07月16日・土
 おふくろはもっと大きい画面と「しゃべって筆談」が欲しいというので楽々ケータイから iPad に替えたのだが、メニュー画面から選ぶ形に慣れていたらしく、アイコンをタップして欲しい機能を出す、というのが理解できない。それに、どういうわけか、タップしても指が認識されない。ケースを買ったら付いてきたタッチペンが重宝しそうだ。老人が新しいシステムをあらためて学習するのはたいへんだ。こちらも根気よくつきあうしかない。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月16日には1966年から1994年まで10本のショウをしている。公式リリースは5本。

01. 1966, Fillmore Auditorium, San Francisco, CA
 土曜日。開演9時。このヴェニュー4日連続のランの3日目。共演ジェファーソン・エアプレイン。
 第一部6曲目〈You Don't Have To Ask〉とクローザー〈Cream Puff War〉が《So Many Roads》で、オープナー〈Viola Lee Blues〉を含む9曲が《Birth Of The Dead》でリリースされた。全体の半分がリリースされたことになる。
 第一部2曲目で〈Don't Ease Me In〉がデビュー。
 〈Don't Ease Me In〉は1995年07月08日まで318回演奏。演奏回数順では37位。〈Ramble on Rose〉と〈U.S. Blues〉より1回少なく、〈Casey Jones〉より1回多い。カヴァー曲としては珍しく、スタジオ版が《Go To Heaven》に収録されている。1970、1972、1973の各年と1979〜95年に定番として演奏され、他の年には演奏されていない。デッドの前身バンドの一つ Mother McCree's Uptown Jug Champions でも演奏された。原曲は伝統歌で、Henry Thomas (aka Ragtime Texas) が1928年06月13日に録音したものが最初とされる。
 この07月はなぜか録音が残っているショウが集中している。この日の他に、07月03日のフィルモア・オーディトリアムが《30 Trips Around The Sun》で出た。また、月末の29日、30日のヴァンクーヴァーでの録音がファースト・アルバム《The Grateful Dead》の50周年記念盤に収録された。
 この辺りの録音は良い悪いの前に、残っているというだけでありがたく感じてしまう。一方で、面白いことに、まったく箸にも棒にもかからないという演奏も無い。何らかの形で、聴いて愉しい。熱烈なファンがついてゆくのも無理はないと思える。同じことは繰返さないことは、すさまじいエネルギーを必要とする。デッドはどこからか、そのエネルギーを汲みだし、維持しつづけた。そう、一体、かれらのエネルギー源は何だったのだろう。

02. 1967 Golden Gardens Beach, Seattle, WA
 日曜日。午後のショウ。

03. 1967 Eagle's Auditorium, Seattle, WA
 日曜日。3ドル。開演7時、終演12時。
 共演 Daily Flash、Magic Fern。
 Magic Fern はシアトルの4人組で、1966年から1967年に活動。ヤードバーズ、デッド、ジェファーソン・エアプレインなどの前座を勤めた。

04. 1969 Longshoreman's Hall, San Francisco, CA
 水曜日。1ドル。
 ヘルス・エンジェルス・サンフランシスコ支部のパーティー。メンバーの1人の夫人が亡くなった追悼とベネフィット。
 Cleveland Wrecking Co. もポスターには名前がある。サンタナも出ていたはずだという話もある。
 Cleveland Wrecking Co. はこの時期のバンドは不明。

05. 1970 Euphoria Ballroom, San Rafael, CA
 木曜日。このヴェニュー2本連続の2本目。
 共演ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ、ラバー・ダック・カンパニー。
 第一部クローザー〈Turn On Your Lovelight〉にジャニス・ジョプリン参加。ピグペンとのかけあいで、最高のヴァージョンだそうだ。
 ベアことアウズレィ・スタンリィのさよならパーティー。

06. 1972 Dillon Stadium, Hartford, CT
 日曜日。5.50ドル。開演2時。雨天決行。
 クロージングの〈Not Fade Away> Goin' Down The Road Feeling Bad> Hey Bo Diddley〉にベリー・オークリィとディッキー・ベッツが参加。この3曲ではレシュが遠慮した。
 第一部10曲目〈Stella Blue〉が2021年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 第一部14曲目で〈Mississippi Half-Step Uptown Toodeloo〉がデビュー。1995年07月06日まで計232回演奏。演奏回数順では67位。〈Hell In A Bucket〉より2回少なく、〈Feel Like A Stranger〉より6回多い。1983、1984年以外は毎年演奏された。1974年まではかなり頻繁。1976年移行は頻度が減る。ハンター&ガルシアの曲で、スタジオ版は《Wake Of The Flood》収録。オープナーになることも多い。とぼけた味の、デッドのレパートリィでも最もユーモラスな曲の一つ。
 DeadBase XI の Zea Sonnabend によれば、とにかく暑かったが、演奏は最高の中の最高で、ガルシアのはじけぶりはピグペン不在を補って余りあるものだった。全体にエネルギーが溢れる。オールマンの参加は歴史的できごとに思われた。

07. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 金曜日。6.50ドル。開演8時。このヴェニュー6本連続のランの4本目。
 第一部6曲目〈Big River〉からの第一部全部とアンコール〈U.S. Blues〉が《Dave's Picks, Vol. 18》で、第二部からオープナー〈Playing In The Band〉とクローザー〈Sugar Magnolia〉を含む8曲が《Dave's Bonus Disc 2016》でリリースされた。2時間超、全体のほぼ3分の2がリリースされたことになる。
 このショウが全体としてリリースされなかったのにはそれなりの理由、たとえば、全体としてはA+級の演奏とまでは言えないなどの判断があったのだろう。リリースされた部分だけとれば、A+のレベルは十分クリアしている。復帰してほぼひと月、これが23本目で、油が隅々にまで回り、またこの面子でやることの愉しさを実感している様子があちこちに伺われる。最もそれが表に出ているのは第二部の〈Spanish Jam〉で、このジャムは先行する特定の曲が無いままに、ごく自然に、あたりまえのように始まる。
 あるいは第一部の〈Looks Like Rain〉。復帰後はドナが全面的にコーラスに参加する曲がぐんと増える。中にはドナの声があって初めて成立するような曲も出てくる。これはその最高の例の一つだ。ドナは必ずしもより高域のパートを担当するわけではなく、下をつけることが多いのも、彼女の声が加わる効果が大きくしている。次の次の〈The Music Never Stopped〉もそうだ。第二部オープナーの〈Playing In The Band〉、上記ジャムから Drums を経由しての〈The Wheel〉もドナの声の参加によって、歌のレベルが一段上がる。〈Cosmic Charlie〉のような曲でも同じで、これはこの年09月25日が最後で、この日の演奏はその前、つまり最後から2回目の演奏になり、ガルシアのギターの茶目っ気たっぷりの名演もあって、ベスト・ヴァージョンの一つ。コーラスのアレンジもかなり肌理細かくやっていて、〈High Time〉がいい例。思いきり奔放に歌いはなつところと、繊細に抑えるところのメリハリが見事。
 ガルシアのギターがまたすばらしい。なぜか、この前後数本のショウの録音ではガルシアのギターの音が他に比べて大きい。また、いつもより硬質の響きを帯びている。ここではそれがひどく気持ちよく聞える。
 〈High Time〉の後、レシュが「今夜はもう一つ祝うことがある、誕生日おめでとう、ミスタ・ビル・グレアム」とやる。ちなみにグレアムの誕生日は01月08日。そして始めるのが〈Sugar Magnolia〉。グレアムがことのほかに好んだという曲。後半の "Sunshine Daydream" のパートはここでもドナとウィアのデュエットがそれは愉しい。とりわけ2人が「ウーウウウ」と声を合わせるところはたまらん。
 しかし、こうなると、たとえ全部がトップ・クラスの演奏ではなくても、全体を聴きたくなる。

08. 1988 Greek Theater, Berkeley, CA
 土曜日。開演5時。このヴェニュー3日連続のランの中日。レックス財団ベネフィット。KPFA Berkeley で FM放送された。
 第二部 drums に Baba Olatunji 参加。休憩時間中に Alexander Gradsky が演奏。
 Alexander Gradsky (1949-2021) はロシアの最も初期のロック・ミュージシャン。この日、ゴールデン・ゲイト・パークで USSR-USA Peace Walk なる催しがあり、ガルシア&ソーンダース、グレイス・スリック、ババ・オラトゥンジ、アイアートなどがフリー・コンサートをした。その流れだろう。
 第一部5曲目〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉が《Postcards Of The Hanging》でリリースされた。
 ウィアのヴォーカル。ウィアはこれといい、〈Desolation Row〉といい、ディラン・ナンバーでも歌詞のたくさんある曲を好むらしい。面白いのは、本人の声になったり、ディランそっくりの声になったりする。声の質はガルシアよりもディランに近いか。ディランのカヴァーをする者は誰でもディランになる、と言われるが、こうまでそっくりになると、そうでない、本人の地の声のところはウィアのものになっている。ガルシアはソロはとらないが、歌の裏でいいギターを弾く。力演。

09. 1990 Rich Stadium, Orchard Park, NY
 月曜日。24ドル。開演5時。
 クロスビー・スティルス&ナッシュ前座。
 第一部クローザー前の〈Let It Grow〉が2010年の《30 Days Of Dead》でリリースされた。
 最高のショウとほぼ全員が口を揃える。100本近くショウを見ているベテランのデッドヘッドたちが、である。

10. 1994 RFK Stadium, Washington, DC
 土曜日。31.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の初日。
 トラフィック前座。
 日本に3、4年いてひどいホームシックになっていた友人に帰ったことを実感させるのはデッドのショウがベストだった、という話がある。(ゆ)