル・スカーレット。何らかのベネフィットで入場料1ドル。ポスターがあるそうだが、未見。
2. 1970 Pepperland, San Rafael, CA
木曜日。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと共演し、〈Turn On Your Lovelight〉にジャニス・ジョプリンが参加した、という話がある。のだが、DeadBase 50 はこのショウは無かったとしている。
3. 1974 Hec Edmundson Pavilion, Seattle, WA
火曜日。開演7時。全体が《Pacific Northwest '73–'74: The Complete Recordings》でリリースされた。これについてはまたあらためて。
4. 1977 Lakeland Civic Center, Lakeland, FL
土曜日。アンコールの〈U.S. Blues〉のみを除く全体が《Dick's Picks, Vol. 29》でリリースされた。
77年春のツアー前半は確かにピーク中のピークなのだが、では後半が劣るかと言うと、そんなことはまったく無い。と、改めてこれを聴いて思う。
この日のショウでは、ガルシアのギターがことさらに冴えわたり、この曲のベスト・ヴァージョンだ、と言いきりたくなる瞬間が続出する。オープナーの〈Bertha〉から面白いフレーズが流れ迸る。〈Tennessee Jed〉〈Row Jimmy〉〈Scarlet Begonias> Fire On The Mountain〉のとりわけ FOTM、さらには〈New Minglewood Blues〉のような曲でもすばらしい。〈Samson and Delilah〉〈Estimated Prophet〉、いずれも見事。そして〈He's Gone〉の後半が凄い。歌の後、メインの歌からは完全に外れた集団即興になり、さらに途中からいきなりテンポが急調子に切り替わり、さらに即興が続く。その先頭に立ってガルシアのギターが飛んでゆく。ベースは〈The Other One〉のリフを先取りするが、まずは Drums になる。強烈な「叩き合い」の後、あらためて始まる〈The Other One〉、をを、見よ、ガルシアのギターが天空を翔けてゆく。それをバンドが追いかけて、さらにガルシアを打ち出す。打ち出されたガルシアは遙かな地平線めがけて弧を描いて落ちてゆくが、落ちきらずに、地平線すれすれのところをどこまでも伸びてゆき、やがて〈Comes a Time〉へと降りたつ。ここではヴォーカルもいいが、後半の抒情たっぷりのギターを聴いて泣かないヤツはニンゲンじゃねー。この前では、〈哀愁のヨーロッパ〉のジェフ・ベックも裸足で逃げだそう。いや、そんなもんではない。もっともっとそれ以上の、およそあらゆるエレクトリック・ギター演奏としてこれ以上のものはない、これはこの曲のベスト・ヴァージョン。そこから遷移するのが一転ダイナミックこの上ない〈St. Stephen〉。さらに一転、ドラマーたちがゆったりとビートを叩きだして〈Not Fade Away〉。ここでもガルシアのギターがユーモアたっぷりに跳びまわる。踊れ、踊れ、みんな踊れ。そう叫びながら跳びまわる。踊りまわる。踊りまわりつづける。と思うと、いつの間にか、〈St. Stephen〉のリフが始まっている。この回帰はカッコいい。きちんと始末をつけて一拍置いて〈One More Saturday Night〉。これまたゆったりとしたテンポがそれはそれは気持ち良い。余計な力がどこにも入っていない。間奏のガルシアのギターがきらきら輝きをはなち、ウィアも実に気持ちよさそうに歌う。そう、ロックンロールとは、このゆったりしたテンポでこそ真価を発揮するのだ。
このショウは実にゆったりしている。もともとこの春の演奏は全体に遅めでゆったりと余裕をもってやっているが、この日はその中でもさらに遅く、これ以上遅くはできないのではないかと思われるほど。そのゆったりしたテンポに乗って、意表をつく美味しいフレーズを連ねられると、参りました、と平伏すしかない。
ヴォーカルもすばらしく、ガルシアでは〈Comes a Time〉、ウィアは〈Samson and Delilah〉、そして〈He's Gone〉後半のドナも加わった3人の歌いかわしがハイライト。
この春の音楽の質の高さにドナの貢献は実に大きいと、あらためて思う。
《Dick's Picks》ではアンコールが収められていないが、〈One More Saturday Night〉での締めを聴くと、これ以上あえて要らない。
何度でも言うが、1977年春のデッドは幸せで、それを聴くのもまた幸せだ。
次は翌日、フロリダでもう1ヶ所。
5. 1982 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
金曜日。12ドル。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
かなり良いショウの由。第二部2曲目〈Uncle John's Band〉は16分に及ぶ。西海岸では1980年10月以来で、聴衆の反応は爆発的だった。
6. 1992 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
木曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。レックス財団ベネフィット。初日の共演がデヴィッド・グリスマン・クインテット、2日目が Hieroglyphics Ensemble、そしてこの日がファラオ・サンダース。いずれもレックス財団がこの年、寄付をした対象。
なお、この3日間、デッドは同じ曲をやっていない。かなり良いショウの由。
Hieroglyphics Ensemble は Peter Apfelbaum が作った17人編成のビッグ・バンド。ピーター・アフェルボームは1960年バークリー生まれのジャズ・ミュージシャン。ピアノ、テナー・サックス、ドラムスを操る。ワールド・ミュージック志向のなかなか面白い音楽をやっている。
7. 1993 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
金曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの初日。
8. 1995 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演2時。The Dave Mathews Band 前座。Drums にデイヴ・マシューズ・バンドのドラマー Carter Beauford が参加。
前2日よりずっと良く、この年のベストの1本の由。(ゆ)
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