07月19日・月
 師茂樹『「大乗五蘊論」を読む』を読む。



 
 『大乗五蘊論』は世親すなわちヴァスバンドゥの著作。このタイトルは漢訳で、わが国には漢訳で伝えられた。ここではこの漢訳本を一字一句、丁寧に読む。漢文、読みくだし文、現代語訳に、場合によってチベット訳の邦訳、サンスクリット原文の邦訳も添える。その上で、内容について解説する。

 世親は多作で、この本は比較的初期に属し、小著でもあって、これまではあまり重視されてこなかった。近年、早い時期の注釈書が出てきて、あらためて注目も浴びている。のだそうだ。釈尊直系の部派仏教から唯識派が生まれてくる中間の過程を示しているのも注目される要因であるらしい。世親は部派仏教の一派から大乗に改宗し、唯識派の論客として多数の著作を書いた、とされてきたのが、そうではなく、改宗はしていない可能性も出てきた。『大乗五蘊論』はそれを傍証するものでもあるらしい。世親の改宗はその伝記に書かれているが、高僧伝が必ずしも事実ではなく、むしろ書き手がモデルとしたくなるような生涯を歩んだと書かれることが多かった、というのは、『論理と歴史』に玄奘三蔵の伝記に関して出てきた。

 師氏は『大乗五蘊論』はリニアに頭から読んでゆくものではないだろうと言う。瞑想修行者が修行の折々に必要なところを参照できるようなハンドブックのようなもの、ということらしい。書かれているのは、この世界とそこにいる人間をどう把握するか、一見、抽象的なことだが、修行者からすると、修行の中で目の当たりに実感する具体的なことであるらしい。そこで遭遇する様々なことをどうとらえ、理解するかをこの本で確認できるわけだ。だから、一通り五蘊の説明が終った後で、そうして説明してきたことは別の枠組みから見るとどうなるか、いろいろなケースがあげられる。

 蘊は蘊蓄の蘊で、集まり、集めたものをさす。具体的には色受想行識の五つで五蘊。このうち、色が後になると落とされる。これはつまり、この世界をこの五つの枠組みに分けて捉えることになる。その分け方は緻密で、たとえば眼という器官とその機能とそれによる認識を別々に考える。認知科学の最前線で今これと似た考え方がホットなのだそうだ。また、中には修行の階梯が上がらないと見えないものもある。

 本来は瞑想修行者、悟りを開くために修行している人のためのものではあるが、あたしのようなまったく無知など素人にとって、メリットが一欠片も無いわけでもない。唯識派というより、唯識派と呼ばれるようにになってゆく人びとがこの世界と、その世界と修行する人間との関係をどう見ているかが直截的に書かれているからだ。

 こういう本を読むと、まあ自分は仏教についてなあんにもわかっちゃいないのだなあ、とよくわかる。仏教は一神教に比べて、大雑把でのんびりしていると思っていたが、どっこい、少なくとも同じくらい突込んで、徹底して尖った思考を重ねてきている。師氏の2冊を読んでも自分の無知と仏教の思想の広さ深さは垣間見られたけれど、この本の対象は専門家のための専門書であることで、その広さ深さをいきなり眼前につきつけれらるようでもある。本を開いてみたら、目の前が断崖絶壁だった。

 で、実際には必要になったらいちいちこの本を開くのではなくて、ここに書かれていることは全部頭の中に入れて、つまり暗記しておいて、いつでもさっと参照できるようにしておくものでもある。そりゃあ、まあ、そうだろう。いちいち参考書を開くのでは修行にはなるまい。そういう修行はやさしいものではなく、誰にでもできるものでもない。悟りというのはそういう厳しい修行を完成して初めて得られる、というのは素人にもよくわかる道理だ。やはり念仏だけ唱えればそれでOK、というのは、どうも安直に過ぎないか。

 修行をするに値する人間が、厳しい修行を重ねて初めて悟りを開けるので、そう誰でも、何でもかんでも、仏陀になれるわけじゃあない、という方がまっとうに思えてくる。仏陀になれるかなれないかは生まれた時から決まっているというのは不公平だというのは、公平性をどこか勘違いしていないか。仏陀になれない者は輪廻転生で生まれ変わることになるが、何にも考えずにただぐるぐる回るのではなくて、そこから脱することは可能だと理解し、目指していると、やがて成仏する資格のある存在として生まれかわる、そこで修行が成就すれば仏陀になれる。これなら納得できる。一度でだめなら、また輪廻し転生して成仏可能性を備えて生まれ、再度挑戦することもできる。一切衆生悉有仏性なのはそういう意味で、とにかくこの世に生まれれば、それでOK、あとは念仏唱えさえすりゃあいい、というのは、あんまり虫が良すぎる。

 それにしても、古代インドの思考は相当に異質で、いくら師氏が懇切丁寧に説明してくれても、一度や二度読んだくらいで、すとんとわかるものではない。もっといろいろと他の書物を読む必要もある。仏教は今のあたしらにとってはほとんど先天的に刷りこまれていて、今さら距離を置くことも難しいと思っていたけれど、こうしてみると、刷りこまれているのはそのごく一部、それもかなり通俗化した形なので、1枚薄いベールをめくってみれば、十分に異質で面白いものとわかる。一切衆生悉有仏性を通俗的に解釈して、仏教は生きものに優しいと思うのは実は勘違いで、仏教の核心には生命への強烈な否定があるとも見える。少なくとも表面的な生命は輪廻転生して苦を続けるだけだと否定して、そこからの離脱を目指す。これはラディカルな目標だ。


%本日のグレイトフル・デッド
 07月18日には1967年から1990年まで、6本のショウをしている。公式リリースは完全版が1本。

1. 1967 Masonic Temple, Portland, OR
 木曜日。開演8時。共演 Poverty's People、U.S. Cadenza、Nigells。セット・リスト不明。
 当時ポートランドにはデッドヘッドが723人いて、全員が顔を揃えた。ファースト・アルバムとサウンド的には変わらない。ガルシアはレス・ポールを弾き、ピグペンはオルガンの上で飲みつづけていた。ドラマーは1人だけ。フェンダーのアンプが目一杯の音量で鳴っていた。ライト・ショーは無し。
 共演しているのはいずれも地元ポートランドのバンドの由。
 Poverty's People はもと Poverty's Five というワシントン州 Centralia 出身のガレージ・ロック・バンドで、1967年にこの名前に改名。1965年結成、68年まで活動。1966年にシングルが1枚ある。
 U.S. Cadenza は1965年から1969年まで活動。再編して今でもやっているらしく、Facebook のページがある。サンフランシスコ・サウンドのアクトの前座を勤めた。
 Nigells もポートランドのバンドの由だが、不明。

0. 1968年のこの日、《Anthem Of The Sun》がリリースされた。
 2作目のスタジオ盤。トム・コンスタンティンを含む7人編成。前年の09月から12月にかけてハリウッド、ノース・ハリウッドとニューヨークのスタジオで録音したものと、11月10-11日のロサンゼルス、シュライン・エクスポジションでのショウ、この年01月から03月にかけての、ユーレカ、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、タホ湖でのショウの録音を合成して作られた。スタジオ盤とロサンゼルスのライヴ録音のプロデューサーは Dave Hassinger だったが、スタジオでのデッドのふるまいに愛想を尽かし、ニューヨークのスタジオ・セッションの途中でロサンゼルスに帰ってしまう。デッドはスタジオでの録音の機材とその可能性に夢中になり、アルバム制作そっちのけで「遊び呆けた」らしい。ハシンガーが脱けた後はバンドとダン・ヒーリィとボブ・マシューズのエンジニア陣で作りあげた。
 トラック・リスト。
Side One
That's It For The Other One
I. Cryptical Envelopment (Garcia)
II. Quadlibet For Tender Feet (Weir)
III. The Faster We Go, The Rounder We Get (The Grateful Dead)
IV. We Leave The Castle (The Grateful Dead)
New Potato Caboose (Lesh/Petersen)
Born Cross-Eyed (Weir)

Side Two
Alligator (Lesh/McKernan/Hunter)
Caution (Do Not Stop On Tracks) (McKernan)

 A面の〈That's It For The Other One〉は II. の後、I. に戻る。III と IV はライヴ版と異なる。とりわけ IV はプリペアド・ピアノを主体としたミュージック・コンクレート。

 このアルバムには2種類のミックスが存在する。リリース当初のものと、1971年、フィル・レシュが手掛けたものだ。時間も若干異なる。その後のアナログ・リリースと当初のCDリリースはこのリミックスを使っている。2018年の50周年記念デラックス版には、CD 1 に両方のミックスが収められた。聴き比べると、71年リミックス版はA面の IV が顕著に異なる。ベースが前に出て、ドラムスが引っこむ。迫力は増しているが、ごちゃっとしている。あたしとしては、リミックスは疑問の箇所が多く、よりつまらない。



 アルバムとしては、今聴いても、かなり面白い。ビージーズ風コーラスをフィーチュアしてヒットを狙ったと覚しき〈Born Cross-Eyed〉 は曲自体の出来が良くないし、〈Caution〉も未完成なところがある。それでもアルバムとして通して聴くとそういう欠陥はあまり気にならない。ファーストからは格段の進歩、あるいはむしろジャンプ、ステップぐらいはしている。当時にあって、それほど過激ではない一方で、デッドとしての特徴はすでに出ている。売れるものではなかったにせよ、質は水準を軽く超えている。スタジオでの実験も、当時聴けばともかく、今の耳には実験とはわからないくらいだ。


2. 1972 Roosevelt Stadium, Jersey City, NJ
 火曜日。4.50、5.50ドル。開演7時。三部制。2日前のコネティカット州ハートフォードと2本だけ、東海岸でやっている。ピークのこの年のショウらしく、見事な1本だそうだ。
 DeadBase XI の Mike Dolgushkin によれば、第一部でのより長く、よりスペーシィになった〈Bird Song〉の復活に歓び、第二部の〈Dark Star〉に、会場ごと他の世界に持っていかれたという。

3. 1976 Orpheum Theatre, San Francisco, CA
 日曜日。7.50ドル。開演8時。このヴェニュー6本連続のランの楽日。
 休憩中、ビル・グレアムが奇妙な仮面を客に配って、つけさせた。第二部が始まると、客電が点いたままになり、仮面の群れがバンドに向かってわめいたのは、実に可笑しかった、と Bernie Bildman が DeadBase XI で書いている。

4. 1982 Ventura County Fairgrounds, Ventura, CA
 日曜日。12ドル。開演4時。このヴェニュー2日連続の2日目。
 ダブル・アンコールは聴衆の求めに応じたもの。全体としても良いショウの由。とりわけ第二部後半。

5. 1989 Alpine Valley Music Theatre, East Troy, WI
 火曜日。21.50ドル。開演7時半。このヴェニュー3日連続のランの中日。
 全体はビデオに撮影されており、2012年04月に Century 系列の映画館で短期間公開された。
 見たショウが100本クラスのデッドヘッドたちが、第二部はベストと言う。滑らかに1本につながっている。
 第一部が終る頃降りだした雨で駐車場がひどいぬかるみになり、車がはまりこみ、これを引き出そうとしたレッカー車もはまりこむ始末で、終演後、駐車場から出るまでに4時間以上かかった由。

6. 1990 Deer Creek Music Center, Noblesville, IN
 水曜日。このヴェニュー2日連続の初日。開演7時。
 全体が《Dave's Picks, Vol. 40》でリリースされた。
 確かに良いショウで、文句のつけようもないのだが、春のツアーにはある輝きがわずかながらくすんでいる感じがある。十分に展開しきったという感覚が薄い。第一部の方が充実している。次のシカゴの3日間に顔を出す、ミドランドのデーモンが、すでにその影を落としているというべきか。
 なお、この《Vol. 40》に収められたこの日と翌日の2本はすばらしく録音が良い。(ゆ)