07月04日・月
 JR 高田馬場でホームから階段を降りている時、脇にスペースができたので、そちらに駆け下ろうとして右足がひっかかり、あやうく倒れそうになるが、かろうじて二段ほど飛ばしながらなんとか無事下に降りたつ。下手をすれば頭から突込むところだった。危ない危ない。年寄りは無理をしてはいけない。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月04日には1969年から1990年まで7本のショウをしている。公式リリースは2本。うち完全版1本。

1. 1969 Kinetic Playground, Chicago, IL
 金曜日。このヴェニュー2日連続の初日。共演バディ・マイルズ・エクスプレス。
 2時間の一本勝負。3・4曲目〈Slewfoot〉〈Silver Threads And Golden Needles〉でガルシアがペダルスティール。15曲目〈Dire Wolf〉はウィアが歌ったそうなので、ここでもペダルスティールか。

2. 1981 Manor Downs, Austin, TX
 土曜日。10ドル。開場4時、開演8時。
 テキサスで7月4日の演奏にもかかわらず、あるいはそれ故に、オープナー〈Jack Straw〉の歌詞の一節 "Leavin' Texas 4th day of July" をウィアは間違えた。故意ではないかという説もある。

3. 1984 Five Seasons Center, Cedar Rapids, IA
 水曜日。アイオワ州での最後のショウ。アイオワでは1971年03月10日から計9本やっている。
 第二部6曲目〈He's Gone〉は、バスを運転して会場に来る途中、インターステイトから飛びだして死んだデッドヘッドに捧げられた。

4. 1986 Rich Stadium, Orchard Park, NY
 金曜日。開場正午、開演2時。ディラン&トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアーの一環。
 第二部3〜5曲目〈Samson And Delilah; The Wheel> I Need a Miracle〉が "Farm Aid" の一部として放送された。
 ウィアが「独立記念日に雨は降らないよ」と言って大喝采を受けたが、第二部オープナー〈Cold Rain and Snow〉の最中にどっと降りはじめた。
 第二部2曲目単独の〈Fire on the Mountain〉の時、フィールドの後方でジャグラーが8人、信じられないほどすばらしい演技をした。
 糖尿病による昏睡直前にもかかわらず、ガルシアは健康で、元気そうに見え、演奏も良かった、という見解がある一方で、John J. Wood はデッドヘッドではない友人が、デッドはいいバンドだが、あのガルシアというのは外した方がいいね、とのたまわった、と DeadBase XI で書いている。

5. 1987 Sullivan Stadium, Foxboro, MA
 土曜日。21ドル。開演4時。ボブ・ディランとのツアーのスタート。
 第二部3曲目〈I'll Be Your Baby Tonight〉でガルシアがペダルスティール。
 ディランが入っての第二部クローザー前の2曲〈Slow Train〉〈Joey〉が《Dylan & The Dead》で、第一部クローザー〈Throwing Stones〉が《Beyond Description》所収の《In The Dark》ボーナス・トラックで、各々リリースされた。
 第二部6〜10曲目の〈Ballad Of A Thin Man〉〈Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again〉〈Queen Jane Approximately〉〈Slow Train〉〈Joey〉はこれが初演。
 〈Ballad Of A Thin Man〉は1988年04月01日まで計8回演奏。
 〈Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again〉は1995年04月02日まで、計74回演奏。
 〈Queen Jane Approximately〉は1995年07月08日まで、計129回演奏。デッドによるディランのカヴァーでは演奏回数で第3位。
 〈Slow Train〉はこの月24日まで計3回演奏。
 〈Joey〉はこの月12日までやはり計3回演奏。
 つまり、下の2曲はディランとのこのツアーでのみ演奏された。上の3曲、とりわけ2曲はデッドのレパートリィの一部となる。
 ついでながら、《Dylan & The Dead》は出た当時、「こんなものは出すべきではなかった」とまで酷評され、誉めるものは誰もいなかった。が、今無心に聴いてみれば、なかなかどうして立派なものである。どうしてこれがあそこまでこきおろされねばならないのか、不思議。ディランとデッドという、アメリカ音楽最強のコンビが実現したことへの嫉妬だろうか。しかし、史上最高のディラン・カヴァー・バンドというのは必ずしも的外れではないし、ディランもデッドの演奏は大いに気に入っていたことも明らかだ。いずれ、実現するはずだったし、このタイミングで実現したことは、デッドの側から見ればベストだった。両者のコラボが完璧にうまくハマったわけではなく、危うい綱渡りであることも、かえって良い緊張感を生んでいる。ここまで個性の強い二組のアーティストが組んで、ぴったりハマる方がおかしい。あるいは危うい綱渡りであることが、大きなマイナスと捉えられたのだろうか。

6. 1989 Rich Stadium, Orchard Park, NY
 火曜日。21ドル。開場2時。開演5時。10,000 Maniacs 前座。
 第二部9曲目〈All Along The Watchtower〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた後、《Truckin’ Up To Buffalo》の CD と DVD で全体がリリースされた。

7. 1990 Sandstone Amphitheatre, Bonner Springs, KS
 水曜日。19.50ドル。開演6時。雨天決行。ミドランド最後のツアーの最後のレグのスタート。デッド第三のピークはまだ続いている。陽は高く、気温は40度近くで、オープナーが〈Cold Rain And Snow〉はサイコーだった。(ゆ)