06月16日・木
 ニュースを追いかけているわけでもないのに BTS の活動停止の話は否応なく耳目に入ってくる。ポピュラー音楽の1グループが解散するわけでもない、活動停止するというだけで、一般のニュースとして流れるというのも珍しいことだろう。

 これを聞いてあたしが連想したのはグレイトフル・デッドの hiatus、あたしが「大休止」と呼んでいる時期のことだ。デビューから10年近く経った1974年11月から1976年05月までの1年7ヶ月、バンドとしてのツアーをやめたのだ。この間にグレイトフル・デッドのメンバーが揃って行なったショウは1975年の4本だけである。

 この大休止によってデッドは溜まっていた各種の負債を整理し、新たな創造力をとりもどし、充電したエネルギーをもって、前人未踏の音楽を生み出してゆく。活動再開した1976年から1977年、1978年は、グレイトフル・デッドがバンドとして最も実り多い、最も幸福な時期だ。この大休止のおかげで、デッドはその後1995年まで、疾走し続けることができた。

 一方、ジェリィ・ガルシア、ボブ・ウィア、ミッキー・ハートを初めとして、メンバーはそれぞれソロ活動に精を出す。その成果は復帰後の音楽だけでなく、ツアーの方法論の改善にも大きく貢献する。

 もちろん、デッドと BTS では天の時も地の利もまるで異なるわけだが、バンドとしての活動がメンバーの意図を超えて暴走しはじめ、自分たちが何をやっているのかわからなくなったために、とにかく一度止まることにした、という点は共通している。

 この場合、ポイントとなるのは、バンドとしての活動を停止することを、バンド自身がイニシアティヴをとって決め、実行したことだ。外的要因、ありていにいえば、お呼びがかからなくなって、ツアーをしようにもできなくなったわけではない。何らかのスキャンダルから逃げるためでもない。レコード会社のプロモーション戦略の一環でもない。

 1974年当時のデッドはすでにアメリカ最高のライヴ・バンドの一つとしての地位を確立して、人気は右肩上がりだった。そこで止まるということは、途方もなく大きなエネルギーを必要としたにちがいない。不安といえば、バンド自身、当のメンバーたちが最も不安だったろう。かれらにとっては、バンドでライヴ演奏をすることが、とにもかくにも、どんなことよりも大事なことだったのだ。

 その不安を乗り越え、様々な圧力に耐え、小さくない犠牲を払いながらも、とにかく止めた。後からみれば、それによって得たものは、表現不能なまでに大きなものだった。大休止から復帰したグレイトフル・デッドは、コアの部分はそのままに、まったく新たなバンドとして生まれ変わる。

 アルテスの鈴木さんがハマったというので、BTS の名は知っていたし、いずれそのうち、と思ってはいたが、こうなるとあらためて興味が湧いてくる。あるいはむしろ、かれらが無事復帰するか、できたとしてどう変わっているかは、結構気になる。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月16日には1974年から1993年まで5本のショウをしている。公式リリースは3本、うち完全版2本。

1. 1974 State Fairgrounds, Des Moines, IA
 日曜日。6.50ドル。三部構成。第一部からクローザー前の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉、第二部の全部が《Road Trips, Vol. 2, No. 3》で、第三部から6曲がそのボーナス・ディスクでリリースされた。半分強がリリースされたことになる。

2. 1985 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。15ドル。開演3時。
 第二部6曲目、drums 直前で〈Cryptical Envelopment〉が13年ぶりに復活。この後、この年09月まで4回演奏されて、完全引退する。この曲は〈The Other One〉の原形である組曲〈That's It for the Other One〉の最初と最後のパート。ここでは〈The Other One〉に続く形で演奏された。

3. 1990 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演7時。
 《View From The Vault III》で DVD と CD で全体がリリースされた。
 このヴェニューはビル・グレアムが設計し、真上から見ると、デッドのロゴの頭蓋骨をかたどっている。柿落しもデッドの予定だったが、ガルシアの昏睡でパーになり、替わりにフリオ・イグレシアスにお鉢が回った。グレアムが設計しただけあって、音響も良く、トイレの数が多く、いろいろな意味で良い会場だそうだ。

4. 1991 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。25ドル。開場5時、開演7時。リトル・フィート前座。
 全体が《Giants Stadium 1987, 1989, 1991》でリリースされた。
 とにかく暑い日で、リトル・フィートも良かったそうだ。

5. 1993 Freedom Hall, Louisville, KY
 水曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。24.50ドル。開演7時。
 第二部が良い由。(ゆ)