06月26日・日
昼前からにいにい蝉の声が聞える。今季初だ。去年は07月13日のみんみんが初蝉だったらしい。
去年は蝉が多い年だった。今年はどうだろう。こう暑いと去年は比較的少なかった熊が増えるかもしれない。あいつらの鳴き声には風情がない。ただ、うるさいだけ。
%本日のグレイトフル・デッド
06月26日には1973年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは4本。うち完全版1本。
01. 1973 Seattle Center Arena, Seattle, WA
火曜日。前売5ドル、当日5.50ドル。開演7時。キャンセルとなった05月07日の振替ショウ。
《Pacific Northwest》で全体がリリースされた。
02. 1974 Providence Civic Center, Providence, RI
水曜日。5.50ドル。
〈Seastones〉を第二部として、第三部3曲目〈Jam〉からアンコール〈Eyes Of The World〉までが《Dick's Picks, Vol. 12》でリリースされた。
03. 1976 Auditorium Theatre, Chicago, IL
土曜日。このヴェニュー4日連続のランの初日。
良いショウのようだ。
04. 1984 Merriweather Post Pavilion, Columbia, MD
火曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演6時。
第一部クローザーの〈Looks Like Rain> Might As Well〉が2011年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
〈Casey Jones〉はオープナーとしては珍しく、客席からのリクエストに答えたものらしい。
05. 1986 Hubert H. Humphrey Metrodome, Minneapolis, MN
木曜日。20ドル。開演6時。ボブ・ディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの前座をデッドが勤める。セット・リストは二部に別れるが、見た人の証言では一本勝負。
ヴェニューの音響は良くなかったが、演奏自体は見事だったようだ。
06. 1987 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
金曜日。このヴェニュー3日連続のランの初日。18.50ドル。開演8時。
非常に良いショウ。
07. 1988 Pittsburgh Civic Arena, Pittsburgh, PA
日曜日。17.75ドル。開演7時半。
〈Gentlemen Start Your Engines〉など、珍しいものが聴けたショウ。
08. 1992 Soldier Field, Chicago, IL
金曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティーヴ・ミラー・バンド前座。
第一部4曲目〈Loose Lucy〉で、ガルシアが "round and round and round and round and round she goes" と歌うと、女性たちが一斉にくるくると回った。
良いショウのようだ。
09. 1993 RFK Stadium, Washington, DC
土曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。スティング前座。開演5時。ブルース・ホーンスビィがアコーディオンで参加。
ショウとしてはまずまず。
Dennis McNally のバンドの公式伝記 A Long Strange Trip, 387pp.(初版ハードカヴァー) に出てくるエピソードはこの2日間のどちらかの時のことではないかと思われる。マクナリーは1994年としているが、平仄が合わない。
この2日間のどちらかに、民主党の長老上院議員で当時上院外交活動小委員会の委員長だった Patrick Leahy が、舞台裏にいた。そこへホワイトハウスに連絡を入れて欲しいとのメッセージが入る。レーヒィ議員は電話器を所望し、プロダクション・マネージャーの Robbie Taylor が持っていた電話機を貸す。当時はまだ誰もが携帯を持っていたわけではない。議員はホワイトハウスに架電し、国務長官のウォレン・クリストファーと話す。クリントン大統領はイラクへ巡航ミサイルを打ち込むことに決め、その件を議会に通知するために連絡をとってきたのだった。クリストファー長官は用件を述べてから、そちらはラジオの音が大きいですね、とつけ加えた。レーヒィ議員は答えた。
「ちがう、あれはスティングだよ」
返事がない。
議員「ミュージシャンのスティングだ」
沈黙。
「グレイトフル・デッドの前座をしてるんだよ」
ひどく深い沈黙の後、国務長官は答えた。
「大統領にお時間を割いていただけますか」
議員がここにいたのは、ガルシアとおしゃべりしていたためである。ガルシアが楽屋でなくステージ裏にいたのは、後でスティングのステージにつきあうためだったろう。レーヒィ議員はガルシアと同世代で、議員としてのオフィスにもテープのコレクションを備えていた熱心なデッドヘッドだった。
ここには他の様々なこととともに、アメリカにおけるデッドヘッドがどういう存在かが垣間見える。デッドヘッドとは、髪を伸ばし、タイダイのTシャツを着て、改造したワーゲンのミニバスに手作りの商品を積んでツアーするバンドの後をついてまわり、駐車場でお店を広げて持ってきたものを売ってはまた次の会場へと移ってゆく連中だけではない。いや、議員にしても、デッドのショウに来る時にはスリーピースのスーツは脱いで、タイダイとショーツという恰好で来ていた。
1970年代初頭、デッドは精力的に大学をツアーする。学生向けにはチケットも安く売られた。デッドがショウを行った大学施設は総計約120ヶ所に及ぶ。ここでライヴに接した学生たちが後にデッドヘッドの中核を形成する。会場となった大学は、カリフォルニア大学の各キャンパスやスタンフォード、MIT、ラトガース、プリンストン、コロンビア、ジョージタウン、イェール、有名なバートン・ホール公演のコーネルのように名門とされるものが少なくなく、したがってデッドヘッドにはアメリカ社会の上層部が多数含まれることになった。スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどデジタル産業の立役者たちは最も有名だが、その他の実業家(イーロン・マスクはたぶん除く)、政治家、弁護士、医師、学者、芸術家、軍人、官吏等々、あらゆる分野に浸透している。1ロック・バンドのファン集団というだけでは収まらない。そして、デッドの音楽はこうした人びとのライフスタイルや生活信条を左右してもいる。グレイトフル・デッドとその音楽を抜きにして、20世紀後半から21世紀にかけてのアメリカの社会と文化は語れない。
10. 1994 Sam Boyd Silver Bowl, Las Vegas, NV
日曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。30ドル。開演6時。トラフィック前座。
オープナー〈Hell In A Bucket〉が2015年の、第二部オープナー〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉が2019年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
3日間の中ではダントツに良いらしい。
3日間、とにかく暑かったそうな。
〈Hell In A Bucket〉も〈Victim Or The Crime > Eyes Of The World〉もいい演奏。前者は引き締まって、ガルシアのソロも、歌の裏で弾いているのも、面白い。
〈Victim〉はドラムス主導で始まる。ウィアの歌もいいが、その歌の後のジャムがいい。この曲でこういうリリカルなジャムになるのは意外で新鮮。ビートはそのままで、ガルシアは元のメロディから外れたり戻ったりする。そこでビートが消え、軽いジャムが続くうちに、〈Eyes〉のリフが始まる。ウェルニクのピアノが美味しいおかずを入れ、さらにソロをとる。ガルシアが息切れしている分をカヴァーしようとする意図が見える。この集団即興はこの曲のものとしてかなり上の部類。ほとんど唐突に歌にもどる。
この年はガルシアもまだこういう演奏ができる。翌年にはがくりと落ちる。(ゆ)

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