06月21日・火
いやー、難しい。『最澄と徳一』は新書でもあって、ど素人にもわかるように書いてくれているが、こちらは専門家向けで、専門家なら当然熟知していることは説明などしない。あたしのように無学な人間はほとんどお手上げになる。
一方で、ここでは原典からの引用をすべて現代語訳でしている。原文は脚注に掲載する。ということは、必ずしも専門家だけを相手にしているわけではなく、いわゆるハイ・アマチュア、アカデミアの住人ではないが、その道に突込んでいる人たちや、そこまでいかなくても関心はある人間にもアクセスしやすくしている。そこを頼りにほとんど必死の想いで読んだのだが、途中でへたることもなく、詰まることもなく、一応すらすらと最後まで読みとおせたのは不思議でもある。
井筒俊彦の『イスラーム思想史』も、読んでいる間はたいへんに面白く、どんどんと読めて、まるで自分の頭が良くなったように感じたものだが、それはもちろん著者がちゃんとわかるように書いてくれているので、読みおわって、さて何を読んだのかと思いなおすと、さっぱり浮かんでこず、ああ、いい本を読んだなあ、という充実感だけが残った。
こちらはそれよりはもう少し「わかった」感覚があるのは、イスラームに比べれば、仏教にはなにがしかの心組みがあるからだろう。出てくる人名にも馴染はあるし、『最澄と徳一』を読んでいたから、専門用語も少しは見当がつく。こういう本に親近感を持つのは、やはりクリスチャンでもムスリムでもなく、仏教徒ということになるのだろう。神道は宗教とは言えない。では、何なのかと言われると詰まるけれど、まあ、アニミズムの一種じゃないか。
それにしても、仏教にもその教義をめぐって深刻な対立があり、喧々囂々の論争があったのだ、というのは正直なところメウロコものではある。結局、あたしらが知ってる仏教というのはせいぜいが葬式仏教で、あの世に行くときの心の準備のためにあるようなものだ。一方で、宗教としての仏教の目的ないし宗旨の眼目はそれよりも生きている間に成仏つまりブッダになることだ。死んだ後のことはせいぜいが二の次なのである。そして、いかにブッダになるか、を釈尊が説いたわけだが、その説き方とブッダになるなり方をどう捉えるかが大問題となる。これらをめぐって熱い議論がかわされた。それもインドから中国、朝鮮、日本、それにおそらくはネパール、チベットから中央アジアにかけての広い空間と、数百年ないし千年にわたる時間をかけてだ。ここではそのうち中国、朝鮮、日本の東アジアと、唐の玄奘から最澄・徳一までの時空に枠組みを限って、その論争の内実を描こうとしている。と、あたしは読んだ。
その際、切口というかとっかかりとしているのが、唯識比量と呼ばれる仏教の論理式だ。三蔵法師・玄奘がインドで立てたとされているもので、これが真が偽か、真とすれば何を言っているのか、をめぐってまず大論争が起きる。
この論理が成立するかどうか、あたしなんぞにはわからん。本書を読むかぎりでは、いろいろエクスキューズ、限定詞をつけて、その条件の中では成立するのだ、と言っているように見える。そんなにいろいろ条件をつけなくては成立しないことを、わざわざ言う必要もないとも思えてしまう。
ともあれ、これの解釈をめぐってまず二つに大きく別れ、一方はこれを真としてそこを土台にいろいろ組み立て、もう片方は違うといって、そこからまたいろいろと組み立てる。真とする方は当然ながら玄奘の弟子たち、その系統を汲んだ人たちで、日本では法相宗から最澄にまでいたる。それに対立するのは、インド中観派のパーヴィヴェーカの流れを汲む人たちで、日本では三論宗と徳一にいたる。つまり、この本は、『最澄と徳一』で描かれた論争の背後に広がっている思想と論争の世界を描いている。というよりは、この本で描かれた思想史の中から、その結節点である最澄・徳一論争の部分を材料として取り出して、因明をはじめとする仏教論理学と仏教思想の内実をわかりやすく書いたのが新書版になる。
出発点の玄奘の弟子たちの時代には、ほぼ純粋に唯識比量だけをめぐっての論争だったものが、東アジアに広まるにつれて、他の要素や文脈が入ってくる。三転法輪説やら三時教判やら三乗・一乗の対立やら空有論争やら、という具合だ。その間には玄奘が唯識比量を立てたもともとの事情の伝承がどんどん変えられたりもする。
難しいのは、その論争でどこがどう違って、何をめぐって争っているか、の部分だ。キリスト教でも、教義をめぐって論争になるその解釈の違いなんてのは、外から見ると、どこがどう違うのか、よくわからないことが間々ある。どっちもまるで雲を摑むようなことを主張していたりする。当事者にとってはゆるがせにできないことで、だからこそ論争するわけだけど、熱くなってるのはわかるが、なにがそんなに違うのよ、と口をはさみたくなったりする。
ここでも、丁寧にいろいろと補足しながら現代語に訳してくれているし、さらに要点を説明してくれていて、その限りではわかったつもりになるのだが、全体としてみると、どこか茫洋としてしまう。単にあたしの頭が悪いか、老齢でぼけているのかもしれない。本当はすぐにもう一度、あたまから読みなおしたいのだが、この本は神奈川大学図書館からの借り物で、2週間で返さねばならず、一度通読するだけで10日かかったから、そんな時間はない。途中で、あんまり面白いので、買おうとしたら、もう古書しかなくて、15,000円の値がついている。一度返して、また借りるしかない。たぶん、『最澄と徳一』を再読してから、再度挑戦する方が良いかもしれない。あるいは、仏教の教義、論理について、もう少し勉強してからもどるべきだろう。
1章読むとぐったりして、残りはまた明日と本を閉じるけれど、翌日になると自然に手が伸びて、うんうん唸りながらも読むのが愉しくてしかたがなかった。よくわからないけれど面白い本というのもあるのだ。あたしがこんなに面白く読めるのだから、専門家や突込んだ人たちには相当にエキサイティングなんじゃないか。
仏教にも教義をめぐって熱い論争があった、というのも面白いし、そういう論争がいつ絶えたのか、どうしてなくなったのか、最澄と空海は論争しなかったのか、などということも湧いてくる。
それと、借りた本にはどこにも説明がないのだが、本のジャケットに印刷されているものが妙に気になる。実際の因明文献原文の拡大コピーではないかと思われるけれど、これが何で、どういうことを述べているのか、気になってしかたがない。縦組で、家系図のように横に枝が出たり、また戻ったり、何らかの論理を表現しているように見える。漢字ばかりでこういうことをやっているのは新鮮でもある。
「まえがき」がまず面白い。この「まえがき」の面白さが全巻を通じている気もする。
筆者は今でも、自分が徳一の研究者であり、日本の法相唯識の研究者だと思っている。ただ、徳一や最澄が引用しているものを遡って調べて論文を書いていた、結果的に朝鮮半島をはじめとする東アジア全域の文献を扱うことになり、そしていつの間にか玄奘三蔵の唯識比量に至ってしった、という次第である。振り返ってみれば、七〜九世紀の東アジアの仏教世界を研究するのに「日本」という枠組みにこだわることはそれほど生産的でないことがわかってきたが、一方で研究成果の受信者である現代の人々(筆者を含む)には近代以降の国民国家的な思考の枠組みが強固に埋め込まれていることも間違いないので、「専門は日本仏教です」と言うべきなのかどか、居心地の悪さを常に感じている。
徳一と最澄に突込みながら、関心の赴くままに対象を広げていったのも面白いし、国民国家どころか「日本」という概念すらあったかどうか、あったとして我々のものとどこまで重なるのか大いに検討の余地がある時代であることを認識していて、さらにそれを対象とした研究の受け手のことまで考えているのもまた面白い。こういう人は信用できる。次は『「大乗五蘊論」を読む』だな。『大乗五蘊論』が何たるかも知らんのだが。
%本日のグレイトフル・デッド
06月21日には1967年から1995年まで14本のショウをしている。公式リリースは3本。
01. 1967 Polo Field, Golden Gate Park, San Francisco, CA
水曜日。セット・リスト不明。
夏至祭、と DeadBase XI にある。この日、夜明けから日没まで行なわれた由。フラワー・ムーヴメント、ヒッピー文化のイベントの一つ。無料のコンサートに参加したバンドは他にクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、the Mad River, the Phoenix。
The Mad River は1966年04月、オハイオ州イエロー・スプリングスの Antioch College で結成された5人組バンド。名前は近くを流れる川からとられた。1967年03月、バークリーに拠点を移し、ここでリチャード・ブローティガンの知己を得て、大いにプッシュされた。キャピトル・レコードから1968年と69年にアルバムを出す。
The Phoenix は不明。この名前のバンドは多すぎる。
02. 1969 Fillmore East, New York, NY
土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。サヴォイ・ブラウン、バディ・マイルズ・エクスプレス共演。
早番、遅番の2回。テープでは早番は1時間弱。遅番は1時間半強。しかし DeadBase XI での Mick Levine のレポートによれば、11時に始まった遅番は、バディ・マイルズ、サヴォイ・ブラウンとデッドで4時間を超え、デッドがついにステージから去った時には朝5時半。
早番3曲目で〈High Time〉がデビュー。遅番でも演奏された。ハンター&ガルシアの曲。1995-03-24まで、134回演奏。1970年07月12日を最後にレパートリィから落ち、1976年06月09日に復活。1978、83、89年を除いて、毎年、時偶演奏された。ハーモニー・コーラスがウリの曲で、したがって1976年、77年の、ドナの入っている時期が最も美しく映える。
03. 1970 Pauley Ballroom, University of California, Berkeley, CA
日曜日。アメリカ・インディアンのためのベネフィット。残っているセット・リストはテープにより、そのテープは全体を収めてはいないと思われる。
04. 1971 Chateau d'Herouville, Herouville, France
月曜日。05月30日までの春のツアーと07月02日からの夏のツアーの間に、この1日だけフランスに飛んだショウ。本来はあるフェスティヴァルに出るためだったが、イベントは雨のためにお流れとなった。デッドは泊まっていた城をホテルにしたものの裏のプール脇に即席のステージを作って演奏した。翌年春のヨーロッパ・ツアーの布石の一つではあろう。
第一部半ば〈China Cat Sunflower > I Know You Rider〉がドキュメンタリー《Long Strange Trip》のサントラでリリースされた。
05. 1976 Tower Theatre, Philadelphia, PA
月曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。8.50ドル。開演7時。
第一部後半〈Scarlet Begonias; Lazy Lightnin'> Supplication; Candyman〉の4曲が《Download Series, Vol. 04》でリリースされた。
06. 1980 West High Auditorium, Anchorage, AK
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時半。
アラスカへの唯一の遠征の締めはなかなか良いものらしい。
07. 1983 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
木曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。開演7時。
第一部がすばらしい由。
08. 1984 Kingswood Music Theatre, Maple, ON, Canada
木曜日。開場2時、開演5時。ザ・バンド前座。アンコールの3曲にザ・バンドのメンバー参加。
第二部3曲目で〈Never Trust a Woman〉がデビュー。これが2020年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。ミドランドの作詞作曲。1990-07-23まで39回演奏。スタジオ盤収録無し。
非常に良いショウの由。
09. 1985 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。16.50ドル。開演8時。
冷たい雨が降っていた。が、ショウは相当に良い由。
10. 1986 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
土曜日。このヴェニュー3日連続のランの中日。開演5時。
第二部3曲目〈He's Gone〉は2日前に死んだバスケットボール選手の Len Bias (1963-1986) に捧げられた。ドラフト全体の2位でボストン・セルティクスに指名された2日後に急死。
ショウはすばらしいものの由。
11. 1987 Greek Theatre, University of California, Berkeley, CA
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演3時。
12. 1989 Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA
水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。開演7時。ケーブル TV のペイ・バイ・ヴューで全国放映された。画像、音声ともに見事な由。第二部、2曲目〈Hell in a Bucket〉からクローザー〈Turn On Your Lovelight〉まで、drums> space を除いてクラレンス・クレモンスが参加。
ショウそのものも最高だそうだ。
13. 1993 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
月曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。22.50ドル。開演7時。
かなり良いショウの由。
14. 1995 Knickerbocker Arena, Albany, NY
水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。30ドル。開演7時。
Deadlists によれば、第一部は1時間、第二部は1時間半強。ガルシアはふらふらで、今何を演っているか、いちいち教えられなければならないような状態だったが、それでも2時間半のショウをしている。
クローザー〈Morning Dew〉はこれが最後の演奏となった。この曲も含め、全体としてかなり良いショウの由。(ゆ)
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