05月28日・土
乾燥機の騒音対策でもっと良いものがあった。AirPods Pro があったのだ。これでノイキャンをオンにすれば格段の差だ。耳の穴に無理矢理突込む必要もない。ついでに溜まっていた Bandcamp と YouTube をチェックする。GroundUp Music のニュースレターに載っていた動画も。どれもなかなか面白い。
Natalie Cressman & Ian Faquini - Cant Find My Way Home (Live Performance Video)
Live at The Ruins in Hood River, Oregon on March 25, 2022 4:38
クレスマンは歌とトロンボーン。どちらも一級。
Becca Stevens & Attacca Quartet - Reminder (Live Performance Video)
From 'Becca Stevens | Attacca Quartet' (GroundUP Music, April 2022) 5:19
弦楽カルテットのアレンジが面白い。
London Jazz News から拾ったミュージシャンの音源を Bandcamp で試聴。やはりどれも面白い。Bright Dog Red はニューヨーク州オルバニーがベースとあるが、スナーキー・パピーと同じタイプに聞える。こちらは基本カルテットで、ヴォーカルがゲストに入る。サックスの Trish Clowes も良い。このあたりの新しいジャズは面白い。もっと時間があれば突込むところだが、まずはデッドに集中しなければならない。
##本日のグレイトフル・デッド
05月28日には1966年から1995年まで、5本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。
1. 1966 Avalon Ballroom, San Francisco, CA
土曜日。開演9時。"Hay Fever Dance(花粉症ダンス・パーティー)" と題されたイベント。The Family Dog が主催したイベントにデッドが出た初め。共演 The Leaves、Grass Roots。セット・リスト不明。
The Leaves は1964年にサン・フェルナンド・ヴァレーで結成されたバンド。〈Hey Joe〉を最初に録音したアクトの一つで、この録音は1966年にヒットしている。
The Grass Roots は1965年にロサンゼルスで結成されたバンドで、1975年まで頻繁にヒットを放った。ゴールド・ディスク2枚、ビルボード Hot 100 にチャート・インすること21回。
2. 1969 Winterland Arena, San Francisco, CA
水曜日。3ドル。開演6時。終演2時。バークリーの The People's Park 活動の保釈資金集めのためのベネフィット・コンサート。Aum、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、Bangor Flying Circus、エルヴィン・ビショップ・グループ、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ共演。
デッドは3曲演奏。〈Smokestack Lightnin; That's It For The Other One> Turn On Your Love Light〉。
Bangor Flying Circus はシカゴ出身のプログレ・ロック・トリオ。1967年半ばに結成、1969年解散。メンバーはこれ以前も以後も様々なバンドで活動。
The People's Park はバークリーに1960年代末の市民の活動で生まれた公園。元はカリフォルニア大学の所有地だったが、大学が資金不足から開発途中で放置したため、一帯は荒廃していた。1969年に地域住民の中からここを公園にしようという動きが起き、多数の住民が自主的に参加して公園が造られた。大学当局にはこれを認める態度も見られたが、州知事ロナルド・レーガンは強硬姿勢に出て、バークリーの共和党市長はこれに従い、1969年5月15日早朝、警察部隊を送り、できていた公園を破壊し、金網フェンスで囲った。この日の正午、カリフォルニア大学バークリーで開かれた集会が公園の警察による占拠に対する抗議集会となり、約3,000人が公園の敷地に向かい、警備の警官たちと衝突した。レーガンの首席補佐官がこの抗議活動に対して警官隊を集め、警官隊はショットガンを使用し、警官隊と対峙していた群衆のみならず、見物人たちにも発砲した。負傷者多数に加えて、見物人から死者が出る。この時発砲した警官の多数がヴェトナム戦争からの復員軍人出身で、デモ隊をヴェトコンと見ていたことが後に判明する。レーガン州知事はさらに州兵部隊を派遣する。この後も抗議活動は続き、05月22日には250人が逮捕され、保釈金は800ドルとされた。この日のコンサートはこの保釈金を集めるためのものと思われる。
大学の教授会は05月23日、環境デザイン学部から出されていた、この公園を地域主体のデザインの実験の中核とする案を圧倒的多数で承認。また UCバークリーの学生も独自の全学投票を行い、学生の半数以上が投票して、公園をそのままにする案を圧倒的多数で承認する。
バークリー市全人口の3割が参加した非暴力抗議デモの後も、大学当局は敷地を金網フェンスで囲ったままにしていた。一度はここを駐車場付きのサッカー場にすることを決定する。1971年03月、その工事が始まりそうなのを受けて、あらたに抗議行動が起きる。1972年05月、大統領リチャード・ニクソンが北ヴェトナムの主要港湾に機雷を設置すると表明すると、怒りくるった群衆が囲っていた金網フェンスを取り払った。同年09月、バークリー市議会は敷地を大学から借り受けることを決議。地域住民がボランティアと寄付によって公園を再建した。公園は主に地域の低所得層とホームレスの避難所となっており、ホームレス支援団体による支援の拠点でもある。むろん、地域住民の憩の場でもあり、ガーデニング、音楽活動、映画上映なども行われる。公園の管理運営は The People's Park Commitee(民衆公園委員会)による。
3. 1977 Hartford Civic Center, Hartford, CT
土曜日。7.50ドル。開演7時半。春のツアーの千秋楽。
《To Terrapin: Hartford '77》で全体がリリースされた。
このショウでは皆、肩の力が脱けている。リラックスして、良い意味で気楽に、余裕をもってやっている。これを聴くとここまでのツアーでは緊張感がある。いうならば、「アウェイ」でやっている感覚だ。ずっとアメリカの東半分を回っていたことはやはりそういう感覚を生んだのだろう。たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドがフィルモア・ウェストに出る時には同様な感覚を持ったのではないか。ニューヨークはデッドにとってサンフランシスコに次ぐ、第2のホームと言ってもいいところだが、それはやはりニューヨークという特定の都市に限られるので、同じ東部でもボストンやフィラデルフィアではまた違うし、南部やフロリダはまた全く異なる環境にいる感覚ではなかったか。
その緊張感はこのツアーでは良い方に作用し、バートン・ホールを初めとする名演を生んでいる。このツアーの打ち上げのショウ、千秋楽のショウでは、これで終りという気分は当然生まれるだろう。それがまた良い方に作用して、うまい具合に肩の力を脱いたのではないか。これまでのショウに比べると、全体に明るく、楽しんでやっている。このツアー全体がもともと明るく、ゆったりとしているのが、明るさの色調が柔かい。
オープニング〈Bertha> Good Lovin'> Sugaree〉の畳みかけは、おそらくこれだけは演る前に決めていたとも思える。まあ、オープナーに何をやるか、その後、2、3曲については、常に事前に決めていただろう。〈Sugaree〉はこのツアーを象徴する曲で、この演奏はその中でも1、2を争う出来。というよりも、このショウではこの曲のベスト・ヴァージョンと思えるものばかりが並ぶ。
肩の力が脱けているとわかるのは次の〈Jack Straw〉のウィアのヴォーカル。のびのびとしている。力む時に素直に力む。声もよく伸びる。次の彼の持ち歌〈New Minglewood Blues〉のヴォーカルもいい。第一部クローザーの〈The Promised Land〉も同様。ここまで来ると、テンポもまさにぴったりで、ガルシアのギターも明るく軽やかだし、キースのソロもいつものしゃちこばった感じが無い。
ガルシアも絶好調で、ギター・ソロはどれもこれも面白く、〈Row Jimmy〉もまるで雰囲気が変わっている。第一部のハイライトの一つは〈Candyman〉のガルシアの歌唱で、これを聴いて、ようやくこの歌の良さがわかった。第二部〈Tennessee Jed〉のギター・ソロのユーモアにはさらに磨きがかかる。
これが〈Estimated Prophet〉になると、ユーモラスなのはそのままだが、茶化しが入る。とぼける。ひっぱずす。脇に回って、隙を伺う。とことんシリアスであると同時に、これ以上ないほど不真面目。これこそはデッドの本質、基本のキとも思える。デッドがわが国でまっとうに受け止められないのも、この態度、真面目と不真面目が同居しているからかもしれない。日本語ネイティヴはマジメが3度のメシより好きなのだ。人生は楽しんではいけない。笑って過ごしてはいけない。額の汗を捩り鉢巻きで防ぎながら、眉間に皺を寄せて、苦労しなければならない。少なくとも苦労しているフリをしなければならない。デッドのように、「ヘラヘラ笑いながら」真剣に音楽をすることなど、もっての外なのだ。
このツアーでは出番の少なかった〈Playing In The Band〉がここで爆発する。ここでも人もあろうにキースが、ほとんどチェンバロのような音を出す。この人、こんなお茶目なところがあったのか。おそらく本人はそのつもりではないだろうが、そのチープな音は今聴くとキャンプそのもので、ひどく現代的、21世紀的だ。
この日の余裕は NFA でも明瞭だ。普段ならビートに乗って、ノリで持ってゆく曲だが、ここではひどくゆっくりと、のんびりと演奏していて、歌が入るのは CD でトラックが始まって4:30も経ってからだ。そしてここでもガルシアのギターはユーモラスであると同時にシリアスで、時にブラック・ユーモアに踏みこむ。そこから最後は集団即興になって、まるで別の曲。しかものんびりとシリアスなたままなのだ。
そこから遷移する〈Wharf Rat〉はあらためて聴くと、コーラス、ハーモニーのつけ方がおそろしく細かい。実はデッドはこういう細やかに神経を使うことも得意、おおまかにやっているようで、実は徹底的に緻密だったりする。そうしながら、ぽかりと歌詞を忘れたり、入りそこなったりするのもデッドだ。しかも、この日、この歌でのガルシアのギターは荘厳ですらある。
一度きちんと終りながら、間髪いれずカウントして〈One More Saturday Night〉。これまたゆったりと余裕のある歌いまわしと演奏。ああ、いい湯だ。アンコールの〈U. S. Blues〉もゆったりと、ツアーの終りを惜しむように演奏される。
かくて、デッド史上最高のツアー、1977年春のツアーはめでたく打ち上げ。一行は06月02日まで東部に滞在して、03日にロサンゼルスに移動。04日にロサンゼルス国際空港(LAX)のすぐ東隣のイングルウッドでショウをした後、07日から3日間ウィンターランドに出る。ビル・グレアムが長いショウを終えた「ご褒美」にブッキングしたものだ。そしてこちらはまさに「ホーム・ゲーム」。春のツアーに勝るとも劣らない極上の音楽を演奏している。
4. 1982 Moscone Convention Center, San Francisco, CA
金曜日。17.76ドル。開演7時。ヴェトナム復員軍人会のためのベネフィット・コンサート。ジェファーソン・スターシップ、ボズ・スキャグス、カントリー・ジョー・マクドナルド共演。
第二部が短かく、ボズ・スキャグスが参加。この第二部後半の〈Turn On Your Lovelight> Johnny B. Goode〉にジェファーソンのピート・シアーズが参加。ステージはカントリー・ジョー・マクドナルド、ジェファーソン・スターシップ、デッド。ボズ・スキャグスはデッドをバック・バンドとしてリード・ヴォーカルをとる。上記2曲ではウィアとダブル・リード・ヴォーカル。
演奏は良い由。
この第二部オープナーで〈Walkin' Blues〉がデビュー。1995-07-02まで計135回演奏。ロバート・ジョンソンが有名にした曲。
5. 1995 Portland Meadows, Portland, OR
日曜日。28ドル。開演2時。チャック・ベリー共演。
第一部5曲目〈When I Paint My Masterpiece〉でウィア、アコースティック・ギター。
屋外で客席では40度近かった。第一部が同様に熱かった由。(ゆ)

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