06月18日・土
 オーラテクトのガムを噛んでいたら、歯にかぶせてあるものがガムにくっついてすっぽりと抜けてしまう。さらに、その隣の歯に詰めてあった金属も抜けてしまう。歯医者に架電し、事情を説明して、予約をねじこんでもらう。

 歯茎の健康のために噛んでいるガムで義歯が抜けるのでは困ったものだ。


%本日のグレイトフル・デッド
 06月18日には1965年から1995年まで11本のショウをしている。公式リリースは2本。うちほぼ完全版が1本。

01. 1965 Frenchy's Bikini-A-Go-Go, Hayward, CA
 金曜日。フィル・レシュが入って最初のショウ。The Warlocks 名義。セット・リスト不明。

02. 1966 Veterans Memorial Hall, San Jose, CA
 土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。2ドル。開演8時。共演ジェイウォーカーズ。セット・リスト不明。

03. 1967 Monterey County Fairgrounds, Monterey, CA
 日曜日。モンタレー・インターナショナル・ポップ・ミュージック・フェスティヴァル最終日。
 ポスターによればデッドは初日16日金曜日の夜に組まれている。開演9時。実際にはこの日曜日の夜に出た。DeadBase XI によれば〈Viola Lee Blues〉〈Cold Rain & Snow〉〈Alligator〉を演奏。
 この日の午後、映画ではトリになっているラヴィ・シャンカールが出ている。夜の共演はブルーズ・プロジェクト、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、The Group With No Name、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンス、スコット・マッケンジー、そしてママス&パパス。
 3日間、フェスティヴァル本体終了後、近くの Monterey Peninsula College のフットボール競技場にすでにあったステージに機材を組み、発電機を持ちこんで、フェスティヴァルに参加したミュージシャンたちが無料でセッションをした。エリック・バードン、ジミヘン、エアプレインやデッドのメンバーなどなど。ロック・スカリーの Living With The Dead の記述から受ける印象とは裏腹に、ガルシアとヘンドリックスが一緒に演奏したことはついに無かった、とブレア・ジャクソンは書いているそうだ。
 The Group With No Name はテヘラン生まれの Cyrus Faryar (1936-) がこのフェスティヴァルに出るために組んだバンドのようだ。ファライヤーの一家はイランからイングランドに移住し、さらにハワイに移る。後、南カリフォルニアに移って、音楽活動をする。キングストン・トリオのデイヴ・ガードとグループを組んだり、Modern Folk Quartet の結成に協力したりした。

04. 1974 Freedom Hall, Louisville, KY
 火曜日。開演8時。
 第一部8・9曲目〈Eyes Of The World> China Doll〉、第二部オープナー〈Loose Lucy〉、4曲目〈Weather Report Suite〉から8曲目〈Stella Blue〉までが《Road Trips, Vol. 2, No. 3》で、第一部クローザー〈Around And Around〉、第二部クローザー〈Sugar Magnolia〉、アンコール〈Morning Dew〉が同ボーナス・ディスクでリリースされた。曲数にして半分がリリースされたことになる。
 第二部後半〈The Other One> It's a Sin jam〉がとりわけすばらしい。

05. 1976 Capital Theater, Passaic, NJ
 金曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 第二部2曲目〈Tennessee Jed〉を除き、全体が《Download Series, Vol. 04》でリリースされた。除かれたのはテープの損傷による。

06. 1983 Saratoga Performing Arts Center, Saratoga Springs, NY
 土曜日。8.00ドル。開演8時15分。
 春のツアー終了から1ヶ月の休みを置いて夏のツアー前半のスタート。28日までの8本。
 すばらしいショウの由。レポートの言葉を借りれば、ハートは雷鳴と決闘し、ガルシアは電光とソロを共演した。第二部8曲目〈Morning Dew〉は全キャリアで1、2を争うものだそうだ。
 この年はソニーのおかげで、デジタル録音をテーパーが利用できるようになった。

07. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
 日曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。開演7時。
 ミドランドの状態がひどかった由。

08. 1992 Charlotte Coliseum, Charlotte, NC
 木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。23.50ドル。開演7時。
 かなり良いショウの由。

09. 1993 Soldier Field, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。スティング前座。
 休憩中と第二部 Drums> Space の間、NBA ファイナルの実況が流された。第二部で雷雨が激しかった。ショウ自体はまずまずの由。
 この時の NBA ファイナルはシカゴ・ブルズ対フェニックス・サンズで、この日は第5戦、ブルズの地元シカゴでの試合。結果は108対98でサンズが勝ち、戦績を2勝3敗とした。シリーズは翌々日フェニックスに戻っての第6戦を99対98でブルズが制し、優勝。1960年代のボストン・セルティクス以来の三連覇を達成。この時のブルズはマイケル・ジョーダン率いる黄金時代。

10. 1994 Autzen Stadium, University of Oregon, Eugene, OR
 土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。28.50ドル。開演2時。第一部5・6曲目〈Me And My Uncle> Maggie's Farm〉でウィアがアコースティック・ギター。この時期としては良いショウの由。

11. 1995 Giants Stadium, East Rutherford, NJ
 日曜日。このヴェニュー2日連続の初日。33.50ドル。開演6時。ボブ・ディラン前座。
 この頃の演奏は聴くのが辛いだろうが、いずれ、腹をくくって聴かねばならない。ひどい時を聴くことで初めてわかることがある。
 ところでガルシアはキャプテン、船長だったろうか。リーダーで無かったことは確かだが、船長はリーダーではないのか。もし船長がリーダーとすれば、ガルシアは船長では無かった。スポークスマンではあっても、行き先を指し示す者では無かった。
 一方デッドを動かす根本理念がガルシアから出ていたことも確かだ。最も端的に現われるのは、ショウの録音についての考え方だ。あるいはむしろ、どうなるかわからないからやってみる態度、なるべく同じことを繰返さない、昨日とは違うことをやろうとする態度の源泉もガルシアであろう。また、動きだす時最初に動くプライム・ムーヴァーでもあった。ギター・ソロによって、ジャムを起動し、方向を定めるのもガルシアだった。
 しかし、いつギター・ソロを発動するかを決めていたのはウィアだった。ステージの上での音楽監督は、とりわけ大休止からの復帰後はウィアが担った。大休止以前はおそらくレシュとウィアが分け合っていた。より正確には当初はレシュだった役割をウィアが段々と分担し、あるいは奪っていった。
 ガルシアは意志と目的をもった船長というよりは、光と熱の形でエネルギーを放つ太陽にみえる。(ゆ)