07月23日・土
アマゾンに注文していたスピーカー・スタンドが届く。発送通知はあったが、いつ届くのか、まったくわからず、いきなりやってきた。中国からである。待っていたものでもあり、早速組み立てる。といってもマニュアルの類は一切無い。まったく何もなく、これくらい無いと、いっそ潔い。アマゾンのレヴューなど見ながら、手探りでやるが、といって難しいものでもない。ただ、底板、天板の表面に貼ったビニールに釘を通す穴を穿けていない。指でなぞって位置を確認して、えいやっと捩じこむ。30分もかからずにできる。ドライバーを回す右手が痛くなる。ふだん使っていない筋肉はどんどん衰える。何に使うのかよくわからない部品が残る。たぶん、ケーブルを固定するためのものであろうが、使うつもりはない。
スピーカーを置いて、とりあえず音を出す。思わず唸ってしまう。ぱああっと空間が開けて、そこにデッドのメンバーの位置がはっきりわかる。うーむ、やはり棚の中に置くのは良くないのだ。嬉しくなって、あれこれ聴く。久しぶりにチェルシーズ《あかまつさん》を通して聴いてしまう。すばらしい。録音の優秀さがあらためてよくわかる。楽曲、演奏、録音三拍子揃った名盤とはこれのことを言う。
%本日のグレイトフル・デッド
07月23日には1967年から1994年まで、3本のショウをしている。公式リリース無し。
1. 1967 Straight Theater, San Francisco, CA
日曜日。共演ザ・フィーニックス、ザ・ワイルドフラワー、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー。またデッドのショウにニール・キャサディが参加。セット・リスト不明。
ニール・キャサディとデッドのこの共演がいつ行われたかについては混乱がある。このヴェニユーのオープニング3日間の最終日であるこの日と一応されているが、1965年クリスマス前後または1966年元旦のオレゴン州ポートランドのアシッド・テストであるとする説もある。
レシュの友人 Hank Harrison の著書 "The Dead Book" 初版にこの録音が入ったソノシートが付録として付けられた。そこではデッドの演奏する〈Dark Star〉をバックにキャサディがラップをしているそうだ。その前に、まずガルシアがキャサディを紹介し、キャサディがデッドがでたらめにたてる音をバックにラップをしているものと〈Turn On Your Lovelight〉をバックにしたものもあるという。
2. 1990 World Music Theatre, Tinley Park, IL
月曜日。開演7時。このヴェニュー3日連続のランの楽日。夏のツアーの千秋楽。ブレント・ミドランド最後のショウ。
ミドランドは3日後の26日、ドラッグの過剰摂取で死亡。享年38歳。その時摂取したクスリの量は通常では考えられないほど多量で、おそらく勘違いかミスによる事故だろうとされる。
バンドは秋のツアーを中止し、代わりの歌える鍵盤奏者を探すことになる。
ピグペンは別としてデッドの歴代鍵盤奏者のうち、ミドランドは最もファンに愛されたようだ。もっとも、キース・ガチョーのように音楽家としてのレベルが落ちてやめたのではなく、いわば絶頂期に突然消えたせいもあるかもしれない。デュアン・オールマンやスティーヴィー・レイ・ヴォーン、あるいはジム・クロウチ、さらにはジミヘン、ジャニスと同じ現象である。ヴィンス・ウェルニクはバンドそのものの状態がついにベストにはもどらず、本人の資質、貢献がそれによって帳消しにされる傾向がある。
このショウに対する評価も冷静にはなりえず、ミドランド最後のショウということが輝きになってしまうようだ。
とまれ、1980年代後半、ガルシアの昏睡からの復帰以降続いていたデッド第3の黄金時代はここに幕を閉じる。これ以後の5年間は、ガルシアの健康だけではなく、様々な要素がからみあって、苦難の時代となる。経済的にはそれまでのアメリカの音楽興行の世界で空前の成功を手にすることになるが、そのこと自体がバンドにとっては必ずしもプラスにはならず、むしろマイナスに作用したところが大きい。
3. 1994 Soldier Field, Chicago, IL
土曜日。32.50ドル。開演6時。このヴェニュー2日連続の初日。トラフィック前座。
この年のショウではベストの1本と言われる。きれいに晴れた暖かい夜で、第一部の背景はシカゴの街並みの向こうの見事な夕焼け空、第二部が始まる頃には日が暮れ、オープナー〈Lucy in the Sky with Diamonds〉のライトショウが映えた。(ゆ)
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