06月01日・水
 Locus 6月号。パトリシア・マッキリップの訃報。05月06日。享年74歳。マッキリップは一度、全部読もうとして、デビュー作 The House On Parchment Street を読んだだけで、例によって何かが飛びこんできて他へ行ってしまった。このデビュー作はヤング・アダルト向けで、幽霊屋敷ものなのだが、すばらしい出来。その時の日記からの引用。

—引用開始—
 夜、Patricia A. McKillip, The House On Parchment Street 読了。昨日着いていたもので、一気読み。すばらしい。この次がもう The Forgotten Beasts Of Eld になるので、おそらくこの2つの差は大きいはずだが、これはこれで立派なものだ。これが25歳の出版だから、やはり天才の部類。
 話そのものはむしろありふれているが、語り口のうまさ、性格描写の深み、そして文章の見事なことで際立っている。そして何より、この事件をくぐり抜けたことで、主人公たちが変わる、その変化の仕方がいい。14歳ということだが、大人びている、というとちょっと違う。大人として収まるのではなく、自立している、あるいは自立しようとあがき、もがいている。その苦闘している人間たちが、幽霊との遭遇とそれが意味するものの解明を通じて一段成長する。
 周りの大人たちもいい。父親のハロルドは助演賞ものだが、それこそ幽霊か悪霊のように、どこか強い匂いのように漂っていたのがラストに突如実際に出てきて舞台をさらってしまうブルースター夫人が秀逸。それにしてもアメリカ人でここまでイングランド人をリアリティをもって、しかもユーモラスに描いた例が他にあるか。一発で惚れた。
--引用終了--

 実際には The Forgotten Beasts Of Eld の前にもう1冊、同じ年に The Throme Of The Erril Of Sherrill が出ている。"Throme" は故意に 'n' を 'm' に替えている。
 スティーヴン・ドナルドソン、ライザ・ゴールドスタイン、テリ・ウィンドリングらが追悼する文章を読みながら、あらためて読もうと誓う。やはり、読むと決めたら、最後まで読まねばならない。マッキリップは児童書の書き手とされているらしく、邦訳がかなりある。もちろん、優れた児童書は大人が読んでも面白い。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月01日には1967年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。

1. 1967 Tompkins Square Park, New York, NY
 木曜日。2時から5時まで、とチラシにある。ニューヨークで最初のショウ。セット・リストとされるものは一応あるが、記憶によるもので、不完全で曲順も正確ではない由。

2. 1967 Cafe Au Go Go, New York, NY
 木曜日。昼に上記のショウをおこない、夜こちらに出た。この日から10日間連続のラン。この日にはカリフォルニアにいたという説もあるが、ビル・クロイツマンとロック・スカリーが口を揃えて、このランは実際にやった、と言っている。セット・リスト不明。ポスターがある。
 デッドにとっては初のニューヨークでのラン。少なくとも 12日の The Cheetah までニューヨークに滞在している。次はこの年年末にニューヨークで三連荘と二連荘を行い、さらにボストンに初めて行く。

3. 1968 Carousel Ballroom, San Francisco, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。セット・リスト不明。同じヴェニューで6日後、また三連荘をする。

4. 1991 L.A. Memorial Coliseum, Los Angeles, CA
 土曜日。25ドル。開演1時。Johnny Clegg & Savuka が前座。ブルース・ホーンスビィ参加。
 Johnny Clegg (1953-2019) は南アフリカ出身のシンガー・ソング・ライター、ダンサー、文化人類学者、反アパルトヘイト活動家。英語とズールー語を混ぜた歌詞を使い、音楽もアフリカの伝統音楽の要素を取り込んでいるそうな。1986年に Savuka を結成してツアーした。ソロでも活動している。
 ショウ自体はそこそこ、つまり人によって評価が別れる。当時はいわゆる「ドラッグに対する戦争」が最も強引に進められていた時期で、ロサンゼルス警察はそれを口実にこのショウで多数のファンを検挙し、会場内に設けられていた金網フェンスを第一部の途中で多数のファンが殺到して押し倒し、ここでも警備にあたっていた警官たちが過剰な暴力をふるった。ロドニー・キング殺害のビデオが明るみに出たことで暴動が起きたのがこのショウの2ヶ月前という事情もあっただろう。(ゆ)