08月14日・日
公民館に往復。本を3冊返却、4冊受け取り。借りた本はいずれも他の図書館からの借用なので、2週間で返さねばならない。家人が横浜市内に勤めていたときには、横浜市立図書館から借りられたので、自前でまかなえたから延長できた。県立から借りたのが一度あったくらいだ。『宮崎市定全集』全巻読破できたのも、そのおかげだった。厚木はビンボーで、図書館蔵書も少ない。
ワシーリー・グロスマンの『システィーナの聖母』は茅ヶ崎市立図書館から。所収のアルメニア紀行を確認するため。これは後3分の1ほどを占める。ということで買うことにしよう。が、NYRB 版は NYRB original で、160ページあるから、邦訳よりは分量がありそうだ。英訳も買うか。グロスマンの本としては The People Immortal も邦訳されていない。『人生と運命』の前にあたるのが Stalinglad で、The People Immortal が扱うのはさらに前のバルバロッサ作戦酣で赤軍が敗走している時期だそうだ。そこで、いかなる手段を用いてもナチス・ドイツ軍の進攻を止めろと命じられたある師団の話、らしい。
アンソロジー『フィクション論への誘い』は横浜市立図書館から。師茂樹氏のエッセイを読むため。プロレスについて書いている。一読、こよなく愛するファンであることがひしひしと伝わってくる。
プロレスにまつわる記憶では、学生の時、なぜか高田馬場で友人とたまたま夕飯を食べに入った食堂のテレビで、猪木の試合を中継していた。見るともなしに見ていると、いかにもプロレスと思われるまったりとした進行だったのが、ある時点で猪木が「怒る」ことでがらりと変わった。中継のアナウンサーが「猪木、怒った、怒った」と、いかにもこれはヤバいという口調になった。つまりヒールの反則が過ぎたのに猪木が怒った、というシナリオ(「ブック」と呼ばれるそうだ)だったのだろう、と後で思いついたのだが、その時の猪木の変身、本気で怒っている様子、それによる圧倒的な強さは見ていてまことに面白いものだった。後でああいう台本だろうと思ってはみたものの、その瞬間はいかにも猪木が怒りのあまり、そうした打合せや台本を忘れはてて、本気を出しているとしか見えなかった。師氏がここで言うように、本当に思わず本気で怒ってしまったのかどうか、わからないところはまた面白いが、あの猪木の変身ぶりは、プロレスも面白くなるものだ、というポジティヴな印象を残した。猪木といえば、河内音頭の〈アントニオ猪木一代記〉が真先に出てくるのだが、その次にはあの時の印象が湧いてくる。
ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ』上下は鎌倉市立図書館から。第三部『エピローグ』をカットした形。訳者の紹介によればカットするのも無理は無いとは思われる。これもまた未完なのだ。完成しないのは20世紀文学の宿命か。プルーストもムージルもカフカも未完。『鉛の夜』に使われた部分もある由。この上下を2週間では読めないから、買うしかないな。
%本日のグレイトフル・デッド
08月14日には1971年から1991年まで4本のショウをしている。公式リリースは無し。
1. 1971 Berkeley Community Theatre, Berkeley, CA
土曜日。このヴェニュー2日連続の初日。ニュー・ライダーズ・オヴ・パープル・セイジ前座。
アンコールの1曲目〈Johnny B. Goode〉の前にデヴィッド・クロスビーのために〈ハッピー・バースディ〉が演奏された。これと続く〈Uncle John's Band〉の2曲のアンコールにクロスビー参加。
オープナーの〈Bertha〉が《Huckleberry Jam》のタイトルの1997年の CD でリリースされた。限定2万枚でベイエリア限定販売。1960年代末にアメリカで最初の家出少年少女のための避難所としてオープンされた Huckleberry House の資金援助のためのベネフィットCD。
2. 1979 McNichols Arena, Denver, CO
火曜日。このヴェニュー2日連続の2日目。9.35ドル。開演7時。
第一部6曲目で〈Easy To Love You〉がデビュー。ジョン・ペリィ・バーロゥ作詞、ブレント・ミドランド作曲。1980年09月03日で一度レパートリィから落ち、1990年03月15日に復活して1990年07月06日まで、計45回演奏。スタジオ盤は《Go To Heaven》収録。ミドランドの曲でデッドのレパートリィに入った最初の曲。バーロゥとの共作としても最初。演奏回数では〈Far from Me〉の73回に次ぐ。
この初演ではウィアがほぼ同時に〈Me and My Uncle〉を始める。ウィアは第二部2曲目〈Ship of Fools〉でも〈Lost Sailor〉を歌いだすので、おそらくは意図的、少なくとも2度目は意図的ではないか、という話もある。
ショウ全体は良い出来。
3. 1981 Seattle Center Coliseum, Seattle, WA
金曜日。この日がシアトル、翌日ポートランド、その次の日ユージーンと、北西部3日間の初日。9.50ドル。開演7時。
第二部で4曲目〈Playing In The Band〉の後の〈China Cat Sunflower> I Know You Rider〉がとんでもなく速かった。
4. 1991 Cal Expo Amphitheatre, Sacramento, CA
水曜日。このヴェニュー3日連続のランの楽日。22.50ドル。開演7時。
第二部が始まるとともに霧が立ちこめて、そのため第二部は〈Cold Rain And Snow〉〈Box Of Rain〉〈Looks Like Rain〉と続いたので、聴衆は大喜び。さらに〈Crazy Finger〉をはさんで〈Estimated Prophet〉でウィアが "I'll call down thunder and speak the same" と歌うのと同時に、ステージの遙か後方のシエラ・ネヴァダの麓の丘の上で稲妻が光った。(ゆ)
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